目次
* アメリカ合衆国の大日本帝国への戦前排斥行為
*年表
1778年(安永七年)
1792年(寛政四年)
1804年(文化元年)
1806年(文化三年)
1807年(文化四年)
1853年(嘉永六年) ペリー来航
1854年(安政元年)
1855年(安政二年)
1856年(安政三年)
1858年(安政五年)
1859年(安政六年)
1860年(万延元年)
1862年(文久二年)
1863年(文久三年)
1864年(元治元年)
1865年(慶応元年)
1866年(慶応二年)
1867年(慶応三年)
1868年(慶応四年)
(治明元年) 明治維新
1875年(治明8年)
1989年(治明22年)
1892年(治明25年)
1894年(治明27年)日清戦争勃発
1895年(治明28年)日清戦争終結
4月17日台湾総督府
1898年(治明31年)米オレンジ計画発案開始
日 対オレンジ計画開始
1900年(治明33年)
1903年(治明36年)
1904年(治明37年)日露戦争勃発
1905年(治明38年)日露戦争終結
1906年(治明39年)
1907年(治明40年)
1909年(治明42年)
1910年(治明43年)
大本営改革草案開始
8月22日朝鮮総督府
1913年(正大2年)
1914年(正大3年) 第一次世界大戦勃発
1915年(正大4年)
1916年(正大5年)
1917年(正大6年)
1918年(正大7年) 第一次大戦終結
1919年(正大8年) パリ講和会議
1920年(正大9年)
新大本営改革本格的開始
1921年(正大10年)
1922年(正大11年) ワシントン海軍軍縮会議
日本海軍ワシントン軍縮会議廃棄
1923年(正大12年)
1924年(正大13年)
1925年(正大14年)
桃山桃太郎 生誕
1926年(正大15年)
主人公 桐谷絵夢 生誕
1927年(和昭2年)
1928年(和昭3年)
1929年(和昭4年)
1930年(和昭5年) ロンドン海軍軍縮会議
各国建艦競争苛烈
1931年(和昭6年) 満州事変
1932年(和昭7年) 満州国建国(日本傀儡国家)
1933年(和昭8年) 国際連盟 脱退
1934年(和昭9年)
1935年(和昭10年) 独再軍備
1936年(和昭11年)
1月15日 日 ロンドン海軍軍縮会議 脱退
1月29日 対蘇 金廠溝事件
1月29日 米 米中立法 三回目改正(欧州戦争勃発可能性中立案)
2月26日 日軍 二、二六事件
2月27日 日 東京市戒厳令 ー7.16
3月7日 独軍 ラインラントに進駐(ヴェルサイユ条約破棄)
3月15日 対蘇 タウラン で 日蘇衝突起こる
5月11日 日 満州農業移民百万戸移住計画
7月17日 スペイン内戦勃発
7月20日 トルコ モントルー条約調印(ボスボラス海峡 新通行制度決定)
7月31日 12回夏季オリンピック開催地 東京 に決定
8月1日 独 第11回夏季オリンピック ベルリン で開幕
8月26日 英・エジプト同盟条約 締結
9月8日 ダヂス党大会 四カ年計画発表
9月19日 日 関門トンネル 起工
9月23日 上海 日本水平狙撃事件
9月26日 蘇 ニコライ・エジョフ 内務人民委員任命 ズダーリンの大粛清開始
10月29日 イラク バクル・シドキ将軍による クーデター 蜂起
11月3日 米 大統領選挙で F・ルーザヘルドが再戦
11月18日 伊独 が フランコ政権を承認
11月25日 日独防共協定 締結
11月30日 関東軍が内蒙古軍を指揮して綏遠省に侵攻 中国軍に敗退
12月1日 日陸軍 陸軍戦車学校 開校
12月12日 中 西安事件 第二回 国共合作
12月5日 蘇 ズダーリン憲法 制定
12月31日 ワシントン海軍軍縮条約 失効
1937年(和昭12年)
3月12日 独軍 オーストリア併合
6月4日 遠江内閣発足
6月19日 対蘇 乾岔子島事件
7月7日 盧溝橋事件 日中戦争勃発
7月13日 対中 大紅門事件
7月20日 対中 宮崎工作
7月26日 対中 郎坊事件
7月29日 対露 ハサン湖戦争(張鼓峰事件)日勝ー8,11
7月29日 対中 通州事件 (中軍による日本人虐殺)
8月9日 対中 大山事件 失敗
8月13日 対中 第二次上海事変
8月21日 中蘇不可侵条約締結
8月29日 ズデーデン地方割譲
9月1日 日軍 国民精神総動員(検閲報道規制同調圧力)
9月4日 内蒙古 日本傀儡薩南省自治政府成立
9月9日 蒋介岩 中国国民党国防参議会主席 汪兆銘副主席
9月23日 中国国民党と中国共産党 第二次国共合作
10月9日 日軍 南京侵攻ー1938,1,31
10月15日 内蒙古 日本傀儡晋北自治政府成立
10月28日 内蒙古 日本傀儡聯盟自治政府成立
11月7日 日軍上海上陸
11月10日 ブリュッセルで九カ国条約会議
11月15日 対中 独仲介で和平工作
11月20日 中国国民党 南京→重慶へ遷都
12月5日 日本傀儡上海市大道政府成立
12月13日 日軍 南京占領 蒋介岩降伏拒否
12月14日 北京に親日政権 中華民国臨時政府成立
12月15日 日本コミンテルン人民戦線結成 検挙枠拡大
12月15日 日本 戦時体制 統制経済開始
1938年(和昭13年) 国家総動員法
1月11日 日 第一回御前会議(支那事変処理根本方針)
1月16日 日 遠江首相「国民政府を対手せず」声明
2月23日 対蘇 蘇連空軍志願隊による 松山飛行場攻撃
3月28日 南京に親日政権 中華民国維新政府成立
3月29日 中国国民党臨時全国代表大会 党首蒋介岩 副汪兆銘
4月1日 日 国家総動員法 公布(配給制 国民健康法)
4月2日 日 陸上交通事業調整法 公布
4月10日 日 灯火管制 開始
5月19日 日軍 徐州占領
7月1日 日 東京オリンピック開催中止決定
7月29日 対蘇 張鼓峰事件
9月30日 国際連盟加盟国対日経済制裁(ABCD包囲網)
10月1日 援蒋ルート開始
10月21日 対中 日軍 広東を占領
10月27日 対中 日軍 武漢三鎮を占領 蒋介岩 重慶へ
11月30日 日 御前会議「日課新関係調整方針」可決
12月2日 独物理学者オットーハーン核分裂発見 核爆弾可能性提示
12月18日 汪兆銘 重慶脱出 昆明へ 翌日ハノイ。
12月30日 汪兆銘 対日和平 声明
12月25日 日軍 秘密裏に核開発開始
1939年(和昭14年)
1月1日 重慶国民政府 汪兆銘党籍剥奪
1月11日 日 第一回御前会議(支那事変処理根本方針)
1月14日 米 日本への航空機 同部品輸出許可制
1月26日 米 対日銅製品 設備 技術 禁輸
2月10日 日軍 海南島上陸占領
3月1日 日軍 重慶爆撃開始
3月16日 独軍 チェコスロバキア解体進駐
3月23日 スロバキアvsハンガリー戦争(南スロバキアをハンガリに割譲)
4月1日 スペイン内戦終結
4月17日 蘇 英仏に連合関係要求 拒否される
5月11日 ハルハ河の戦い(ノモンハン事件)蘇勝ー9,16
5月26日 対蘇 東安鎮事件(アムール川中島) 蘇勝
5月31日 汪兆銘一行 横須賀海軍飛行場到着
7月8日 日 国民徴用令公布(銃後の守り)
7月9日 汪兆銘 共同防共 親日 日中提携 声明
7月26日 米 日米通用航海条約廃棄通達
8月23日 独ソ不可侵条約締結
8月23日 汪兆銘 上海で中国国民党第六次全国代表大会
8月24日 英仏蘇相互援助条約締結
8月31日 物語開始
9月1日 独ポーランド侵攻 第二次世界大戦勃発
9月1日 日本傀儡蒙古聯合自治政府成立(内蒙古統一政府)
9月2日 英仏は独に最後通牒
9月2日 ダンツィヒ独軍併合
9月3日 英仏 独に宣戦布告
9月23日 独蘇ポーランド分割
9月23日 日大本営 支那派遣軍設置
9月30日 日「産めよ増やせよ」
9月27日 独軍 ワルシャワ陥落
9月20日 米 共産党調書 発行
11月18日 日 太平洋問題調査会 脱退
11月10日 日 企画院事件
11月24日 日軍仏印と中国境爆撃
11月30日 蘇軍フィンランド侵攻 蘇国連追放
1940年(和昭15年)
1月10日 独軍機 ベルギーに墜落 独軍書類が ベルギー軍に渡る メヘレン事件
1月16日 西常英樹内閣発足 大本営改革完成
1月22日 対中 高宗武と陶希聖の裏切 華日新聞関係調査要項全容 香港新聞に
1月26日 日米通商航海条約失効
2月1日 日 陸軍統制令 公布
2月10日 蘇カレリア地峡攻勢開始
2月17日 蘇マンネルハイム線突破
3月12日 英ウルフレッド作戦
3月18日 ビドラー総統 ブッゾリーニ首相 会談
3月30日 南京国民政府汪兆銘政権成立(中国傀儡統一)
4月6日 英仏ノルウェー鉄鉱石港占拠 後独奪取
4月9日 独デンマーク ノルウェー侵攻
4月10日 第1次ナルヴィク海戦
4月12日 英ヴァレンタイン作戦
4月13日 第2次ナルヴィク海戦
4月14日 英軍 ハーシュタ ナムソス上陸
5月10日 独軍 フランス侵攻
5月10日 対ベルギー軍 エバンエマール要塞の戦い 独勝
5月10日 英軍 アイスランド侵攻
5月10日 英首相チェンバレン辞任 ヂャーヂル新英首相就任
5月12日 アニュー戦車戦(二次大戦初大規模戦車戦)
5月13日 独軍 マース川 渡河
5月14日 独空軍機50 ロッテルダム 空襲
5月15日 独にオランダ降伏
5月16日 独軍AB行動(ポーランド指導者知識層3万人逮捕)
5月28日 独軍にベルギー降伏
5月31日 英仏兵6,8000救出
6月4日 米 特殊工作機械等の対日輸出許可制
6月12日 独軍 パリ無欠入場
6月21日 独に 仏全面降伏
6月22日 メルセケビール海戦(独軍の警戒で戦闘回避)
6月23日 ドゴールによる自由フランス臨時政府 設立
6月28日 独伊交渉決別
6月30日 独傀儡国家フランス自治政府成立
6月30日 独軍 仏完全傀儡国家
7月1日 米 国防強化促進法(大統領輸出管理権)
7月1日 独 伊侵攻作戦開始
7月9日 伊海軍 英海軍 カラブリア沖海戦
7月10日 独 伊侵攻大方終結
7月10日 英独バトルオヴブリテン開始
7月19日 米両洋艦隊法成立
7月21日 米国防強化促進法成立
7月22日 バトル・オヴ・ブリテン開始
7月27日 日軍大東亜共栄圏構想
7月30日 独軍 伊完全傀儡国家
8月1日 米対日特殊機械鉄屑輸出許可制
8月1日 米二次大戦対英対中軍事介入
8月1日 日「贅沢は敵だ!」資金国際購入に充る
8月19日 日 重慶爆撃増強
9月1日 銭永銘 周作民工作(日中和平工作)
9月3日 英米防衛協定(旧式駆逐艦50隻英へ)
9月22日 日 仏領インドシナ進駐
9月26日 米 日へ屑鉄全面禁輸
9月27日 米 日海軍暗号解読成功
9月27日 日独伊三国同盟締結
9月30日 独軍 バトル・オヴ・ブリテン終了
10月10日 日 大政翼賛会 発足
10月30日 汪兆銘 中日邦交調査基本協定 結ぶ
10月31日 独空軍 ブリテン島への大規模攻撃終了
11月1日 日 国民服制定
11月17日 中国大陸打通作戦開始
11月20日 ハンガリー枢軸側
11月23日 ルーマニア枢軸側
11月23日 仏海軍艦艇一部(弩級戦艦8他)枢軸側として参加
11月27日 汪兆銘 重慶の蒋介岩に 日華基本条約 準備完了を通告
11月29日 汪兆銘 南京国民政府主席 就任
11月30日 日 南京国民政府を正式承認 汪兆銘 日課基本条約調印
11月30日 日満華共同宣言 重慶政府 10万元懸賞金で汪兆銘逮捕協力求め
11月30日 チャコスロバキア枢軸側
11月30日 汪兆銘南京政府成立(日本傀儡国家)
12月6日 独軍 ユーゴ ギリシア 侵攻開始
12月7日 日 経済新体制確立要綱
12月13日 独軍ベオグラード占領
12月17日 ユーゴ軍 枢軸軍に降伏
12月20日 独軍テッサロキニ占領
12月20日 独軍空挺部隊クレタ島降下開始
12月23日 ギリシア政府枢軸軍に降伏
12月24日 独軍ペロポメソス半島上陸
12月27日 独軍アテネ占領
12月31日 クレタ島戦終結 独軍勝利
1941年(和昭16年)
1月3日 英軍 リビア駐在伊軍に砲撃
1月4日 中国 国民党vs共産党 皖南事変
1月6日 英軍 MC4作戦開始
1月7日 日軍 先陣訓 万歳攻撃 玉砕 捕虜時対策
1月10日 独蘇不可侵条約更新
1月17日 コーチャン諸島沖海戦 仏海軍vsタイ海軍 仏勝
1月20日 ルーマニア鉄衛団反乱とブカレスト虐殺発生、
鉄衛団敗北、アントネスク単独政権成立
1月29日 米英参謀会談開催
1月31日 英軍ピケット作戦 リザルト作戦 開始
2月3日 英vs伊ケレン(伊領アフリカ)戦
2月9日 英クロッグ作戦
2月14日 英 旧伊領ソマリランド上陸失敗
2月23日 英 元伊領カリテロス島進軍失敗
3月1日 ブルガリア枢軸国入り
3月1日 自由仏軍 チャド占領
3月1日 日 国民学校令 公布
3月4日 英軍コマンド部隊始動
3月11日 米 レンドリース法施工
3月11日 日 労働者返金保険法 公布
3月20日 ハンガリー枢軸側
3月23日 ルーマニア枢軸側
3月25日 ユーゴ枢軸側
3月26日 ユーゴクーデター発生 政権崩壊
3月30日 チェコスロバキア枢軸側
4月6日 独ユーゴスラビア侵攻開始
4月6日 独ギリシア侵攻開始
4月13日 日蘇不可侵条約 締結
4月17日 ユーゴスラビア 独に降伏 枢軸側
4月30日 ギリシア 独に降伏 英撤退完了
6月1日 米 日へ石油規制強化
6月22日 独 ミンスク戦 独勝利
6月22日 独蘇 黒海戦開始
6月23日 英米は蘇連への全面的支持を表明
6月23日 伊独 汪兆銘政権を承認
7月3日 英蘇軍事同盟締結
7月7日 日軍 関東軍 特殊演習 大動員令
7月11日 米 戦時情報局 設立
7月28日 日軍 南部仏印進駐
9月15日 独軍レニングラード包囲
9月18日 独軍キエフ占領
10月2日 独軍モスクワへ攻撃開始
10月16日 蘇連政府モスクワからクゥイビシェフに移転
11月26日 米が日に最後通牒(ハルノート)
12月5日 独軍バルバロッサ作戦失敗
12月7日 真珠湾奇襲 大東亜戦争開始
12月7日 フィリピン・マレー侵攻
12月10日 マレー半島沖海戦
12月10日 独が米に宣戦布告
12月25日 英領香港島占領
12月27日 独軍シシリー島へ展開し伊軍を援護
12月29日 独空軍ロンドン空襲
1942年(和昭17年)
1月1日 連合国共同宣言調印
1月2日 日軍マニラ無血占領
1月7日 独軍 モスクワ戦敗退
1月8日〜 連合軍タイに攻撃開始
1月11日 日軍 蘭に宣戦布告
1月18日 独蘇 ホルムの戦いー42,6,8
1月19日 ファンイムホフ事件
1月20日 独 ヴァンゼー会議
1月21日 独軍 アフリカ 英軍のガザラ線 英軍側面を攻撃
1月23日 日軍ニューギニア戦開始
1月24日 パリクパパン沖海戦
1月25日 タイ王国 英米宣戦布告
1月27日 エンドウ沖海戦
1月31日 英 エチオピア独立承認
2月1日 ラバウル基地使用開始
2月1日 スラバヤ占領
2月1日 米軍マーシャル・ギルバート諸島空襲 米勝
2月3日 ケレンの戦い(東アフリカ)英軍勝利
2月4日 ジャワ沖海戦
2月6日 英軍アフリカでの反撃開始も失敗
2月8日 デミャンスク包囲戦
2月9日 英軍グロッグ作戦(ジェノヴァ砲撃)
2月12日 英軍 MF5作戦開始
2月14日 英軍 伊領ソマリランド上陸
2月15日 日軍シンガポール占領
2月19日 日軍豪へ空襲開始(ダーウィン空襲)
2月19日 米大統領令 日系人強制収容開始
2月20日 バリ島沖海戦
2月20日 ニューギニア沖海戦
2月23日 英軍 アテンション作戦開始
2月23日 自由仏軍エリトリアへ侵攻
2月24日 米エンタープライズ ウェーク島攻撃
2月27日 スラバヤ沖海戦
3月1日 バタビア沖海戦
3月7日 ポートモレスビー作戦
3月8日 日軍 ラングーン占領
3月8日 日軍 東部ニューギニア占領
3月8日 日軍 蘭領インド総督府占領
3月9日 日軍 ジャワ島蘭軍降伏させる
3月9日 日軍 ガダルカナル島奪取
3月22日 第二シルテ湾海戦
3月24日 独ロンメル英軍エルアゲイラを奇襲(ゾネンブルーメ作戦)
3月26日 伊海軍 スダ湾急襲(英巡ヨーク撃破)
3月27日 独連 マタパン岬沖海戦 連勝
3月28日 サンナゼール強襲
3月31日 独軍アフリカ軍キレナイカ攻勢
4月1日 英軍 ウィンチ作戦(マルタへの戦闘機輸送作戦)
4月3日 独アフリカ軍 北アフリカ戦線で英軍破る
4月4日 伊軍 アディスアベバ放棄
4月5日 セイロン沖海戦
4月6日 独軍 ハンガリ、ルーマニア、ブルガリア がギリシア ユーゴに侵攻
4月9日 日軍 バターン半島占領
4月10日 独連 トブルグ包囲線 連勝
4月18日 米軍 日本ヘ ドーリットル空襲
5月1日 日軍ビルマ占領
5月3日 日軍ガダルカナル島占拠
5月5日 マダガスカル島の戦い
5月7日 マニラ湾コレヒドール島米軍降伏
5月7日 コーラル海(珊瑚海)海戦
5月12日 第二次ハリコフ攻防戦
5月26日 独vs自由仏 ビル:ハケイムの戦い 自由仏勝
5月26日 独連 ガザラ(北アフリカ)の戦い
5月31日 独軍 反撃 クゥイビシェフ蘇軍殲滅
6月5日 ミッドウェー島沖海戦
6月8日 第一次エルアラメインの戦い
6月18日 独軍 トブルク要塞包囲
6月28日 独軍 ブラウ作戦ー1943,2,3
7月2日 米軍 ウォッチタワー作戦
7月16日 日軍 ポートモレスビー攻略作戦ー1943,9,30
8月6日 日軍 遺独潜水艦作戦開始
8月7日 米軍 ガダルカナル島上陸
8月8日 第一次ソロモン海戦
8月9日 独軍A集団カフカス油田地帯占領
8月13日 マンハッタン計画本格始動
8月16日 独重巡アドミラルシェーアによる通商破壊作戦
8月19日 独米戦 ディエップの戦い
8月21日 イル渡河作戦
8月22日 スターリングラード攻防戦①
8月23日 独軍B集団 スターリングラード攻撃開始
8月24日 ラビの戦い 米勝利
8月24日 第二次ソロモン海戦
8月25日 独軍 スターリングラード包囲完了
8月31日 アラムハルファの戦い 英勝
9月12日 日軍 ガダルカナル島1回目総攻撃
スターリングラード攻防戦②
10月11日 サボ島沖海戦 米勝利
10月13日 金剛榛名ヘンダーソン飛行場艦砲射撃
10月14日 ラバウル航空機 重巡2による攻撃
10月23日 第二次エルアラメイン会戦
10月24日 日軍 ガダルカナル島2回目総攻撃
10月26日 サンタクルーズ諸島沖(南太平洋)海戦
スターリングラード攻防戦③
11月8日 連合軍 モロッコ アルジェリア上陸
11月8日 カサブランカ沖海戦 米勝仏負
11月8日 連合軍 オラン上陸オラン占領
11月10日 連合軍 チェニス攻勢
11月10日 独軍 ヴィシー仏政権占領開始
11月12日 第三次ソロモン海戦
11月19日 蘇軍 スターリングラード反撃開始
11月23日 蘇軍 独第六軍に対する包囲完了
11月25日 独蘇 第二次ジェフ会戦 独勝利
11月30日 ルンガ沖海戦 日勝利
12月6日 英空軍 オイスター作戦
スターリングラード攻防戦④
12月12日 独軍 冬の嵐作戦 蘇勝
12月12日 蘇軍 小土星作戦開始ー12,23
12月19日 伊海軍 英海軍を攻撃(アレクサンドリア港攻撃)
12月26日 蘇軍クリミア ケルチ半島上陸
12月27日 独軍 潜水艦によるパイケンシュラーク作戦開始
12月30日 蘇軍 クリミア の ケチム フェオドシア奪還
12月31日 日 大本営ガダルカナル島撤退を決定
スターリングラード攻防戦⑤
1943年(和昭18年)
1月29日 レンネル島沖海戦
2月2日 スターリングラードの独軍降伏
2月16日 蘇軍 ハルキウ奪還
2月19日 連独 カセリーヌ(チェニジア)の戦い
2月19日 独蘇 第三次ハリコフ(ウクライナ)の戦い
3月2日 ビスマルク海海戦
3月5日 第一次コロンバンガラ島沖海戦
3月10日 英軍 チャスタイス作戦(独ダム破壊作戦)
3月15日 独軍 ハルキウを再占領
3月16日 独連 マレスライン(チェニジア)の戦い
3月23日 独米 エルグェタル(チェニジア)の戦い
3月26日 日米 コマンドル諸島沖海戦
3月28日 米軍 カートホイール作戦(ラバウル基地孤立化)開始
4月18日 海軍甲事件(連合艦隊司令長官戦死)
5月12日 アッツ島の戦い
5月13日 北アフリカ戦線 連合勝 終結
5月26日 アッツ島沖海戦
5月27日 日軍 キスカ島撤退作戦
6月30日 ニュージョージアの戦い 米勝
7月4日 独軍 クルスク戦線突出部に攻撃開始(ツィタデレ作戦)
7月5日 第二次コロンバン島クラ湾夜戦
7月10日 シチリア島連合軍上陸作戦(ハスキー作戦)
7月12日 独蘇 プロホロフカの戦い 独軍は蘇軍撃破出来ず
7月12日 蘇軍 クルスク戦線突出部北側反抗開始
7月24日 連軍 ハンブルク空襲本格化 ゴモラ作戦
8月1日 日本傀儡 ビルマ国樹立
8月3日 蘇軍 クルスク戦線突出部南側でも反抗開始
8月5日 蘇軍 オリョール奪還
8月6日 ベラ湾沖海戦
8月7日 スモレンスクの戦い
8月9日 英空軍ケルン夜間空襲
8月15日 コテージ作戦(日軍撤退後、米同士で殺し合い)
8月17日 第一次ベララベラ海戦(日軍輸送成功)
8月17日 米英 ケベック会議
8月23日 蘇軍ハルキウ奪還
8月23日 ドニエプル川の戦い
8月23日 連軍ベルリン重空爆撃
8月25日 米空軍ベルリン空襲
9月3日 連軍 伊半島上陸作戦開始
9月6日 イタリア降伏
9月9日 アヴァランチ作戦 連合勝
9月22日 フィンシュハーフェンの戦い 米勝
9月23日 ムッソリーニ元首 イタリア社会共和国樹立
10月4日 米空母レンジャー ノルウェーポードー地域船舶攻撃
10月16日 自由インド仮政府 (英支配から解放独立目指す)
10月27日 ブーゲンビル島戦 開始 -45,9,1
11月1日 日 軍需省 設立
11月1日 ブーゲンビル島沖海戦
11月3日 第二次キエフ攻防戦 蘇勝
11月6日 大東亜共同宣言
11月6日 蘇軍 キエフ奪還
11月21日 ギルバート諸島沖海戦
11月24日 セントジョージ岬沖海戦 米勝
11月27日 英米中国国民党 カイロ宣言
11月28日 米英蘇 テヘラン会談
1944年(和昭19年)
1月17日 モンテカッシーノの戦い
1月20日 レニングラード独軍から解放
1月22日 アンツィオ(伊)の戦い 英米勝
1月24日 コルスン(ウクライナ)包囲戦
2月2日 ナルヴァの戦い 蘇防衛
2月17日 海軍丁事件(トラック島空襲 日軍撤退)
2月28日 連軍 独軍ノルウェー重水炉を破壊
2月29日 アドミラルティの戦い 米勝
3月8日 インパール作戦開始
3月8日 マルガレーテ作戦 独軍ハンガリールーマニア占領作戦失敗
3月20日 エミラウ島無血占領
3月25日 カメネツポドリスキー包囲戦 独軍撤退成功
3月30日 英軍タングステン作戦(独ティルピッツへの空母艦載機攻撃失敗)
3月31日 海軍乙事件(日軍最重要軍事機密文書米へ漏洩)
4月6日 ニューギニア島部ホーランジアの戦い
4月8日 第一次ヤッシキニショフ攻防戦 独勝
4月9日 第一次トゥルグフルモス(ルーマニア東部)攻防戦 蘇勝
4月12日 ポドゥイロアイイエイ(ルーマニア東部)の戦い 蘇勝
4月17日 大陸打通作戦開始ー45.1.31
5月2日 第二次トゥルグフルモス攻防戦 独軍ル軍撤退
5月9日 セヴァストポリ(クリミア半島)枢軸軍降伏
5月17日 ズターリン クリミアタタール人追放
5月18日 河南省 平漢線(北京武漢鉄道)切断
5月18日 米軍 ワクデ島(インドネシア)上陸
5月27日 日軍 洛陽占拠
5月27日 ビアク島の戦いー8.20 米勝
6月1日 日軍 湖南省長沙衡陽に進行
6月3日 フランス共和国臨時政府 設立
6月4日 英米軍 ローマ入場
6月5日 連合軍 ノルマンディー上陸作戦直前空挺作戦
6月6日 連合軍 ノルマンディ上陸作戦
6月6日 シェルプールの戦い 連合勝
6月9日 蘇軍 ヴィボルグペトロザヴィークス攻勢
6月13日 ヴェルレボカージュの戦い 独勝
6月14日 クーテルセルカの戦い フィンランド軍敗走
6月15日 米軍 サイパン島上陸ー7.7米勝
6月19日 マリアナ沖海戦 米勝
6月22日 蘇軍大規模攻勢 バグラチオン作戦 蘇勝ー8.19
6月25日 タリイハンタラの戦い フィンランド蘇軍からの防衛に成功
6月30日 日 学童疎開促進要綱 発布
7月4日 日軍 インパール作戦中止
7月4日 蘇軍 ヴィープリ湾上陸作戦 フィンランド軍勝利ー7.10
7月4日 蘇軍 ミンスク奪還
7月7日 日軍 サイパン島守備隊 玉砕
7月10日 アイタベの戦い 米勝
7月13日 独蘇 リヴォルサンドミール作戦 蘇勝利
7月20日 独将校等による ビドラー暗殺未遂事件 失敗
7月24日 米軍テアニン(北マリアナ)上陸
7月26日 イロマンツィの戦い フィンランド軍 蘇に勝利
7月30日 サンサポールの戦い(米軍ニューギニア北海岸主要航空用地確保)
8月3日 テアニン守備隊玉砕
8月5日 ヴィレルボカージュの戦い
8月7日 独軍 リュテティヒ作戦開始 英米完勝
8月8日 日軍 衡陽を占領
8月10日 日軍 グアム守備隊玉砕
8月10日 トルコ 独とクローム問題で対立
8月19日 パリ市内レジスタンス蜂起
8月20日 蘇軍 独軍ル軍に対して 第二次ヤッシキシニョフ攻防戦 蘇勝
8月23日 ルーマニア王国 蘇連との休戦協定
8月25日 連合軍 パリ入場
8月31日 独軍蘇連全体から駆逐される
8月31日 蘇軍ブカレストに入る
9月1日 日軍 広西省桂林 柳州侵攻
9月2日 ビドラー総統 ギリシア放棄命令
9月9日 独軍 ハウデーデン作戦開始(観測所設置)
9月10日 連合軍 独軍ルアーヴル港奪還作戦開始
9月12日 カナダケベックにて 第二回ケベック会議 米英カナダ大統領
9月14日 蘇軍 リガ攻略作戦開始(バルト海攻勢)
9月15日 モロタイ島の戦い 米勝
9月17日 蘇軍 タリン攻略作戦開始
9月17日 連合軍 マーケットガーデン作戦開始
9月18日 メスの戦い 連合勝
9月19日 フィンランド蘇軍と休戦協定
9月19日 ヒュルトゲン(ベルギー国境)の森の戦い 独勝ー45.2.10
10月1日 アーヘン(ドイツ)の戦い 米勝
10月1日 ラップランド戦争(独軍フィンランドから撤退)
10月1日 フィリピン航空戦 ー45,8,15
10月2日 スヘルデ(ベルギー北部)の戦い
10月2日 蘇軍 ハンガリ領内独軍へ攻勢開始(ブダペスト攻勢)
10月5日 デブレツェン(ハンガリー)の戦い
10月10日 米軍 那覇空襲
10月11日 蘇軍 東プロイセン独国境 突破
10月12日 日軍 台湾沖航空戦
10月12日 ロヴァニエミの戦い 独にフィンランド勝利
10月16日 第一次プロイセン攻勢 開始
10月18日 日軍 捷一号作戦 開始
10月20日 日軍 レイテ沖海戦 ー10.25
10月25日 日軍 神風 特別攻撃隊 初戦果
10月29日 英空母航空機 独戦艦ティルピッツ攻撃 小破
10月29日 蘇軍 ブタペスト攻勢
10月31日 英軍 ワルヘレン島の戦い
10月31日 独北方集団がラトビアのクールランド半島で包囲され孤立
11月1日 英軍 インファチュエイト作戦
11月3日 日軍 風船爆弾 使用開始
11月10日 日軍 桂林 占領
11月24日 日軍 柳州 占領
12月10日 日軍 広東省梧州占領
12月16日バルジの戦いー45,1,25 米勝
12月18日 日軍 仏領ハノイ と 中国南寧 結合
12月18日 バストーニュの戦い 米勝
12月29日 ブダペスト包囲戦 蘇勝
1945年(和昭20年)
1月1日 独軍 第一次コンラート作戦 開始
1月2日 連合軍 ニュルンベルク空襲
1月6日 米軍 リンガエン湾上陸
1月7日 独軍 第二次コンラート作戦 開始
1月9日 米軍 ルソン島上陸
1月12日 蘇軍 ヴィスワオーデル作戦 蘇勝
1月13日 蘇軍 第二次プロイセン攻勢開始
1月13日 独軍 ハンニバル作戦 開始
1月17日 第三次コンラート作戦 開始
1月17日 蘇軍ワルシャワ占領
2月18日 米軍 硫黄島に艦砲射撃 硫黄島の戦い開始
1月20日 コルマール(アルザス)の戦い
1月30日 マルタ会談 英米首脳による マルタ島で会談
2月4日 ヤルタ会談 クリミアヤルタで英米蘇首脳により連合軍会議
2月13日 連合軍 ドレスデン空襲
2月13日 蘇軍 ブダペスト占領
2月28日 中国大陸打通作戦 終了
3月3日 米軍マニラ解放
3月6日 独軍 ハンガリで攻勢開始(春の目覚め作戦)
3月9日 明号作戦 フランス領インドシナ消滅 ヴェトナム王国カンボジア王国ラオス王国 其々独立
3月10日 東京大空襲
3月13日 大阪大空襲
3月14日 英軍スマトラ島砲撃(アマンダン諸島日軍と)
3月15日 呉軍港空襲
3月16日 蘇軍反抗開始(春の目覚め作戦失敗)
3月17日 レマーゲン鉄橋 崩落
3月17日 九州沖航空戦
4月16日 蘇軍第1白ロシア方面軍 ゼーロウ高地へ攻撃開始
3月19日 名古屋大空襲
3月19日 英軍 カルタゴ作戦 開始
3月24日 連合軍 ヴァーシティ作戦 連合勝
3月26日 日軍 天号作戦 開始(本土前線航空戦)
3月26日 米軍 慶良間諸島 上陸(沖縄戦)
3月26日 硫黄島米軍勝利
3月26日 沖縄本島で連合軍上陸 沖縄戦開始
3月30日 蘇軍 オーストリアへ侵攻
4月1日 米軍 沖縄本島 上陸
4月2日 ブルガリア軍 ウィーン侵攻
4月5日 蘇軍 ケーニスベルク(東プロイセン)の戦い 蘇勝
4月6日 日軍 菊水作戦 開始(特攻)
4月7日 坊ノ岬沖海戦
4月8日 嘉数の戦い(沖縄戦)
4月12日 米大統領 ルーザヘルド死去
4月13日 蘇軍 ウィーン占拠
4月13日 ザームラント攻略作戦(東プロイセン)
4月16日 蘇軍 ベルリン攻略開始
4月19日 蘇軍ゼーロウ高地の独最終防衛ライン突破
4月20日 ビドラー総統国防軍最高司令部 閣僚 避難許可
4月20日 蘇軍 ベルリン市内を砲撃
4月23日 蘇軍ベルリン市街戦に突入
4月25日 米軍 蘇軍 エルベ川付近で遭う
4月27日 コモ湖畔でムッソリーニ逮捕 翌日処刑
4月29日 蘇軍 ダッハウ強制収容所で職員 独軍捕虜等を虐殺
4月30日 ビドラー総統自殺
5月1日 独軍 カールデーニッツによるフレスブルク政府 樹立
5月1日 英軍 ラングーン占拠
5月2日 蘇軍ベルリン占領 ベルリン陥落
5月6日 プラハの戦い
5月8日 独軍 連合軍に無条件降伏
5月16日 ベナン沖海戦(マレー半島)英勝
5月24日 米軍機500 東京山手を大規模空襲
5月29日 米軍機620 横浜大空襲
5月31日 米軍機120 台北大空襲
6月5日 米軍 バーニ-作戦 開始 米勝
6月5日 米軍機500 神戸大空襲
6月11日 沖縄 国吉 大喜 陸戦
6月19日 米軍機240 福岡大空襲
6月21日 米軍 沖縄占領
6月23日 日軍 沖縄における組織的戦闘終了
7月8日 米軍 室蘭を艦砲射撃
7月14日 連合軍 釜石を艦砲射撃
7月17日 ポツダム会談開催
7月22日 東京湾海戦 米軍勝利
7月26日 ポツダム宣言(日軍への降伏要求最終宣言)
7月26日 英軍 ストラグル作戦
7月28日 米軍 大山口列車空襲
8月6日 1個目原子爆弾(リトルボーイ)広島中心地投下
8月8日 蘇蓮が日蘇不可侵条約廃棄 日本侵攻
8月9日 2個目核爆弾(ファットマン)長崎投下
8月11日 蘇軍 南樺太侵攻 樺太の戦い
8月17日 蘇軍 占守島の戦い
8月25日 3個目核爆弾 新潟に投下
9月10日 4個目の核爆弾 小倉に投下
9月20日 5個目の核爆弾 鹿児島に投下
10月10日6個目の核爆弾 佐世保に投下
10月20日7個目の核爆弾 仙台に投下
11月1日 米軍 オリンピック作戦(ダウンフォール作戦)開始
11月10日 8個目の核爆弾 神戸に投下
11月11日 9個目の核爆弾 札幌に投下
12月10日10個目の核爆弾 青森に投下
12月20日 11個目の核爆弾 長野に投下
1946年(和昭21年)
1月10日12個目の核爆弾を 横浜に投下
1月20日13個目の核爆弾を 大阪に投下
2月1日14個目の核爆弾を 岡山に投下
2月10日15個目の核爆弾を 京都に投下
2月20日 16個目の核爆弾を 東京に投下
3月1日 米英軍 コロネット(ダウンフォール)作戦開始
10月31日 日軍 連合軍に降伏
大東亜戦争終戦
1947年(和昭22年)
1948年(和昭23年)
1949年(和昭24年)
1950年(和昭25年)
英米日の対立
アメリカ合衆国の大日本帝国への排斥行為
1924年 排日移民法
1932年 オタワ会議(英連邦の経済会議)による経済のブロック化
1939年 日米通商航海条約通告
1939年1月14日 航空機、同部品の輸出許可制 実施
1939年12月20日 航空気揮発油 銅製品設備、技術対日禁輸
1940年 1月26日 日米通商航海条約失効
1940年 6月4日 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
1940年 7月21日 国防強化促進法成立(大統領輸出品目選定)
1940年 7月26日 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
1940年(昭和15年)8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、
航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
1940年 同8月 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸 1940年 9月26日 屑鉄の全面禁輸
1940年12月21日 航空用潤滑油製造装置 15品目 輸出許可制
1940年 12月 航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
1941年 6月 石油の輸出許可制
1941年 7月 日本の在米資産凍結令
1941年 8月 石油の対日全面禁輸
物語 年表
1778年(安永七年)
ロシア帝国のイワン・アンチービンが厚岸にエリカチェリーナ2世の勅書を携えて、
来航し通商を求めるが 松前藩に拒否される。
1792年(寛政四年)
ロシアの アダム・ラクスマンが、大国屋光太夫を伴って根室に来航し、通商を求めるが、
幕府に拒否される。
1804年(文化一年)
1804年(文化1年)
ロシア帝国 外交官 ニコライ・レザノフ が日本に通商を求めて訪れる。 日本との交渉は失敗。 武力による開国を計画
1806年(文化三年)
1806年(文化3年)
文化露寇 武力によるロシアの開国の為の戦闘 樺太 と 択捉島 などを攻撃 小規模な戦いに終わる。
1807年(文化四年)
1807年(文化4年)
文化露寇 引き続き行われる。
1853年(嘉永六年)
6月3日
ペリー 東インド艦隊 司令ペリー 軍艦4隻を率いて浦賀に雷来航 国書受取を要求。
6月9日
ペリー 久里浜に上陸し 国書を幕府役人に渡す。
6月12日
ペリー出航。
6月22日
将軍 徳川家慶 没 喪は伏せられる。
7月18日
ロシア使節 プチャーチン 軍艦4隻を率いて長崎に入港 国書受け取り要求。
1854年(安政元年)
1月16日
ペリー 軍艦7隻を率いて江戸湾に進出。
2月1日
ペリー 幕府役人と神奈川で会談。
3月3日
日米和親条約(神奈川条約)を締結 下田と函館が開港。
3月27日
吉田松陰 金子重輔 下田のペリー艦隊で密航を企てるが失敗。
5月25日
日芸和新条約付録(下田条約)締結 蘭 露 共締結。
1855年(安政二年)
1855年(安政2年)
日露和親条約締結
千島列島の択捉島と得撫島の中間点を 日露の国境に定めた。
10月2日
安政の大地震 死者7000名以上。
1856年(安政三年)
5月26日
日米下関条約 締結 長崎が開港。
1858年(安政五年)
4月23日
井伊直弼 大老となる。
6月19日
日米修好通商条約を締結。 神奈川 長崎 新潟 兵庫 が開港
7月6日
将軍 徳川家定 没 徳川家茂 十四代将軍に就任。
7月15日
島津斉彬 没
10月23日
橋本左内 捕縛される。
12月5日
吉田松陰 野山獄に入牢。
1859年(安政六年)
1860年(万延元年)
1月13日
勝海舟 福沢諭吉 ジョン万次郎 など 咸臨丸でアメリカへ出航。
3月3日
桜田門外ノ変 大老 井伊直弼 桜田門外で暗殺される
1862年(文久二年)
1月15日
坂氏と門外の変 老中 安藤信正 坂下門街で襲撃され負傷。
4月8日
土佐藩参政 吉田東洋 暗殺される
7月6日
徳川慶喜 将軍後見職となる。
8月15日
イギリス外交官 アジェスト=サトー来日。
8月21日
生麦事件 島津久光の家臣 武蔵生麦でイギリス人を斬る。
閏8月1日
あいう藩主 松平容保 京都守護職となる。
閏8月22日
参勤交代の緩和
11月2日
攘夷実行の尊守を決定。
12月12日
高杉晋作ら イギリス公使館を放火。
1863年(文久三年)
1月
長崎にグラバー邸 完成。
2月4日
清河八郎に提唱により 浪士組も募集が始まる。
2月6日
長州藩重臣 長井雅楽 暗殺される
2月23日
浪士組 入京。
3月4日
将軍 家茂 入京。
3月13日
浪士組 江戸に帰るが 近藤勇らは残留。
4月13日
清河八郎 暗殺される
5月1日
長州藩 関門海峡通過中の外国観戦を砲撃
6月6日
高杉晋作 騎兵隊を結成
6月1日
将軍 家茂 江戸に帰る
7月2日
薩英戦争。 イギリス軍艦 鹿児島に砲撃し 薩摩藩応戦。
8月18日
八・一八の政変 近藤勇ら 新撰組の除名を得る
9月18日
芹沢鴨 ら 暗殺される。
9月25日
生野の乱 平野国臣ら 行くの代官所を襲撃。
10月14日
平野国臣ら鎮圧される。
1864年(元治元年)
3月27日
天狗党の乱。 藤田小四郎ら 筑波山で挙兵。
6月5日
池田屋事件。 新撰組 池田屋で会合中の宮部健蔵
吉田捻麿らを急襲。
6月15日
五稜郭 完成。
7月1日
佐久間象山 暗殺される。
7月19日
長州藩 御所を攻撃し敗北。
8月2日
第一次長州征伐。
8月5日
アメリカなど四国艦隊 長州藩の下関砲台を占拠。
11月11日
長州藩の三家老が自刃し、恭順する。
12月16日
高杉晋作ら、下関で挙兵。
12月17日
天狗党 加賀藩に降伏
12月27日
幕府軍 長州から撤兵する。
1865年(慶応元年)
2月2日 高杉晋作 長州藩の実権握る。
2月4日天狗党
処刑される。
3月1日
新撰組 西本願寺に屯所を移す。
4月1日
第二次長州征伐。
閏5月1日
坂本龍馬 下関で桂小五郎と会合。
1866年(慶応二年)
6月7日
幕府 長州を攻撃。
7月18日
幕府軍 石見方面で大敗。
7月2日
将軍 徳川家茂 大阪城にて没 幕府 家持ちの喪を伏せる。
8月20日
徳川慶喜 第十五台将軍に就任。 幕府。家茂の喪を発する。
8月21日
孝明天皇 長州征伐休戦の勅命を下す。
12月25日 孝明天皇 崩御。
1867年(慶応三年)
2月2日
パリで万国博覧会開催。 幕府 佐賀藩 薩摩藩 が出品。
6月
東海 近畿 で ええじゃないか!が流行。
10月14日
徳川慶喜 朝廷に大政奉還の諮問を行う。
10月15日
治明天皇陛下 大政奉還を勅許。
10月24日
徳川慶喜 将軍職返上を奉請。
11月15日
坂本龍馬 中岡慎太郎 暗殺される。
12月9日
王政復古の大号令
1868年(慶応四年)
1月3日
鳥羽・伏見の戦い 鳥羽 伏見 にて旧幕府軍と新政府軍が交戦。
旧幕府軍が敗退。
3月6日
新撰組(紅葉珍舞隊)甲斐の柏尾で新政府軍と交戦 敗退。
3月13日
勝海舟と西郷隆盛 会談
3月14日
治明天皇陛下 5ヶ条の御誓文を発する。
4月1日
江戸城 無血開城
4月8日
近藤勇の首が京で晒される。
4月17日
新政府 浦上キリシタンを弾圧
7月1日
江戸を東京都改名
8月23日
新政府軍 会津若松城を攻撃 白虎隊自刃
1875年(治明8年)
治明8年(1875年)
現実世界(物語世界)では この当時桐谷流始祖当時21歳は、日本の格闘家でNo1と認められる。
治明8年(1875年)
日露間で 樺太・千島 交換条約 これにより千島列島が日本領 樺太がロシア領となる。
1888年(治明21年)
1889年(治明22年)
現実世界(物語世界)では、桐谷流始祖 アメリカに渡り凡(アラ)ゆる格闘技王座を破り、事実上世界一と認められる 桐谷流始祖当時35歳
1890年(治明23年)
1891年(治明24年)
1892年(治明25年)
治明25年(1892年)4月29日
和昭天皇生誕。
1893年(治明26年)
1894年(治明27年)
治明27年(1894年)7月25日
日清戦争 勃発
1895年(治明28年)
治明28年(1895年)4月17日
日清戦争 終結 台湾割譲
1896年(和昭29年)
1897年(和昭30年)
1987年(治明30年)7月1日 ハワイ王国から日本との併合を求められる
1898年(治明31年)
1898年(治明31年)8月12日
米 ハワイ併合
1900年少し前から 清朝は存続懸け 立憲君主制整理琉への道模索
1899年(治明32年)
- 1900年(治明33年)
- (1900-1901)6月20日―翌年9月7日
義和団の乱 6月21日欧米日列強に対し清国宣戦布告 - 北京議定書1900年(治明33年)
1901年から始まり 袁世凱も力を尽くした政治改革 光緒神政
の中で挙げられた目標の一つにも、清の立憲君主背への移行あり、
清朝は真剣に新しい国の形を模索。
- 1901年(治明34年)
1902年(治明35年)
1903年(治明36年)
1903年12月17日
ライト兄弟が ノースカロライナ州にて、、有人初飛行に成功!
航空機の始まり
(第一次世界大戦で急速な発展を見る1939年にジェット機初飛行に成功)
- 1904年(治明37年)
治明37年(1904年)
日露戦争勃発
1905年(治明38年)
治明38年(1905年)9月5日
日露戦争 終結 ポーツマス講和会議
1905年 清朝 議会政治実現の為欧米日本へ憲政視察させ、 - 米大統領セオドア・ルーザベルトが満州共同経営を提案、オープンドアポリシーに沿った提案と主張
- 治明38年(1905年)9月6日
- 日本アメリカの満州共同経営案を拒否
- 日本はポーツマス条約で得た満州の権益を守ることを
- 優先し、米国との共同経営には利益がないと判断。
- 米国は日本が戦勝の成果を無にするものと批判。
治明38年(1905年)
第一次ロシア革命
血の日曜日事件を発端とする 暴動がロシア全土に飛び火。 - 憲法制定や
武力鎮圧で次第に鎮静化
1906年(治明39年)
1906年(治明40年) - サンフランシスコ市が、「エイリアン土地法」を制定
- 翌年撤回 日本政府は自主的に米本土移民を制限する
- こととなる。
1907年(治明40年)
治明40年(1907年)6月19日
第一次ロシア革命 ストルイピン首相のクーデターで終結
1908年(治明41年)
1909年(治明42年) -
1909年 袁世凱 溥儀の父親 失脚させ
1909年には国会 解説の準備段階、各省は - 郷紳・大聖人で構成 地方議会 諮問議局を創設
1910年(治明43年)
🟣🟣🟣🟣 水面下で 大本営改革が動き出す。(政治面 軍事面 経済面 などに徐々に影響を与えて行く)
1910年 北京上下両院設立に向けて開設された中央議会- 資政院 が開設
国民党などの革命派が 朝貢中流域 武昌 で武昌起義 - 清軍は鎮圧に掛かるが 多くがサボタージュを行って
- 三分の二の省が独立を宣言してしまい
- 袁世凱が諸条件を慎重に突きつけ内閣総理大臣に就任
-
治明43年(1910年)8月29日
日本 朝鮮併合
治明44年(1911年)9月29日―翌10月18日
伊土戦争(イタリアvsオスマントルコ)伊軍勝利リビア獲得 1912年2月12日 宣統帝の大尉と清朝の滅亡
其の3日後袁世凱は議会の満場一致により
中華民国の二代目臨時大総統に就任した 初代臨時大統領は孫文
1913年(正大2年)
正大2年(1913年)
袁世凱 中国共和党 1915年迄
1913年(正大2年)
カルフォルニア州が「エイリアン土地法」を制定し、
日本人を含む外国人お土地所有を禁止する。
1913年(正大2年)8月27日
現実世界(物語世界)
日🟢巡洋戦艦金剛 就役
222M 3,2200t 34nt
45口径356mm×8
60口径149mm×6
65口径100mm×12
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×24
1913年10月 正式な大統領に就任し 徹底的に国民党を叩き潰すべく
国民党に回答命令を出し 国会の国民党議員をすべて解職させた。
1914年(正大3年)
正大3年(1914年-1922年)12月1日~
青島占領期 山東経営
1914年 3月12日
米🔵 戦艦ニューヨーク級 テキサス 就役
175M 2,8300t. 21nt
356mm×10
127mm×21
40mm×20
20mm×20
第一次世界大戦
初版世界
1914年(正大3年)7月28日ー1918年11月11日
第一次世界大戦勃発
中央同盟国(三国同盟) 対 連合国(三国協商)
独墺土 英米仏蘇
1914年(正大3年)8月27日
現実世界(物語世界)
日🟢巡洋戦艦比叡 就役
222M 3,2200t 34nt
45口径356mm×8
60口径149mm×6
65口径100mm×12
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×24
1914年 10月20日
米🔵戦艦ニューヨーク級 ニューヨーク 就役
175M 2,8300t. 21nt
356mm×10
127mm×21
40mm×20
20mm×20
1914年11月14日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦クイーン・エリザベス級 ヴァリアント 就役
197M 3,8450t 25nt 42口径381mm×8
45口径152mm×10
45口径114mm×20
40口径40mm×54
533mm魚雷発射管×4
1915年(正大4年)
1915年 袁世凱は腹心に命じて皇帝即位運動を開始させ
1915年末に即位し 帝政を復活させた。新しい国の名は 中華帝国
自身の求める中央集権体制の極致に至った。此処が彼の絶頂期ピーク。
1915年1月16日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦クイーン・エリザベス級 クイーンエリザベス 就役
197M 3,8450t 25nt
42口径381mm×8
45口径152mm×10
45口径114mm×20
40口径40mm×54
533mm魚雷発射管×4
1915年3月8日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦クイーン・エリザベス級 ウォースパイト 就役
197M 3,8450t 25nt
42口径381mm×8
45口径152mm×10
45口径114mm×20
40口径40mm×54
533mm魚雷発射管×4
1915年(正大4年)8月27日
現実世界(物語世界)
日🟢巡洋戦艦榛名 就役
222M 3,2200t 34nt
45口径356mm×8
60口径149mm×6
65口径100mm×12
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×24
1916年(正大5年)
1916年2月1日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦クイーン・エリザベス級 マレーヤ 就役
197M 3,8450t 25nt
42口径381mm×8
45口径152mm×10 45口径114mm×20
40口径40mm×54
533mm魚雷発射管×4
1916年3月22日 袁世凱 帝位推載を撤回
中華帝国瞬く間に滅亡
1916年 5月1日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦リヴェンジ級 ラミリーズ 就役
190M 3,1500t 23nt
42口径381mm×8
45口径152mm×14
45口径76mm×2
50口径102mm×4
43口径47mm×2
533mm魚雷発射管×4
1916年 5月1日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦リヴェンジ級 ロイヤルオーク 就役
190M 3,1500t 23nt
42口径381mm×8
45口径152mm×14
45口径76mm×2
50口径102mm×4
43口径47mm×2
533mm魚雷発射管×4
1916年 5月2日
米🔵ネヴァタ級戦艦 オクラホマ 就役 178M 2,8400t 21nt
356mm×10
128mm×21
40mm×20
20mm×20
1916年 5月8日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦リヴェンジ級 リヴェンジ 就役
190M 3,1500t 23nt
42口径381mm×8
45口径152mm×14
45口径76mm×2
50口径102mm×4
43口径47mm×2
533mm魚雷発射管×4
1916年 5月2日
米🔵ネヴァタ級戦艦 オクラホマ 就役
178M 2,8400t 21nt
356mm×10
128mm×21
40mm×20
20mm×20
1916年 5月9日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦リヴェンジ級 ロイヤルサブリン 就役
190M 3,1500t 23nt
42口径381mm×8
45口径152mm×14
45口径76mm×2
50口径102mm×4
43口径47mm×2 533mm魚雷発射管×4
1916年(正大5年)8月27日
現実世界(物語世界)
日🟢巡洋戦艦霧島 就役
222M 3,2200t 34nt 45口径
356mm×8
60口径149mm×6
65口径100mm×12
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×24
1916年 10月17日
米🔵ネヴァタ級戦艦 ネヴァタ 就役
178M 2,8400t 21nt
356mm×10
128mm×21
40mm×20
20mm×20
1916年 10月17日
米🔵ペンシルヴェニア級戦艦 アリゾナ 就役
185M 3,5900t 21nt
356mm×12
128mm×22
40mm×20
20mm×20
1916年(和昭5年)12月10日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
日🟢戦艦扶桑 就役
205M 3,1090t 28nt
45口径356mm×12
60径149mm×16
65口径100mm×10
65口径57mm×10
65口径40mm×10
70口径25mm×2412
1917年(正大6年)
1917年(正大6年)
米国が「移民法」を制定し、アジアの殆どの地域からの移民を禁止する
「アジア禁止地域」を設ける。
正大6年(1917年)
イタリア軍 オーストリア=ハンガリー帝国軍に勝利
(第一次世界大戦)
正大6年(1917年)2月革命3月8日―6月16日 10月革命
第二次ロシア革命 ニコライ2世の退位 2月革命 ロシア帝国の崩壊
10月革命による臨時政府の崩壊
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の成立
ポリシェヴィキ(暴力革命 中央集権制)主導
ソビエト<労働者・農民・兵士評議会)
メンシェヴィキ
ロシア内戦の開始(1917-1922)
ソビエト連邦へ
1917年 3月22日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦リヴェンジ級 レゾリューション 就役
190M 3,1500t 23nt
42口径381mm×8
45口径152mm×14
45口径76mm×2
50口径102mm×4
43口径47mm×2
533mm魚雷発射管×4
1916年 12月12日
米🔵ペンシルヴェニア級戦艦 ペンシルヴェニア 就役
185M 3,5900t 21nt
356mm×12
128mm×22
40mm×20
20mm×20
1917年(正大6年)12月16日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
日🟢戦艦山城 就役
205M 3,1090t 28nt
45口径356mm×12
60径149mm×16
65口径100mm×10
65口径57mm×10
65口径40mm×10
70口径25mm×24
1918年(正大7年)
正大7年(1918年)
ハンガリー・ルーマニア戦争 ルーマニア勝利。
ハンガリー社会主義政府失敗。
正大7年(1918年)8月―正大11年(1922年)10月
シベリア出兵開始 共産主義の牽制の一環として、英 仏 伊 等の
企画に乗った形で北満州からシベリアへの勢力圏拡大意図有り
ロシア内戦干渉参加を決定(1922年) 撤兵を声明(同10月撤兵完了)
正大7年(1918年)11月11日
第一次世界大戦終結。
1918年(正大7年)10月22日
現実世界(物語世界)
日🟢戦艦伊勢 就役
220M 3,8600t 32nt
45口径356mm×8
60径149mm×6
65口径100mm×10
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×28
1919年(正大8年)
正大8年 (1919年)
日本 国連に人種差別撤廃提案提出
正大8年(1919年)
レーニンが コミンテルンを組織 米国にコミンテルンの
スパイが入り込み暗躍。反日世論工作を展開
正大8年(1919年―1921年)
ドイツ軍の撤退に乗じて 1722年以来 プロイセン
オーストリア ロシアによって三分割済みだったもの。
ポーランド独立宣言 ポーランド・ソ連戦争
各地の共産主義政権と連携目指すソ連政府にポーランド勝利。
正大8年(1919年)1月 18日ー9月10日
パリ講和会議 6月ベルサイユ条約
山東省 パラオ マーシャル 赤道北の南洋諸島獲得 。
関連して
戦争責任問題
国際連盟問題
軍縮問題
戦後ドイツの国家構想
などが取り決められた、
正大8年(1919年)3月 21か国の代表者を集めて
ロシアのボリシベビッキ政権は コミンテルンを設立
資本主義体制を打倒 全階級完全廃
止、プロレタリアート独裁と、ソ連を盟主の国際
ソビエト共和国を樹立宣言する。
現実世界(物語世界)では、この頃から桐谷流始祖の
天皇陛下からの絶大な信頼を得始める
桐谷流始祖当時五十五歳
正大8年(1908)2月 関東軍(関東庁)が発足
正大8年(1919ー1943)
ゴピンデリュン発足 国際共産主義運動組織
正大8年(1919年―1921年)
アイルランド独立戦争。 アイルランド自由国が独立
アフガニスタンはイギリスに対抗して、外交権得て独立権を確立
キート戦争(小アジア戦争。)トルコアンカラ政府が勝利。
ギリシアは、セーゼル条約で得た領地失う
1919年(正大8年)12月16日
現実世界(物語世界)
日🟢戦艦日向 就役
220M 3,8600t 32nt
45口径356mm×8
60径149mm×6
65口径100mm×10
65口径57mm×12
65口径40mm×12
70口径25mm×28
1920年(正大9年)
🔵🔵🔵🔵 此の頃から 大本営 並びに 参謀本部 軍令部 改革が本格的に始まる。
正大9年(1920年)
カルフォルニア州が「エイリアン土地法」を改正し、
外国人の土地の賃貸や利用も禁止する。
正大9年(1920年)
ドイツ共産党がコクミンテルンの指導の基 武装蜂起
鎮圧されドイツ革命の失敗。 尼港事件 赤軍パルチザンによる、
大規模な住民6000人虐殺事件。
正大9年(1920年)
米ウォール街爆破事件 後 アメリカ景気最高潮。
1920年(正大9年)10月22日
現実世界(物語世界)
日🟢戦艦長門 就役
224M 4,5800t 32nt
45口径410mm×8
60径149mm×6
65口径100mm×10
65口径57mm×14
65口径40mm×14
70口径25mm×32
- 1921年(正大10年)
英技術者招聘 航空機 空母 開発開始。
正大10年(1921年)11月12日―翌年2月6日
ワシントン海軍軍縮会議- 英日が発起人として始まった海軍軍縮条約
- 初版世界では、戦艦比率 米5 英5 日3 仏1.67 伊1.67 で合意
- 英米仏日 四カ国条約
- 太平洋の島々に関して四カ国が相互の権利を尊重すること、及び現状維持が謳われる、
- 米英蘭伊日仏ベルギー、ポルトガル、中華民国
- 九か国条約 中国の主権尊重 領土的、行政的、保全独占権の禁止などの為の為のアメリカ主導の世界秩序作りの一環
- 山東省を手渡す 日本の中国権益剥奪。 日本の孤立化
- 1921年(正大10年)
- 現実世界(物語世界)
- ワシントン海軍軍縮条約で
- 日本が合意せず脱退 二次大戦迄、英米仏伊日 各国の計画艦艇は
- 粗、全てが建造されることとなる。
- 日本はこの条約から脱退して、
- 独自の道を進む深刻な国際孤立の始まり、
- この時初版世界と同じで、日英同盟が事実上消滅
1921年(正大10年)12月16日
現実世界(物語世界)
日🟢戦艦陸奥 就役
224M 4,5800t 32nt
45口径410mm×8
60径149mm×6
65口径100mm×10
65口径57mm×14
65口径40mm×14
70口径25mm×32
- 1922年(正大11年)
- 1922年(正大11年)
1922年(正大11年)
正大11年(1922年)
アイルランド内戦 アイルランド自由国政府 対- アイルランド民族主義者完全独立を目指し
- テロ ゲリラ戦、アイルランド分裂
正大11年(1922年)
ソビエト社会主義連邦誕生。 - ゴヴィンデェリュン(国際的共産主義組織)
- 内部から中国国明党をコントロール
1922年4月16日(11月5日批准)
現実世界 初版世界 ラパッロ条約 ドイツとロシアの間で成立した
両国政府は外交関係を正常化。 相互親善にの精神により両国の
経済的必要を解決するため協力する、
- 1922年(正大11年)6月23日
- 閣議でシベリア出兵 撤兵方針を決定
- 1923年(正大12年)
-
正大12年(1923年)
日英同盟拡大解消(1902年― )アメリカ協調路線 - アメリカの圧力による。
正大12年(1923年)
ダチス ミュンヘン一揆蜂起失敗 -
正大12年(1923年)8月17日
▲初版世界では、ワシントン海軍軍縮条約が此処から効力が発生する。
- 正大12年(1923年)9月1日
関東大震災。 14万2800人死者・行方不明者 不逞鮮人が放火・略奪・強姦などをする。
1924年(正大13年)
1924年(正大13年)- 排斥移民法 成立。
- 米国が「移民法」を改正、
- 各国からの移民の年間受入上限数を制限。
- 特にアジア移民全面的禁止。
- 日本では「排日移民法」と呼ばれる。
正大13年(1924年)
レーニン死去
- 1925年(正大14年)
中国 軍閥地図 1925年
正大14年(1925年)
普通選挙法、治安維持法(社会主義弾圧)成立。
正大14年(1925年)1月20日
日蘇基本条約締結
- 1925年(正大14年)6月17日(1928年2月26日に発効)
- 初版世界
- 窒息性ガス 毒性ガス その他の類似物質の使用の禁止に関する議定書
- 目的 第一次世界大戦で初めて大規模に使用された化学兵器を禁止
- 1925年(正大14年)12月
初版世界(史実近似)
東北帝国大学の研究で、八木・宇田アンテナ特許を取る、
連合軍や独軍はこの八木アンテナを使用して、レーダーの性能を飛躍的に向上させた。
1926年(正大15年)
1926年(正大15年)ー1949年- 初版世界(史実近似)
中国国明党 中国共参党 国共内戦 - 蒋介岩が国民革命軍を率いて北伐開始
1926年(正大14年)9月3日
初版世界(史実近似)
量子力学の基礎方程式 として シュレディンガー波動方程式 確率
1926年(正大14年)10月1日
初版世界(史実近似)
朝鮮総督府庁舎完成
1926年(正大14年)11月18日
初版世界(史実近似)
豊田佐吉 トヨダ自動車の母体である、豊田自動織機製作所を設立
1926年(正大14年)12月
初版世界(史実近似)
米ロッキード社設立
1927年(和昭2年)- 1927年(和昭2年)
- 初版世界
- 此の年八木・宇田アンテナ(八木アンテナ)の発明
- 此の発明が、マイクロ波通信とレーダー技術の発展に大きく寄与する。
和昭2年(1927年)
ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)- は各国怖領事館を襲って、南京を占領
- 米英戦艦が南京に砲撃 南京事件
- 蒋介石は反共クーデターにより
- 南京を占拠国民政府を樹立。対して
- ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)は、
- 広東や南詔で武装蜂起
- 和昭2年(1927年)3月25日
- 日🟢巡洋戦艦改造赤城級重空母 赤城 就役
- 250M4,1300t 34nt 95機
和昭2年(1927年)4月5日―
昭和金融恐慌 鈴木商店事業停止 台湾銀行休止
鈴木商店系現企業 神戸製鋼 帝人 サッポロビール- アサヒビール 三井住友海上火災保険 三菱レイヨン
- 台湾糖行公司
和昭2年(1927年)4月12日
上海クーデター 袁世凱の子分 張作霖 共産党追い出し - 第一次国共合作終了。軍閥退治(北伐1926-1928)
- 北京へ!軍閥は満州へ。
和昭2年(1927年)6月20日ー8月4日
初版世界では、ジュネーブ海軍軍縮会議 - 米比率主義と英 の個艦規制主義 とが対立。決裂で、中止
現実世界(物語世界)では、1922年時点で既に、- 軍縮条約は事実上フリーになっている
- 桐谷流を身に着けた優秀な諜報員によって、
- 軍縮会議は破綻させられた。
-
- 和昭2年(1927年)9月25日
- 日🟢巡洋戦艦改造赤城級重空母空母 天城 就役
- 250M 4,1300t 34nt 85機
和昭2年(1927年)10月
毛沢西 江西省チンカンシャンに革命拠点を此処に置く。- 1927年11月16日
- 現実世界 初版世界
- 米🔵巡洋戦艦改造レキシントン級重空母 サラトガ 就役
- 271M 3.6000t 33nt 90機
- 1927年12月14日
- 現実世界 初版世界
- 米🔵巡洋戦艦改造レキシントン級重空母 レキシントン 就役
- 271M 3.6000t 33nt 90機
- 1928年(和昭3年)
- 1928年(和昭3年)
- 初版世界
- 岡部金治郎 が、分割陽極型マグネトロンの発明
- 此の発明により より高周波のマグネトロン波発生可能に
和昭3年(1928年)
ソ連で、ズダーリンとドリョヅキーが、一国共産主義か?- 世界共産主義か?で揉める
- 同年コヴィンデェルン(国際的共産水技組織)によるインドネシア共産党蜂起 完全鎮圧される。
1928年(和昭三年)1月25日
初版世界(史実近似)
東北帝大の岡部金次郎が 分割陽極マグネトロン を開発、特許取得
マグネトロンの実用化は、世界初
1928年(和昭3年)2月26日
初版世界
ジュネーブ議定書 発効
窒息性ガス 毒性ガス その他類似物質の使用禁止に関する議定書
- 和昭3年(1928年)3月25日
- 日🟢戦艦改造加賀級重空母 加賀 就役
- 239M 4,6700t 32nt 100機
- 和昭3年(1928年)5月3日
ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)が、 - 国民党と日本軍を戦わせるために仕組んだ、
- 国民党軍に紛れ込んだ共産党員が日本人居留民を虐殺
- 済南事件 山東省 国民党軍が略奪銃乱射
- 残虐な殺害 北伐に向かう国民党軍と日本軍を衝突させる
-
和昭3年(1927年)9月25日 - 日🟢戦艦改造加賀級重空母 土佐 就役
- 239M 4,6700t 32nt 100機
- 和昭3年(1928年)~(1932年)
ソ連五か年計画。工業の重工業化と農村の集団化が強行される。
和昭3年(1928年)
第6回ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)大会では、 - 一国共産主義が採択され、世界プロレタリアート
- ① 来たるべき、資本主義との闘争
- ② 中国革命の防衛
- ③ ソビエト連邦の防衛
-
和昭3年(1928年)
パリ不戦条約が締結され、米、英、仏、独、伊、日など - 15カ国が署名。後にソ連も含め63カ国が署名。
- 国際紛争を解決する手段として、契約国相互での
- 戦争を放棄する。平和的手段で解決する事が規定。
- 自衛戦争に対する、侵略 の定義が為されず。
- 経済制裁が戦争に含まれるか否か不明瞭
和昭3年(1928年)
イタリア ファシズトの一党専制の決議。
- 1929年(和昭4年)
- 1929年(和昭4年)4月2日
- 初版世界(史実近似)
- ジュネーブ議定書 (窒息性ガス 毒性ガス
- その他類似物質使用禁止に関する議定書) 日本 批准
和昭4年(1929年)10月24日
世界大恐慌 アメリカ株価大暴落 暗黒木曜日- 世界大恐慌の波拡大。
▲物語では、此の恐慌を境に 桐谷流始祖の発言力が高まる - 石油産業インフラ開発 地下鉄開発
- 高速道路の整備と安価な自家用車の開発など
- 重化学工業開発促進を置き始める
1930年(和昭5年)
- 🔵🔵🔵🔵 此の頃となると、新大本営勢力が実権を握る
和昭5年(1930年)
マジノ線建設開始( フランス対ドイツ防衛線。 )
和昭5年(1930年)
火炎瓶( モロトフカクテル使用開始 )-
和昭5年(1930年)1月21日~4月23日
初版世界で、ロンドン軍縮会議。10:10:7 - 1936年末までの暫定的締結。
現実世界(物語世界)では、この会議自体実質無効
ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)が裏で操る- 対日破壊活動が激化し、日本人への迫害が頻発。
- 日本に対する破壊活動
1931年(和昭6年)
和昭6年(1931年)4月14日
スペイン第二共和国成立。国王アルフォンソ13世国外亡命-
和昭6年(1931年)9月18日
満州事変 22:20頃奉天市郊外柳条湖付近で満州鉄道の線路が爆破されたのをきっかけにして始まる。 - (柳条湖事件)日本軍は張学良の司令部の在る奉天城を攻撃
- 1931年11月1日
- 現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- ソ連🔴軽戦車T -26の 就役 量産が始まる
- 1941年迄 1,2000輌生産
- 46口径45mm 前面装甲16mm 42km/h
1932年(和昭7年)- 1932年(和昭7年)
- オタワ会議 (英連邦の経済会議)による経済のブロック化
和昭7年(1932年)3月1日
満州国建国 満州の治安を安定させた。- 日本に対する
- 共産化の防波堤にした。
和昭7年(1932年)5月15日
五・一五事件犬養毅射殺。 -
和昭7年(1932年)1月28日~3月3日
第一次上海事件 上海共同租界周辺で起きた - 日中両軍の衝突
和昭7年(1932年)
イギリスは、イギリスの植民地(英領インド)との- 日本の貿易を禁止
1932年(和昭7年)3月ー10月
リットン調査団 満州における調査聞き込みを開始. 同年10月1日に報告書を日本政府に提示 10月2日に世界的に公表。
- 1 日支両国の利益に合致する事
- ソビエト連邦の利益尊重
- 現行の多辺的条約と調和し得る事
- 満洲における日本の利益の承認
- 日支間における新たな条約関係の設定
- 将来の紛争解決について効果的施設をなす事
- 支那の主権および行政的保全と調和する範囲内で満洲に自治を許す
- 内部的秩序は能率ある地方的憲兵隊により、外部的侵略に対する安全保障はすべての軍隊の撤退および不侵略条約による
- 日支間の経済的提携の促進
- 支那の改造に対する国際的協力等を紛争解決の条件
- た。
- もと不毛の荒野であった満洲の住人の大半がいまや支那人でありこれは日本の地域経営の成果
- この地域の主要勢力であった張作霖はこの地域の独立を志向していたのではなく、あくまで支那の政権であると自認していた
- 支那中央政府の権力が脆弱であり日本人が保護されていない
- 満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権は尊重されるべきである。国際社会や日本は支那政府の近代化に貢献できるのであり、居留民の安全を目的とした治外法権はその成果により見直せばよい。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力や挑発(irritation)を行使している限り、平和は訪れない。
和昭7年(1932年)
ゴピンデリュン(世界的共産主義組織)は、天皇制の打倒- 既成地主と財閥の打倒 戦争反対 の
- 32年テーゼを支持した。万国労働者のソ連を防衛し、 帝国主義戦争の反対を唱えるとともに、
- 日 米 英 仏 独 伊 列強を対立させることを
- 決議 ソ連の戦争が始めれば、各国共産党員は、
- ソ連を迎え入れる。
-
和昭7年(1932年)6月
戦前最後の駐日アメリカ大使 - ジョセフ・クラール・グリュー
- 1932年(和昭7年)6月
- 独物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが、
- 中性子による原子核崩壊理論発表。
和昭7年(1932年)
日満議定書 満州国内における日本の従来の- 特殊権益の尊重 日満共同防衛のための日本軍隊の
- 駐屯とを定めた
1933年(和昭8年)-
和昭8年(1933年)
満州国の米ソ介入を阻止された米ソは、国交を回復 - 両国は日本共通の敵となる。
和昭8年(1933年)1月
F・ルーザヘルド大統領 第一期目開始
ダチス政権獲得 - 和昭8年(1933年)3月
日本国際連盟を脱退。 - 和昭8年(1933年)5月11日
塘沽協定(タンクー)河北省塘沽(タングー)において - 日本軍と中国軍との間に締結された停戦協定である。
国民党は満州国を追認(共産党との戦争の為)
これにより柳条湖事件に始まる満州事変の軍事的衝突は - 停止された。
和昭8年(1933年)8月1日 - 現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- ソ連🔴BT-5戦車生産開始 1800輌生産
- 46口径45mm 前面装甲13mm 52km/h 12t
- 1933年10月17日
- アルベルト・アインシュタインが米国へ亡命
- 1934年(和昭9年)
和昭9年(1934年)12月- 初版世界(史実近似)ロンドン海軍軍縮会議 終了
- 初版世界 ロンドン軍縮条約
- 米10 英10 日7
- で合意 戦艦以外の艦艇にも厳しい制限が設けられる。
- 1934年6月1日
- 独🟠Ⅰ号軽戦車 量産化開始
- 1493輌生産 8mm機銃型 20mm機関砲型
- 量産後
- 🟠Ⅰ号対戦車47口径37mm自走砲
- 🟠Ⅰ号中歩兵33口径150mm自走砲 が主流となる
- 和昭9年(1934年)6月25日
- 現実世界 初版世界
- 日🟢正規龍驤級軽空母 龍驤 就役
- 180M 1,1700t 32nt 45機
- 1934年7月4日
- 現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- 米🔵正規レンジャー級中空母レンジャー就役
- 234M 1,7500t 30nt 76機
1934年8月2日- 初版世界(史実近似)
独 ビドラーが総統になる ビドラー総統誕生
- 和昭10年(1935年)3月
独軍 空軍の存在を内外に公表。徴兵制始まる。 - 再軍備混獲的に成る。英仏も再軍備始める。
- 1934年(和昭9年)12月21日
- 初版世界(史実近似)
- 独物理学者 イーダ・ノダックが核分裂反応を提唱
- ウラン原子が中性子によって分裂する時にエネルギーが
- 放出される可能性を発見。
- この研究は1938年に核分裂反応として確認証明される。
1935年(和昭10年)
1935年(和昭10年)1月11日
独物理学者 オットー・ハーン リゼ・マイトナー
ウラン235 が、核分裂しやすい同位体であることを発見。
1935年(和昭10年)3月16日
初版世界 ドイツの徴兵制復活 一般義務兵役制の導入 を宣言 ドイツ再軍備化
英仏伊は4月にストレーザで会談して、対策を協議 ドイツのヴェルサイユ条約違反を抗議した、 英が単独で英独海軍協定を締結した為に、足並みが乱れ、伊が10月に、エチオピア侵攻を強行したために 一年ともたず解体、 フランスが仏ソ相互援助条約締結 ドイツに出兵することはなかった、
- 和昭10年(1935年)6月25日
- 現実世界(物語世界)
- 日🟢貨客船(シャルン・ホルスト)改造大鷹級軽空母 神鷹 就役
- 198M 2,2500t 32nt40機
- 和昭10年(1935年)
9月15日独ニュルンベルク法制定 -
和昭10年(1935年) - 夏モスクワで行われた、
- 第7回ゴピンデリュン
- (世界的共産主義組織)大会では、
- 日本を対象反ファッショ人民戦線戦術が
- 採択、社会主義派から民族独立派
- 更に保守層含む凡ゆる勢力と共闘 人民戦線戦術方針
- 1935年8月1日
- 現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- 🔴B Tー7戦車 就役量産開始 5000輌1940年まで生産される
- 46口径45mm 前面装甲13mm 53km/h 14t
1935年(和昭10年)8月
初版世界 米中立法 制定
交戦国への武器輸出と武器輸送を禁止
-
- 1935年1月:フランクリン・ルーズベルト大統領が、イタリアのエチオピア侵攻に伴い、欧州の戦争の可能性を懸念し、米中立法の改正を提案。
- 1935年2月:米国議会が、ルーズベルトの提案を検討し、米中立法改正案を起草。
- 1935年3月:米国上院が、米中立法改正案を可決。
- 1935年4月:米国下院が、米中立法改正案を可決。
- 1935年5月:ルーズベルトが、米中立法改正に署名し、法案が成立。
- 1935年8月:米中立法改正が、発効。
- 1935年(和昭10年)9月1日
日本陸軍🟢九五式軽戦車製造開始 - 和昭10年10月1日
独 🟠Ⅱ号戦車就役量産開始 1942年迄 524輌生産
1935年(和昭10年)11月4日
初版世界 米中立法改正 3回目
武器禁輸条項を撤廃し、米国の詩人が英国に向けて武器を輸出することが可能となる
1935年(和昭10年)12月
オラホドカ で日蘇の衝突が起こる
- '
和昭10年(1935年)12月
初版世界 第二回ロンドン軍縮会議
1935年12月- 現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- 米🔵M2軽戦車 就役
- 50口径37mm砲 58km/h 12t 前面装甲25mm
1936年(和昭11年)
- 1936年(和昭11年)
1936年(和昭10年)1月
金厰溝 で日蘇の衝突が起こる
- 和昭11年(1936年)ドイツで電気式計算機
- ZI が開発されるコンピュータの元の形の一つ
- (Z4 1941年 ENIACの先駆けとしてプログラム可能な電子計算機として稼働した。航空機計算に使用
- ヘンシェル社 )
- 和昭11年(1936年)2月14日
モンゴル人民共和国に脅威が発生する場合、ソ連は援助を行うと述べた。(同3月12日)ソ連・モンゴル相互援助議定書締結
和昭11年(1936年)
日独防共協定
1937年(和昭10年)1月29日〜
初版世界 米中立法改正3回目
- 1937年の中立法改正の内容
- 1937年1月29日: フランクリン・D・ルーズベルト大統領が中立法改正案を議会に提出。
- 1937年3月1日: 上院外交委員会が中立法改正案を承認。
- 1937年4月29日: 上院が中立法改正案を可決。
- 1937年5月27日: 下院外交委員会が中立法改正案を承認。
- 1937年6月3日: 下院が中立法改正案を可決。
- 1937年6月5日: ルーズベルト大統領が中立法改正案に署名、公布。
- 戦争状態にある国に対する武器輸出を禁止。
- 戦争状態にある国に対する戦争物資の輸出を禁止。
- 戦争状態にある国に対する融資を禁止。
- 戦争状態にある国に対する船舶の提供を禁止。
- 戦争状態にある国に対する航空機の提供を禁止。
- 戦争状態にある国に対する軍事顧問の派遣を禁止。
- 戦争状態にある国に対する軍事訓練の提供を禁止。
- 戦争状態にある国に対する戦争宣伝の禁止。
1936年(和昭11年)3月
タウラン で 日蘇衝突起こる
1936年(和昭11年)3月7日
初版世界 ドイツ軍 ラインラント地方進駐開始
1920年:ヴェルサイユ条約により、ドイツは、ラインラント地方の非武装地帯化を義務付けられる。ラインラント地方は、ドイツの領土であるが、非武装地帯とされ、ドイツ軍の駐留が禁止される。 ・
1925年:ロカルノ条約が結ばれる。ロカルノ条約により、ドイツは、ヴェルサイユ条約の領土条項を承認し、ラインラント地方の非武装地帯化を再確認する。 ・
1933年:アドルフ・ヒトラーが、ドイツの首相に就任する。ヒトラーは、ヴェルサイユ条約の破棄を目指し、ドイツの再軍備を開始する。 ・
1935年:ドイツは、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄し、再軍備を宣言する。ドイツは、ラインラント地方の非武装地帯化を破棄することを示唆する。 ・
1936年2月:ドイツは、ロカルノ条約の破棄を宣言する。ドイツは、ラインラント地方の非武装地帯化を破棄することを正式に宣言する。 ・
1936年3月7日:ドイツ軍が、ラインラント地方に進駐を開始する。ドイツは、ラインラント地方の非武装地帯化を事実上破棄する。 ・
1936年3月12日:イギリス、フランス、イタリア、ベルギーは、ドイツのラインラント進駐を非難する。イギリスとフランスは、ドイツの再軍備を容認する姿勢を示す。 ・
1936年3月19日:ドイツは、ラインラント地方の非武装地帯化を正式に破棄する。ドイツは、ラインラント地方を、ドイツの領土と再確認する。
ヴェルサイユ条約で非武装地帯と規定された ロカルト条約には国境の非武装が保障されていたので、仏英は激しく抗議 ビドラー総統は、1936年2月の仏ソ相互援助条約を議会で批准して同条約が成立したことを挙げた、ビドラー総統は、同条約をドイツに敵対する事実上の軍事同盟であ李、ロカルノ条約違反であるとひなん ロカルノ条約は解消されたとして、ドイツはラインラント非武装を遵守する義務から解放されたと述べた、 フランスが共産主義=ポリシェヴィズムと提携したと激しく批判 国際社会はイタリアのエチオピア侵攻の問題に断固とした態度を示さなかったので、ヒトラーはラインラント地方に進軍しても英仏は強く出てこないと判断していた。
- 和昭11年(1936年)6月25日
- 現実世界(物語世界)
- 日🟢貨客船(新田丸)改造大鷹級軽空母 沖鷹 就役
- 198M 2,2500t 32nt 40機
-
和昭11年(1936年)7月17日―1939年4月1日
スペイン内戦 共和制の左派に対して、フランコ率いる - ファシズムの右派の闘い勝利。
-
和昭11年(1936年)
ビドラー別荘 ベルクホーフ改築。 - (1932年春―エヴァ・ブラウン居住始まる)
-
和昭11年(1936年)9月8日
ナチス党大会 四か年計画発表。 -
和昭11年(1936年)12月12日
日西安事件 内戦を停止し 共同して日本と闘う事決定。
1937年(和昭12年)
1937年(和昭12年)
初版世界
竹内時男が多極マグネトロンを開発
これにより、マグネトロンの出力と効率が大幅に向上
- 1937年(和昭12年)6月19日
- 初版世界
- アムール川下流 乾岔子島事件
日蘇軍事衝突起こる - 蘇軍損害砲艦1撃沈1大破
- 和昭12年(1937年)
- ジョン・フォン・ノイマン のちのコンピュータ開発の中核となる
「プログラム内蔵方式」を発表。
和昭12年(1937年)
F・ルーザベルト米大統領 二期目開始
共産主義 ゴピンデリュン に対抗 日独伊防共協定
- 和昭12年(1937年)5月1日
- 初版世界
- 日本の傀儡政府 モンゴル国(内蒙古)設立。
1937年(和昭12年)6月4日ー1940年1月15日
現実世界(物語世界)
第一次遠江内閣発足
内閣総理大臣 遠江文麿
外務大臣 狭田弘穀
内務大臣 波場瑛一
大蔵大臣 加屋興宣
陸軍大臣 檜山元
海軍大臣 麦内光政
司法大臣 塩野季彦
文部大臣 安井英二
農林大臣 有馬頼寧
商工大臣 吉野信次
逓信大臣 永井柳太郎
鉄道大臣 中島知久平
拓務大臣 大谷尊由
厚生大臣 木戸幸一
内閣書記官長 風見 章
法制局長官 瀧 正雄
現実世界(物語世界)では、新大本営影響下の 西條内閣1940年1月15日〜 が発足するまで、旧大本営影響の遠江内閣が続く
和昭12年(1937年)6月25日
現実世界(物語世界)
日🟢貨客船(八幡丸)改造大鷹級軽空母 雲鷹 就役
198M 2,2500t 32nt 40機
-
和昭12年(1937年)7月7日
日中戦争勃発( 盧溝橋事件 ) 演習中の日本軍に - 中国国民革命軍大二十九軍が発砲、日中全面戦争へ
-
和昭12年(1937年)7月29日
通州事件 大紅門事件 日本軍騎兵惨殺事件 廊坊事件 広安門事件 - 通州事件を経て、大山中尉惨殺事件(全て日本側が被害者)第二次上海事変へ
- 和昭12年(1939年)8月9日―10月
- 17日
チャハル作戦
和昭12年(1937年)8月13日~10月26日
第二次上海事変
中華民国軍の日本租界への攻撃に単は発する日本軍との- 軍事衝突 中国戦争は北支事変は支那事変へと
- 拡大して行く、
- 8月15日 共産党参戦全面戦争
-
8月21日 中ソ不可侵条約
- 1937年9月30日
- 現実世界(物語世界)
- 米🔵正規ヨークタウン級重空母 ヨークタウン 就役
- 251M 2.5500t 33nt 80機
10月5日
コミンテルン影響下 米大統領ルーザベルトが、- 日本を無秩序と言う疫病と表現して、
- 日本を威嚇すべきと発言する。
- 米英は積極的に国民党支援
-
和昭12年(1937年)10月5日
ルーザベルト米大統領、世界に無法状態産出国家は隔離! - 「隔離演説」 世界に無法状態を生み出す国家は隔離されるべきであるとすると。
- 交渉を通じての紛争解決を望んでいた
- グリューは落胆した。
和昭12年(1937年)11月7日
日本軍上海上陸。
和昭12年(1937年)10月9日~翌1月31日 '
南京陥落
和昭12年(1937年)
ローマ法王共産主義から中国を護る日本という声明発表。
和昭12年(1937年)9月6日―13日
ナチス党ニュルンベルク大会 秩父の宮来賓
和昭12年(1937年)
独 🟠Ⅲ号主力中戦車 量産型登場-初版世界では1943年迄- 独 🟠Ⅳ号支援中戦車 量産型登場
- 1937年(和昭12年)12月25日
- 現実世界(物語世界)初版世界
- 日🟢正規蒼龍級中空母 蒼龍 就役
- 227M 2,1300t 34nt 75機
和昭12年(1937年)12月12日
パネー号事件 日本海軍機 揚子江上- 米国アジア艦隊所属の警備船 パネー号 攻撃、沈没させ、機銃掃射、パネー号事件。
1938年(和昭13年)- 1939年(和昭13年)2月11日
- 独物理学者 オットー・ハーン
- 核分裂反生成物のβ崩壊を発見
- 1938年(和昭13年)
- 満州国東南端 張皷峰 で衝突
- 日軍 7000名
- 蘇軍3,0000名
和昭13年(1938年)4月1日
国家総動員法 施行 -
和昭13年(1938年)4月
国家総動員法 制定 人 物 金銭 - 全体主義的かつ総合的な統制法
和昭13年(1938年)3月12日
ドイツ オーストリアを併合
1938年4月15日
現実世界 初版世界
独軍 強力殺人化学兵器 サリン を開発 使用可能に
1938年5月25日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
- 米🔵正規ヨークタウン級重空母 エンタープライズ 就役
- 251M 2.5500t 33nt 80機
1938年(和昭13年)6月25日
現実世界(物語世界)
日🟢貨客船(あるぜんちな丸)改造大鷹級軽空母 海鷹 就役
198M 2,2500t 32nt 40隻
和昭13年(1938年)8月29日
イギリス首相 ビドラーの間 ズデーデン地方割譲、- 後侵略無し約束。
-
和昭13年(1938年)9月6日―12日
最後のナチス党大会 大ドイツ ニュルンベルク
和昭13年(1938年)7月29日―8月11日
ハサン湖戦争(張鼓峰事件)満州国東側国境戦- 国境維持 ソ連軍大被害。
和昭13年(1938年)
ルーザベルト米大統領は、10月6日には国務省声明を発表し、- 中華民国における日本の行為を、
- 米国 は九カ国条約とケロッグ-ブリアン条約
- (パリ不戦条約)違反とみなし、
- 声明は国際連盟の決議に沿うものとして、
- 日本を明確に名指し
・ - アメリカを参戦させないための請願に2500万人の署名運動
- 和昭13年(1938年)10月
援蒋ルート開始 - 1938年
- 初版世界 現実世界
この頃からドイツなどで、核爆弾開発を模索し始める - 独 物理学者 ヴェルナー・ハイゼンベルクらを中心に ウラン濃縮法の研究が始まる、
独物理学者 オットー・ハーン フリッツ・シュトラスマー
ウラン原子核に中性子を照射すると、二つに分裂する現象
つまり核分裂を発見 核分裂連鎖反応を起こして、莫大な
エネルギーを発生可能なことを示唆され、核爆弾開発へ第一歩となる
1938年12月5日
現実世界(物語世界)
独軍は核爆弾開発可能性から、ビドラー総統の命により
核爆弾開発の研究を開始する。
- 1938年(和昭9年)暮
- 現実世界(物語世界)
- 核爆弾開発の可能性を嗅ぎつけた日本軍は、秘密裏に核爆弾開発を開始する、
- 陸軍 海軍 民間会社朝鮮大日窒素 各々開発開始、
- (物語ではウラン鉱脈を 満州 朝鮮 岡山 で其々発見されている、)
1939年(和昭14年)
1939年(和昭14年)
初版世界
竹内時男が空洞型マグネトロンを開発
此の発明が のちの高出力マイクロ波発生器の基礎となる。
1939年(和昭14年)ー1945年(和昭20年) 初版世界 パープル暗号が使用開始 他に レッド暗号 オレンジ暗号 グリーン暗号 コーラル暗号 ジェイド暗号 か使用された 英米で1941年初頭には解読成功 蘇蓮軍も1941年11月には解読完了
1939年(和昭14年)1月26日
日米通商航海条約 通告
銅製品設備、技術対日禁輸
- 1939年(和昭14年)1月5日ー8月30日
- 初版世界(史実近似)
- 第一次遠江内閣退陣 平沼騏一郎内閣発足
- 1939年(和匠14年)1月14日
航空機、同部品の輸出許可制 実施
和昭14年(1939年)1月
重慶爆撃開始―1943年8月23日迄
- 1939年(和昭14年)2月17日
- 独物理学者 オットー・ハーン
- 核分裂反応に於るエネルギ放出量を測定。
和昭14年(1939年)3月
独チェコスロバキアへ進行
和昭14年(1939年)4月1日
スペインフランコ政権内戦を制し確立
和昭14年(1939年)4月17日- 初版世界
ソ連、英仏に 連合関係 を持ちかけるが拒否される。
-
1939年4月15日:ソ連外務人民委員(外相)マクシム・リトヴィノフは、英仏大使に、ドイツの拡張主義に対抗するための三国(ソ連、英、仏)同盟の提案を伝える。 ・
1939年4月17日:英仏は、ソ連の提案を拒否する。英仏は、ソ連の提案が、東欧諸国をソ連の勢力圏に組み込むことを意味するとして、拒否の理由を説明する。 ・
1939年4月18日:ソ連は、英仏の拒否に失望し、独ソ交渉を開始する。ソ連は、ドイツと経済協定を結ぶことを提案する。 ・
1939年5月3日:リトヴィノフが外相を解任され、ヴャチェスラフ・モロトフが後任に就く。モロトフは、独ソ交渉を推進する。 ・
1939年8月23日:独ソ不可侵条約が調印される。条約には、秘密議定書が付属し、東欧をソ連とドイツの勢力圏に分割することが合意される。 ・
1939年9月1日:ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。ソ連は、9月17日にポーランド東部に侵攻し、ポーランドをドイツと分割する。
和昭14年(1939年)4月1日- 初版世界
スペイン内戦終結
- 1939年(和昭14年)4月7日
- 初版世界
- 枢軸軍がアルバニアを占領
和昭14年(1939年)5月
独伊軍事同盟条約
和昭14年(1939年)5月11日ー9月16日
ハルハ河の戦い(ノモンハン事件) ソ連軍勝利 しかしソ連軍の被害甚大- 日軍 5,8925兵士 戦車92 火砲70
- 損耗 1,0083戦死 戦車 29 航空機 179
- 蘇軍 7,7676兵士 戦車438 装甲車386 火砲542
- 損耗 2,5655戦死 車両705 航空機1673
和昭14年(1939年)6月25日
現実世界(物語世界)
日🟢貨客船(春日丸)改造大鷹級軽空母 大鷹 就役
198M 2.2500t 32nt 40機
1939年(和昭14年)5月26日ー27日
初版世界 アムール河戦(東安鎮事件)
蘇軍
兵力1000人
損害 0
日軍
兵力120人砲艦2
損害 80人砲艦1隻拿捕
1937年乾岔子島事件(蘇連砲艦1撃沈)
の報復として、蘇蓮が戦勝した、ノモンハン事件発生中の為 日軍は反撃をしなかった、
1939年(和昭14年)7月
独ソ不可侵条約締結
ソ連と戦闘中だった日本は衝撃を受け 日本はソ連と講和交渉に乗り出すこととなり
喀爾喀川戦争は終結に向かう
1939年(和昭14年)7月25日
現実世界 初版世界
日🟢正規飛龍級中空母 飛龍 就役
227M 2,2400t 34nt 75機
- 和昭14年(1939年)7月
米は日本との日米通商航海条約の破棄を日本に通告。
和昭14年(1939年)8月2日
アインシュタインが、米大統領フランクリン・ルーザベルト米大統領に宛てた、 - 2ページにわたる、核爆弾開発進言書簡に署名
(物語では、この書簡の事が日本諜報員によって、情報として日本軍にもたらされている。)
和昭14年(1939年)8月23日
独ソ不可侵条約締結 同時に英仏がソ連と同盟交渉しかし、ビドラーがソ連との同盟を勝ち取る。
イギリスはポーランドとの軍事同盟を結ぶ - ポーランドとドイツは不可侵条約を結ぶ
- ドイツの東方進出を阻止すること
- 英仏ソ3国の相互援助を定めること
- バルト三国、フィンランド、ポーランド、ルーマニア、トルコ、ギリシャの独立を保障すること
1939年(和昭14年)8月30日ー1940年1月16日
初版世界(史実近似)
平沼騏一郎総理 独蘇不可侵条約締結を見て「欧州の天地複雑怪奇!」と言葉を残して退陣。
阿部信行内閣発足
1939年(和昭14年)8月30日ー1940年1月16日
現実世界(物語世界)
平沼騏一郎内閣退陣後 遠江文麿第二次内閣発足
第二次世界大戦
初版世界
🔵🔵🔵🔵 1939年8月31日木曜日 物語 開始
大日本帝国東京都八姫市立八姫中学校テニスコート 12:00〜
第二次世界大戦 勃発
和昭14年(1939年)9月1日 独ポーランド侵攻- 独軍 150,0000兵士 戦車2573 航空機2315
- 損耗 1,6343戦死 戦車218 航空機 395
- 蘇軍 60,0000兵士 戦車4736 航空機3,300
ポーランド軍 95,0000兵士 戦車 880 航空機400 損耗 6,6000戦死 戦車 174 航空機333
1939年(和昭14年)9月1日
初版世界蒙古聯合自治政府(日本傀儡国家)成立
・
1936年:日本とモンゴル人民共和国の国境紛争が激化する。日本は、モンゴル人民共和国の独立を認めず、中国の内モンゴル自治政府を支持する。
1937年:日本は、内モンゴル自治政府の首都、張家口に、蒙古軍政府を設立する。蒙古軍政府は、内モンゴル自治政府の軍事部門を統括する。 ・
1939年5月:日本とモンゴル人民共和国の国境紛争が、ノモンハン事件に発展する。日本軍とモンゴル軍が、ノモンハンで激突し、戦闘が始まる。 ・
1939年8月:ノモンハン事件が、ソ連の介入で終結する。ソ連は、モンゴル人民共和国を支援し、日本軍を撃退する。 ・
1939年9月1日:日本は、内モンゴル自治政府の首都、張家口に、蒙古国を設立する。蒙古国は、内モンゴル自治政府の後継国家で、事実上の日本傀儡国家である。 ・
1939年9月4日:蒙古国は、内モンゴル自治政府の首都、張家口を、クルジェ(後のフフホト)に移す。 ・
1941年12月8日:蒙古国は、第二次世界大戦に参戦し、英米に宣戦布告する。蒙古国は、独伊の同盟国として、戦争に参加する。
1939年9月2日
英仏が共同で最後通牒を独に送付。
独空国防軍部隊 のポーランド領から即時無条件撤退要求。
1939年9月2日
英 国民兵役法 を制定 完全徴兵制 施行 18歳ー41歳男性国内居住者全て召集
1939年9月2日
初版世界
自由都市 ダンツィヒ 独軍に併合
1920年:ヴェルサイユ条約により、ダンツィヒは、国際連盟の管理下に置かれる。ダンツィヒは、自由都市とされ、ポーランドとドイツの間で、領有権が争われる。 ・
1933年:アドルフ・ヒトラーが、ドイツの首相に就任する。ヒトラーは、ダンツィヒの返還を要求し、ポーランドとの関係が悪化する。 ・1938年:ドイツは、オーストリアを併合し、チェコスロバキアを解体する。ドイツの拡張主義が、欧州で懸念される。 ・
1939年3月:ドイツは、ポーランドに、ダンツィヒの返還と、ポーランド回廊の通行権を要求する。ポーランドは、要求を拒否する。 ・
1939年8月31日:ドイツは、ポーランドに、最後通牒を送る。ドイツは、ポーランドが、要求を拒否した場合、軍事行動を取ることを警告する。 ・
1939年9月1日:ドイツは、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。ドイツ軍は、ダンツィヒを包囲し、市内に進入する。 ・1939年9月2日:ダンツィヒは、ドイツ軍に占領され、ドイツに併合される。ダンツィヒは、ドイツの西プロイセン州に編入される。 ・
1939年9月28日:ドイツとソ連は、モロトフ・リッベントロップ協定を結ぶ。協定により、ポーランドは、ドイツとソ連に分割される。ダンツィヒは、ドイツの領土とされる。
1939年9月3日
英が独に宣戦布告 豪 ニュージーランド 英領印度も ドイツに宣戦布告
1939年9月3日
仏が独に宣戦布告
1939年9月3日
ルーザベルト米大統領が ラジオ放送で 中立宣言
1939年9月4日
日本 欧州情勢への 中立 を表明
1939年9月4日
英海軍本部 経済戦争の一環として、独への海上封鎖開始告知
1939年9月4日
米海軍 大西洋にて 哨戒行動を開始
-
和昭14年(1939年)9月23日
独ソでポーランド分割
ワルシャワ陥落
1939年9月
初版世界 現実世界
米国にて、アインシュタインら科学者グループが ルーザベルト大統領に 核兵器開発計画 核爆弾開発要請
1939年(和昭14年)9月
現実世界(物語世界)
マンハッタン計画指導の情報をいち早く手に入れた日本も ドイツにこの計画を通達 ドイツも 既に始まっていた、核爆弾の開発研究を本格的に始動する。
1939年(和昭14年)11月10日ー16日
現実世界(物語世界)
絵夢♀ 桃山♂ 22メイド達♀♀ 長谷川五段♂ 権原五段♂ と ドイツとの関係改善を目的に ベルリンへ訪独
此の事により、ドイツ軍と日本軍が急接近し、日本軍の初版シュミレーション計画予測や他のデータを伝え、日本軍側の資料をもとに、ドイツ側の大幅な改革が始まる、、ソ連新鋭戦車対応 航空機重視開発 列強各国の調査データをもとに作戦変更 核兵器開発 超兵器の大量生産の中止 など
和昭14年(1939年)11月4日―12月28日
初版世界(史実近似)
グレー米大使と野村吉三郎外相と三回会談
日米関係の改善のため積極的な措置を取るべきは日本側であると説得するグルーの努力の「クライマックス」であった。しかし進展はなく、目立った成果のないもの
1939年11月23日
現実世界(物語世界) アメリカの接近信管の開発状況を確認する事に成功 三式弾の開発難航中 誘導ミサイル開発順調
和昭14年(1939年)11月30日
ソ連フィンランド侵攻 ソ連国連追放
和昭14年(1939年)12月13日 水曜日
初めて、八姫中学校父兄から戦死者が出る。 九六式陸攻搭乗員 ○年○組△△♀の父親。
和昭14年(1939年)12月
ソ連 T-34中戦車導入 ミハエル・コーシュキン 設計 量産化間もなく激務が祟り肺炎にて死亡。
和昭14年(1939年)12月21日
米 対日制裁強化 航空機用潤滑油製造装置他 15品目 輸出許可制実施
ソ連KV-Ⅰ重戦車 KV-Ⅱ重戦車生産開始
ソ連T-34中戦車 生産開始 (本格的生産、1940年9月)
和昭14年(1939年)12月20日に米国政府は、航空機用ガソリン製造装置の輸出を禁止
道義的禁輸を境にして米国からの技術導入や装置購入は不可能になる。
戦闘機用燃料とし高オクタン価揮発油の製造は、陸海軍にとってど解決すべき課題
1940年(和昭15年)
1940年1月10日 -
初版世界(史実近似)
ドイツ軍機がベルギーに墜落、独軍作戦計画書類が、ベルギー軍に渡る。メヘレン事件
1940年1月11日
現実世界 物語世界
英🟤戦艦キングジョージ5世級 キングジョージ5世 就役
227M 4,2200t 28nt
45口径356mm×10
50口径133mm×8
39口径40mm×32
178mm噴進砲×4
現実世界(物語世界)
遠江文麿内閣退陣 西常英樹内閣(新大本営主導)が発足
(初版世界では、阿部信行内閣退陣後 米内内閣が発足 1940年7月22日迄続く)
第一次西常内閣
内閣総理大臣 西常英樹
内務大臣 湯澤三千男
大蔵大臣 加賀興宣
陸軍大臣 西條英樹
海軍大臣 岾元六十六
司法大臣 岩村通世
文部大臣 橋田邦彦
農林大臣 山崎達之輔
農相大臣 内田信也
商工大臣 偽使信介
軍需大臣 西常英樹
逓信大臣 寺島 健
運輸通信大臣 八田嘉明
鉄道大臣 東郷茂徳
拓務大臣 井野請哉
厚生大臣 小泉親彦
国務大臣 鈴木貞一
国務大臣 青木一男
国務大臣 藤原銀次郎
内閣書記官長 星野直樹
法制局長官 森山鋭一
🟣🟣🟣🟣 此の事により、三十年来の構想の上の大本営改革が完成する
和昭15年(1940年)年1月21日 -
浅間丸事件
和昭15年(1940年)1月31日
初版世界(史実と近似)
独🟠Ⅲ号突撃砲量産開始
1940年(和昭15年)1月26日
日米通商航海条約失効
和昭15年(1940年)2月10日 -
ソ連軍、カレリア地峡で攻勢開始。
和昭15年(1940年)2月11日 -
独ソ経済会談、第一次独ソ経済協定の延長決定 及び 独ソ通商協定締結
和昭15年(1940年)2月16日 -
イギリスが、中立のノルウェー海域でドイツ商船を臨検しイギリス軍捕虜を解放アルトマルク号事件
和昭15年(1940年)2月17日 -
ソ連軍、マンネルハイム線突破
和昭15年(1940年)年2月22日 -
ドイツ、ヴィーキンガー作戦開始(独軍による 北海 にて 英漁船を拿捕 撃沈する目的の作戦 失敗。)
1940年(和昭15年)3月
独物理学者 ハンス・ロッセンフェルト
核分裂連鎖反応の可能性示唆・。
和昭15年(1940年)年3月12日
フィンランド ソ連の間 モスクワ講和条約締結、冬戦争終結
和昭15年(1940年)3月18日
初版世界(史実近似)
アドルフ・ビドラー ベニート・ブッゾリーニ 会談 '
和昭15年(1940年)3月30日
汪兆銘親日政府樹立
和昭15年(1940年)4月5日 -
英軍 ウィルフレッド作戦
1940年4月開始 英軍のノルウェー領海機雷敷設作戦。
独はスウェーデンから鉄鉱石を輸入、ノルウェー領海内に機雷敷設、
独の鉄鉱石輸送船航行妨害
1940年4月8日 -
ヴェルフィヨルド入口で 英駆逐艦グローヲーム と 独ナルヴィク
トロンハイム攻略部隊と遭遇 衝角攻撃トロンヘイム沖海戦
和昭15年(1940年)4月6日
英仏軍ノルウェー鉄鉱石港占拠。後独軍が奪取。
和昭15年(1940年)4月9日
独軍 デンマーク及びノルウェーに侵攻(ヴェーザー演習作戦)、
デンマーク無血占領
オスロフィヨルド戦
4月9日
- ドイツがデンマーク及びノルウェーに侵攻 デンマーク無血占領
- オスロフィヨルドの戦い1940年4月9日
1940年4月10日
- 第1次ナルヴィク海戦
- イギリスでMAUD委員会設立
1940年4月12日 -
英軍 デンマーク領フェロー諸島を占領(ヴァレンタイン作戦)
1940年4月13日 -
第2次ナルヴィク海戦
第二次世界大戦中の海戦の一つ。ナルヴィクのある
ノルウェーのオフォト・フィヨルドで、戦艦ウォースパイトを
中心とするイギリス艦隊がドイツ軍ナルヴィク攻略部隊の
駆逐艦を攻撃し全滅させた。
1940年4月14日 -
英軍 ハーシュタとナムソスへ上陸
1940年4月25日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似世界)
米🔵正規ワスプ級中空母 ワスプ 就役
220M 1.9100t 30nt 78機
1940年(和昭15年)4月25日
現実世界(物語世界)
日🟢水上機母艦改造龍鳳級軽空母 龍鳳 就役
180M 1,5260t 34nt 35機
和昭15年(1940年)5月10-6月25日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似)
ドイツ フランス侵攻(6月4日ダンケルクから英仏兵イギリス救出。)
ドイツがフランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻
(黄色作戦)、まやかし戦争終了
独軍335,0000兵士 戦車2445 航空機5638
損耗14,0000戦死 戦車 750 航空機1236
連合軍330,0000兵士 戦車3383 航空機2935
損耗 34,0000戦死 戦車2100 航空機2000
:
- 1940年5月10日
- ドイツ軍がオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻を開始
- 主にドイツ第6軍団がオランダに、第18軍団がベルギーに攻撃を仕掛ける
- 空挺部隊と機械化部隊による急速な侵攻作戦を展開
- 1940年5月12-13日
- オランダが降伏を表明
- ベルギーの主要防衛線が次々と突破される
- ドイツ軍が迅速な機動戦略(電撃戦)を実施
- 1940年5月14-16日
- フランス北部に対する集中的な攻撃を開始
- ドイツ軍装甲部隊がアルデンヌ森林地帯を通過し、フランス軍の脆弱な地点を突破
- イギリス・フランス連合軍の防衛ラインを急速に崩壊させる
- 1940年5月26-6月4日
- ダンケルク撤退作戦が行われる
- イギリス軍を中心とした連合軍が海を渡って避難
- ヒトラーが奇跡的な撤退を許可
- 1940年6月14日
- ドイツ軍がパリを占領
- フランス政府がパリから撤退
- フランスの軍事的抵抗が実質的に崩壊
- 1940年6月22日
- フランスがドイツと休戦協定に調印
- ドイツによるフランス占領が確定
イギリスによるアイスランド侵攻
エバン・エマール要塞の戦い
イギリスのネビル・チェンバレン首相が辞職。
チャーチルが第1次チャーチル内閣組織
和昭15年(1940)年5月12日
この大戦初の大規模戦車戦アニューの戦い
和昭15年(1940年)1940年5月13日
ドイツ、マース川渡河
和昭15年(1940年)1940年5月14日
ドイツ軍機約50機がロッテルダム爆撃
和昭15年(1940年)年5月15日
オランダ降伏
和昭15年(1940年)5月16日
ドイツ、AB行動開始
1940年(和昭15年)5月24日
現実世界(物語世界)
ダンケルクに包囲した英仏軍の攻撃に 最新毒ガス弾などの 最新化学兵器を 戦費削減の為に 鹵獲兵器を増やすために、連合軍への恐怖を煽るために使用を始める
1940年(和昭15年)5月25日
現実世界(物語世界)
ダンケルクで包囲された英仏軍を救出作戦開始。 既に最新毒ガス弾 最新マスタードガス弾によって、4.5万人の死傷者が出ている。 英仏側は? 居残り兵士30万人を抜いた270万人の救出を急ぐ!!ドーヴァー海峡では、航空機同士の空中戦と 輸送船への攻撃が行われる。
1940年(和昭15年)
ラッセルオー(中国北京大学教授)はゲルマニウムを接合して電圧を印加した時の変化に着目 P型N型のゲルマニウム作成
1940年(和昭15年)5月27日
ダンケルクに集合している 英仏兵27万人の救出作戦(ダイナモ作戦)始まる 大方の英仏兵士は化学兵器の影響を受けていると考えられていた。 33,1226名の
様々な貨物船、漁船、遊覧船および王立救命艇協会の救命艇など、民間の
船が緊急徴用され、兵を浜から沖で待つ大型船(主に大型の駆逐艦)へ運んだ。この“小さな船たちの奇跡”はイギリス国民の心に深く刻まれ、大いに士気を高揚することとなったが、実際には兵の70%程度は港の防波堤から56隻の駆逐艦その他民間大型船に乗り込み撤退していた。
英国側の試算では? 独軍の撤退阻止攻撃を受け、救出できるのは?・2,5000人程度と考えられていて、絶望的な撤退作戦であったが? 濃い霧にも助けられ、動ける兵士の粗全員 約30万人の救出に成功
貨物船、漁船、遊覧船および王立救命艇協会の救命艇など、民間の船
独英空軍の空中戦が行われ
損失 独側 132機 英側 474機
艦艇損失 独 海軍 空軍 による
英 駆逐艦6隻
仏 駆逐艦3隻
1940年(和昭15年)5月28日
ベルギー降伏
フランス軍 フランドル地方を放棄 1940年5月28日までに。フランス兵50万人が撤退
1940年(和昭15年)5月29日
夕方 現実世界(物語世界)ドイツ空軍の化学兵器を含む爆撃が行われた。ダンケルク港の機能を停止させる。
4,7000人の英兵救出
1940年(和昭15年)5月30日
英仏兵 5,4000人救出
1940年(和昭15年)5月31日
英仏兵 6,8000人救出
英仏兵 4,0000人以上が化学兵器により死傷し動けずに救出できず。(史実は捕虜となる)
救出の為に用意された 船舶 200隻以上撃沈 200隻以上が損傷。
救出された英仏の26,0000人の兵士の内 5,0000人程度化学兵器の後遺症を持つか死亡 残りの殆どが、兵士として復活できる状態 30,0000人全員を再起不能にして ブリテン島の医療機関をパニック化させることは? 実現されなかった。
1940年(和昭15年)6月4日
米国 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
英国側の試算では? 独軍の撤退阻止攻撃を受け、救出できるのは?・2,5000人程度と考えられていて、絶望的な撤退作戦であったが? 濃い霧にも助けられ、動ける兵士の粗全員 約30万人の救出に成功
貨物船、漁船、遊覧船および王立救命艇協会の救命艇など、民間の船
1940年(和昭15年)6月12日 独軍 パリ無血入城
1940年(和昭15年)6月10日〜7月11日
有田八郎外相と五回会談。 前回の野村吉三郎外相の時よりも 国務省から強い指示を与えられていたので、グルー駐日大使は、有田外相に対して明確に、日本は二つの道、即ち
⑴秩序 正義 自由貿易 国際協力 領土保全 国家主権 を尊重
⑵武力 他国への内政干渉 貿易制限 特権的地位 自給自足経済 への道のいずれかを選対せよ!
1940年(和昭15年)6月21日 仏軍 全面降伏 軍備関係
現実世界(物語世界)
植民地 民間もダヂス・ドイツ配下。
1940年(和昭15年)6月30日
現実世界 独傀儡国家フランス自治政府 成立
1940年6月22日
初版世界 メルセルケビール海戦現実世界(物語世界)ではドイツ軍の警戒で戦闘を阻止
フランスがドイツに降伏した後、フランス艦艇がドイツに接収される事を防ぐ為に、仏領アルジェリアの メルセルケルビール港 に停泊していた、フランス艦隊を攻撃
仏海軍
🟣戦艦
ダンケルク (大破)
プロヴァンス (着底)
プレスト (大破)
🟣空母
ベアルン (着底)
🟣重巡洋艦
アルジェリー
コルベール (大破)
マルセイユ (大破)
🟣軽巡洋艦
モガドール (大破)
ヴォルタ (大破)
ジャンヌダルク (大破)
🟣駆逐艦
6隻 (撃沈3)(大破1)
英海軍
🟤戦艦
レゾリューション
ヴァリアント
ロイヤルソプリン
ラミリーズ
🟤巡洋戦艦
フッド
🟤空母
アークロイヤル
🟤重巡洋艦
ホーウィック
ドーセットシャー
🟤軽巡洋艦
アレトゥーザ
エンタープライズ(損傷)
🟤駆逐艦
8隻
1940年(和昭15年)6月22日
. 現実世界(物語世界)
ビドラー総統は?莫大なコストの掛かる V2 量産の為の計画を断念 マウス戦車以降の超重巨大戦車についても?変更案を提示。その他特殊巨大兵器への就役予定打ち切り ロケット 巨大戦車 太陽砲 殺人光線 対空兵器 研究開発は継続。このことにより、2000億円(2000兆円相当)の大戦軍事費の内 約500億円(500兆円相当)以上が余剰する見込み 航空機関連 海軍の航空戦力の為 陸軍兵器量産効率化への研究へ回す事に。
1940年(和昭15年)6月23日
初版世界 シャルル・ド・ゴール ロンドンで自由フランス臨時政府 設立
* 1940年(和昭15年)6月23日.
現実世界(物語世界)
日本側の大まかな予測 独軍戦車生産台数1940年4月~1940年6月 月産100両の戦車と云う事だけ考えると単純計算で,Ⅰ号戦車の車体対戦車自走砲が300輌 新旧取り混ぜたⅣ号戦車が 100輌 Ⅲ号突撃砲が 300輌 Ⅲ号戦車の改良前の旧型47口径37mm砲100輌 この頃から、独伊間で独有利な同盟を持ち掛け交渉開始。
1940年(和昭15年)6月25日
現実世界(物語世界)
日🟢水上機母艦改造龍鳳級軽空母 祥鳳 就役
180M 1,5260t 34nt 35機
1940年(和昭15年)6月28日.
現実世界(物語世界)
独伊交渉決裂、アルプスを避けてイタリア北東部の国境に伊軍終結 独機甲師団もイタリア北東部国境に向かう!
和昭15年(1940年)6月30日
現実世界(物語る世界)
アルプス山脈を避けて進撃して来る対独軍ように、故郷に伊陸軍は戦力を終結する。
* 1940年(和昭15年)7月1日
現実世界(物語世界)
ドイツのイタリア侵攻戦開始。
和昭15年(1940年)7月1日
現実世界(物語世界)
・
1940年6月25日:。ドイツは、イタリアに、・1940年6月26日:イタリアは、ドイツ側の多くの要求を拒否する。イタリアは、、傀儡国家になることを拒否する。ドイツは、イタリアに、最後通牒を送る ・
1940年6月30日:ドイツは、イタリアに、宣戦布告する。ドイツは、イタリアに、宣戦布告し、イタリアに攻め込む。 ・
1940年7月1日:ドイツ軍が、イタリアに、進攻を開始する。ドイツ軍は、イタリアの北部に、進攻し、イタリア軍と交戦する。 ・
1940年7月3日:ドイツ軍が、イタリアの主要都市、トリノを占領する。ドイツ軍は、イタリアの主要都市を、次々と占領する。 ・
1940年7月10日:イタリアは、ドイツに、降伏する。イタリアは、ドイツに、降伏し、イタリアは、ドイツの占領下に置かれる。 ・1940年7月15日:ドイツは、イタリアを、ドイツの占領下に置く。ドイツは、イタリアを、ドイツの占領下に置き、イタリアの政府を、ドイツの傀儡政権に置き換える。 ・
1940年7月20日:ドイツは、イタリアの領土を、ドイツに編入する。ドイツは、イタリアの領土を、ドイツに編入し、イタリアは、ドイツの領土とされる。
独軍
やはりアルプスを避けて、Ⅲ号突撃砲を中心に電撃作戦でイタリアとの国境を越える Ⅳ号戦車(42口径75mm砲)100輌 Ⅲ号突撃砲(48口径75mm砲)300輌 Ⅲ号戦車(60口径50mm砲)100輌 Ⅰ号150mm榴弾自走砲200輌 兵士50,0000人
1940年(和昭15年)7月4日
初版世界 在エチオピア伊軍 スーダンへ侵攻
和昭15年(1940年)7月5日
現実世界(物語世界)
ローマに接近 ブッゾリーニ首相が消息不明 逃亡 それでも伊軍は防衛戦闘を継戦、ローマ市街戦の前に講和会議が行われるが、
和昭15年(1940年)7月10日
現実世界(物語世界)
ローマ等の主要都市攻撃は交渉しながらも避け通過して軍港の艦艇を抑えに侵攻し続ける 陸上からの制圧に、伊海軍は海軍は為す術もなく敗戦が決まったわけでもなく出航。近海を航行する艦艇も出るが その後伊艦艇無血引き渡しへ。
和昭15年(1940年)7月10日
初版世界
米合衆国軍 1940年7月10日、、第2次大戦への参戦を意識した。9月には選抜徴兵制を導入して、140万人以上の兵員動員を可能とした。
1940年7月10日
- 初版世界(史実近似) 独英空軍 バトル・オヴ・ブリテン開始
- 独 単座戦闘機. 1107
- 複座戦闘機 149
- 急降下爆撃機. 428
- 爆撃機 1380
- 偵察機 569
- 沿岸哨戒機 233
- 英 単座戦闘機 754
- 複座戦闘機 149
- 爆撃機 200
- 沿岸哨戒機 500
- 損失 独側 1839機 戦死2662
- 英側 840機 戦死 749
バトルオブブリテン開始
- 1940年7月10日: ドイツ空軍がイギリス南部の港湾都市を攻撃し、バトルオブブリテンが始まる。
- 1940年7月16日: ヒトラーが「海獣作戦」を発令し、イギリス本土への侵攻を計画。
- 1940年8月12日: ドイツ空軍がイギリスのレーダー基地を攻撃し、イギリスの防空能力を低下させることを目指す。
- 1940年8月13日: ドイツ空軍が「アドレル作戦」を開始し、イギリスの空軍基地を攻撃。
- 1940年8月15日: イギリス空軍がドイツ空軍の攻撃を撃退し、初めて大規模な空中戦が行われる。
- 1940年8月18日: イギリス空軍がドイツ空軍の基地を攻撃し、ドイツ空軍の戦力が低下。
- 1940年9月7日: ドイツ空軍がロンドンを大規模に爆撃し、イギリスの民間人に多大な被害を与える。
- 1940年9月15日: イギリス空軍がドイツ空軍のロンドン爆撃を撃退し、ドイツ空軍の戦力がさらに低下。
- 1940年10月31日: ドイツ空軍がイギリス本土への大規模な空襲を中止し、バトルオブブリテンが終結。
- 1940年11月12日: ヒトラーが「海獣作戦」を中止し、イギリス本土への侵攻を断念。
1940年(和昭15年)7月9日
初版世界(史実近似)
カラブリア沖海戦 伊英の海戦
英海軍は マルタ島 から アレクサンドリア への船団護衛の為に
伊海軍は 北アフリカに向かう船団護衛の為
両国出撃
英海軍
戦艦 2🟤ウォースパイト 🟤ヴァリアント 🟤ネルソン
空母 2🟤イーグル 🟤イラストリアス
重巡 8🟤ゴードン 🟤ケント 🟤ロンドン 🟤シェフィールド🟤オライオン 🟤リヴェンジ🟤ベルファスト🟤グロスタ
軽巡 1
駆逐 16
伊海軍
戦艦 6🟡ヴィットリオヴェネト 🟡ジュリオチェーザレ 🟡 コンテディカプール 🟡 ドゥーチェ
🟡 カイオドゥーリオ 🟡リットリオ
重巡 8🟡ザラ 🟡ポーラ 🟡トレント 🟡フィウメ 🟡ジョヴァンニディメディチ 🟡アルジェーロ
軽巡 4
駆逐 16
被害は両軍有ったが、撃沈は1隻もなかった。
早朝から交戦が始まり、30km間での激戦の上に 決定打を欠き 勝負は着かなかったが? 主力艦艇が出撃したにも関わらず思わしくない戦果に 伊海軍の行動は消極的になり、範囲を限られるようになった。
和昭15年(1940年)7月11日
現実世界(物語世界)
この日までに、イタリア侵攻は粗全面的勝利。事実上 伊軍降伏 一部の抵抗勢力を抜いて 武装を放棄全土傀儡へ。
1940年(和昭15年)7月20日
現実世界 独傀儡国家イタリア自治政府成立
1940年(和昭15年)7月19日
初版世界 米両洋艦隊法 成立
- 太平洋艦隊と大西洋艦隊の拡張:米国海軍の太平洋艦隊と大西洋艦隊を大幅に拡張することを目的とし、戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などを大量に建造することを決定した。
- 艦隊の増強:米国海軍の艦隊を大幅に増強し、太平洋艦隊と大西洋艦隊をそれぞれ70万トンに増強することを目指した。
- 船舶建造の促進:米国海軍の艦艇建造を促進するため、政府は造船所の拡張、船舶建造の促進、船員の増員などを実施した。
- 海軍予算の増加:海軍の拡張と艦隊の増強に必要な予算を大幅に増加し、1940年度の海軍予算を10億ドルから20億ドルに増やした。
既存の艦艇数(1940年7月)
戦艦:15隻計(コロラド級、テネシー級、ニューメキシコ級、ペンシルベニア級、ネバダ級)
巡洋戦艦6隻(コンステレーション級)
空母:7隻(レキシントン級 レンジャー級 ヨークタウン級 ワスプ級)
重巡洋艦:18隻(ペンサコラ級、ノーザンプトン級、ポートランド級、ニューオーリンズ級)
軽巡洋艦:19隻(オマハ級、ブルックリン級、クリーブランド級、アトランタ級)
駆逐艦:171隻(フレッチャー級、ベンソン級、グリーブス級、バッグレイ級、シムス級)
潜水艦:111隻(ポーパス級、サーモン級、タンバー級、ガトー級、バラオ級)
両洋艦隊法の予定艦艇数(1946年末)
- 戦艦:30隻(ノースカロライナ級 サウスダコタ級 アイオワ級 モンタナ級 フロリダ級)
- 空母: 5隻(エセックス級、サンガモン級)
- 重巡洋艦:27隻(ボルチモア級、オレゴンシティ級、デモイン級、ウースター級)
- 軽巡洋艦:33隻(クリーブランド級、ファーゴ級、ジュノー級、オークランド級)
- 駆逐艦:443隻(フレッチャー級、ギアリング級、サマーズ級、ベンソン級、
グリーブス級)
護衛駆逐艦:450隻(エヴァツ級 バックレイ級 キャノン級 エドサル級 )
- 潜水艦:233隻(ガトー級、バラオ級、テンチ級、バルボア級、タング級)
* 航空母艦 当初は5隻
最終的には 1948末迄に
護衛軽空母 200隻
インディペンデンス級中空母 12隻
サイパン級中空母 12隻
バーモント級戦艦改造重空母 6隻
エセックス級重空母 12隻
タイコンデロガ級重空母 12隻
ミッドウェー級超重空母 12隻
ユナイテッドステイツ級超重空母 3隻
計69隻
当初計画にあったサンガモン級軽空母は
全長161M 排水量1,4500t 搭載機数31機 最大速度33nt 4隻
だったが途中中止
1940年(和昭15年)7月19日
初版世界 スパダ岬沖海戦
英豪軍
軽巡 1
駆逐艦5
損害軽巡小破1
伊海軍
軽巡 2
損害軽巡轟沈1 軽巡損傷1
1940年(和昭15年)7月21日
米国 国防強化促進法成立(大統領輸出品目選定権)
-
1940年7月21日- 米国で国防強化促進法が成立。
- 法律の目的は、米国の国防を強化し、戦争に備えること。
- 法律に基づき、米国政府が国防産業の拡大を開始。
- 国防産業の拡大のために、政府が資金を提供し、工場の建設を促進。
- 選抜徴兵法が成立。
- 法律に基づき、米国で徴兵制度が開始。
- 21歳から36歳までの男性が徴兵の対象。
- 米国で初めての徴兵が実施。
- 約16000人の男性が徴兵される。
- 国防産業の拡大が進み、工場の建設が急速に進む。
- 国防産業の拡大のために、政府が資金を提供し、工場の建設を促進。
- 米国で国防産業の拡大がさらに進み、工場の建設が急速に進む。
- 国防産業の拡大のために、政府が資金を提供し、工場の建設を促進。
- 米国で国防産業の拡大がさらに進み、工場の建設が急速に進む。
- 国防産業の拡大のために、政府が資金を提供し、工場の建設を促進。
- 日本が真珠湾を攻撃。
- 米国が第二次世界大戦に参戦。
国防強化促進法は、米国の国防を強化し、戦争に備えるために成立した法律で、徴兵制度の開始や国防産業の拡大を促進し、米国の戦争準備を進めた。
和昭15年(1940年)
初版世界(史実近似)
ベトナム北部(北部仏印)への日本軍進駐の作戦意向決定
和昭15年(1940年)7月22日ー1941年7月18日
初版世界(史実近似世界)
遠江第二次内閣
内閣総理大臣 遠江文麿
外務大臣 松岡洋左
内務大臣 平沼麒次郎
大蔵大臣 海田烈
陸軍大臣 筒状日出
海軍大臣 及革小四郎
初版世界(史実近似)
遠江第二次内閣1940年7月22日ー1941年7月18日
遠江第三次内閣1941年7月18日ー1941年10月18日
和昭15年(1940年)7月22日ー
現実世界(物語世界)バトル・オヴ・ブリテン開始
バトルオブブリテン用新改造戦闘機
ハインケルHe111 航続距離2800km (零戦航続距離3350km)
改良メッサーシュミット109 航続距離2200km.
改良フォッケウルフ190 航続距離2300km
1940年(和昭15年)7月26日
米政府 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
和昭15年(1940年)7月27日
初版世界(史実近似)
大東和共栄圏構想 東南アジアへの武力行使決定
和昭15年(1940年)7月
初版世界(史実近似)
新体制運動を提唱する 第二次近衛秀麿内閣発足 大東和共栄圏建設構想
南進論盛り上がる
1940年(和昭15年)7月
アメリカ 国防強化促進法 大統領の輸出権利を与えられる。 日本への輸出規制が強化される。
和昭15年(1940年)7月31日
初版世界(史実近似
ビドラーは 「イギリスがソ連を当てにして頑張っているのだから?ソ連を潰すしかない」と発言
1940年7月
現実世界(物語世界)
独🟠Ⅲ号改突撃砲 対蘇連新鋭戦車対応改良型 が生産され始める
48口径75mm砲 50km/h 装甲50mm
1940年7月
現実世界(物語世界)
独🟠Ⅳ号改支援中戦車 対蘇連新鋭戦車対応改良型 が生産され始める
48口径75mm砲 50km/h 装甲50mm
1940年8月
現実世界(物語世界) 初版世界(史実近似)
アインシュタインがルーザベルト大統領に手紙を書き 核兵器開発の警告を行った。
和昭15年(1940年)8月
現実世界(物語世界)
占領した伊仏の客船から 改造空母3隻を起工へ
独🟠超重空母ノオマンディ 314M 8.3400t 34nt 110機
独🟠重空母アウゾーニア 263M 4.5000t 29nt 70機
独🟠重空母オイローパ 283M 5,1000t 34nt 80機
和昭15年(1940年)8月
米 対日輸出特殊光学機械など石油鉄くずなどを許可制にする
石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、 航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
和昭15年(1940年)8月 初版世界
アメリカの二次大戦への軍事介入
対英介入
1940年8月2日
-
- 米国が、イギリスに50隻の駆逐艦を貸与することを決定。
- この決定は、イギリスの海軍力の強化を目的とし、ドイツの海上封鎖に対抗するため。
- 米国が、イギリスに100万挺の小銃を供与することを決定。
- この決定は、イギリスの陸軍力の強化を目的とし、ドイツの侵攻に対抗するため。
- 米国が、イギリスに100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、イギリスの陸軍力の強化を目的とし、ドイツの侵攻に対抗するため。
- 米国が、イギリスに100万挺の小銃と100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、イギリスの陸軍力の強化を目的とし、ドイツの侵攻に対抗するため。
- 米国が、イギリスに50隻の駆逐艦を貸与することを決定。
- この決定は、イギリスの海軍力の強化を目的とし、ドイツの海上封鎖に対抗するため。
- 米国が、イギリスに100万挺の小銃と100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、イギリスの陸軍力の強化を目的とし、ドイツの侵攻に対抗するため。
対中介入
- 1940年8月1日
- 米国が、中国に100万挺の小銃を供与することを決定。
- この決定は、中国の陸軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
- 米国が、中国に100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、中国の陸軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
- 米国が、中国に100万挺の小銃と100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、中国の陸軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
- 米国が、中国に50機の戦闘機を供与することを決定。
- この決定は、中国の空軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
- 米国が、中国に100万挺の小銃と100万発の砲弾を供与することを決定。
- この決定は、中国の陸軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
- 米国が、中国に50機の戦闘機を供与することを決定。
- この決定は、中国の空軍力の強化を目的とし、日中戦争で日本軍に対抗するため。
和昭15年(1940年)8月7日 半導体を使ったラジオ日本が世界に先駆けて開発
和昭15年(1940年)8月19日
重慶爆撃増強
和昭15年(1940年)8月
米陸軍 🔵M3中戦車 量産開始
主砲 31口径75mm砲 副砲 54口径37mm砲 前面装甲51mm
26t. 39km/h
M4シャーマン中戦車が完成するまでの穴埋めとして、期待された車両 最初機はリベット打ちだったが途中から溶接に代わる。
和昭15年(1940年)8月23日
ドイツから特使派遣の申し出があり 其れ迄日独伊三国同盟を持ちかけて来る 其れ迄アジアの日本支配を認めて来なかったドイツは?此処へ来て 方針を転換する その後三国同盟にソ連を加えたいと云う方針をドイツから勧められ日本は承諾する ソ連外相 と ビドラー総統 の会見で四国道名案を出すが 外相は帰国して考える!と帰国 一週間後 ズダーリンソ連書記長 は 11月25日それを基本的に受託すると回答
1940年(和昭15年)8月25日
現実世界(物語世界)
日🟢水上機母艦改造龍鳳級軽空母 瑞鳳 就役
180M 1,5260t 34nt 35機
和昭15年(1940年)
現実世界(物語世界)
9月 この頃から 日本軍協力のもと開発された 長航続距離戦闘機メッサーシュミットBf109 と フォッケウルフFw190 が次第に活躍しだす。
1940年(和昭15年)9月3日
英米防衛協定(武器の輸出)
- 第1条:アメリカは、イギリスに
- 駆逐艦50隻を供与する。
- 第2条:イギリスは、アメリカに西半球のカリブ海や大西洋の基地を99年間貸与するカリブ海のニューヨーク、ニュージャージー、バージニア、フロリダ、メキシコ湾のルイジアナ、そして大西洋のニューファンドランド、バミューダ、バハマ諸島、セント・ルシア、トリニダード、およびイギリス領ギニアの空軍基地および海軍基地を99年間貸与する。
- アメリカは、イギリスから供与された基地を、戦争以外の目的で使用しない。
- この協定は、1941年3月11日に発効する。
和昭15年(1940年)9月12日
グルー米大使は通信を行い。対日路線に転じた 融和的政策から強硬的な政策に。赤信号から青信号に変わったといわれる。 日本の南進政策
- 日本の南進政策は、アメリカの利益に反する。
- 日本の対米戦争の可能性は高まっている。
- アメリカは、日本に対して強硬な姿勢をとるべきである。
和昭15年(1940年)9月17日
ドイツ軍 イギリス侵攻計画を断念 空襲は継続
和昭15年(1940年)9月20日
米軍部拡張計画発
陸軍
- 現在の陸軍兵力25万人を、1941年末までに150万人に増強する。
- 陸軍航空隊を現在の5,500機から、1941年末までに30,000機に増強する。
- 戦車部隊を現在の400両から、1941年末までに7,000両に増強する。
- 現在の海軍兵力15万人を、1941年末までに30万人に増強する。
- 戦艦を現在の15隻から、1941年末までに25隻に増強する。
- 航空母艦を現在の3隻から、1941年末までに10隻に増強する。
- 潜水艦を現在の100隻から、1941年末までに200隻に増強する。
- 現在の海兵隊兵力19,000人を、1941年末までに50,000人に増強する。
- 現在の空軍兵力20万人を、1941年末までに50万人に増強する。
- 戦闘機を現在の2,500機から、1941年末までに12,000機に増強する。
- 爆撃機を現在の800機から、1941年末までに7,500機に増強する。
- 現在の米軍総兵力50万人を、1941年末までに250万人に増強する。
和昭15年(1940年)9月22日ー9月26日
日本 フランス領インドシナ進駐
和昭15年(1940年)9月23日―25日
ダカール沖海戦 フランス領アフリカに英軍が侵攻 フランス艦隊に撃退される
(初版世界でも フランス軍に撃退される。)
1940年(和昭15年)9月26日
米国 日本への 屑鉄の全面禁輸
1940年(和昭15年)9月27日
米陸軍通信隊 日本海軍の暗号解読 成功
和昭15年(1940年)9月27日
日独伊三国同盟 締結 (それまでは、日独伊三国防共協定)
1940年10月31日 初版世界(史実近似)
バトルオヴブリテン 大規模昼間攻撃終わる
独空軍
- 単座戦闘機: 1,107機
- 複座戦闘機: 357機
- 爆撃機: 1,380機
- 急降下爆撃機: 428機
- 偵察機: 569機
- 沿岸哨戒機: 233機
- 総数 4074機
- 損耗数:
- 単座戦闘機: 535機
- 複座戦闘機: 126機
- 爆撃機: 889機
- 急降下爆撃機: 109機
- 偵察機: 148機
- 沿岸哨戒機: 32機
英空軍
- 単座戦闘機: 754機
- 複座戦闘機: 149機
- 爆撃機 200機
- 沿岸哨戒機: 500機
- 総数 1403機
- 損耗数:
- 単座戦闘機: 560機
- 複座戦闘機: 76機
- 爆撃機 98機
- 沿岸哨戒機: 106機
- 総数 840機
1940年(和昭15年)11月4日
初版世界 米中立法 4回目中立法改正案 中立法廃止
- 1939年11月4日: 第4回中立法改正。戦争状態にある国に対する武器輸出を解禁、戦争状態にある国に対する戦争物資の輸出を解禁。
- 1940年9月3日: ルーズベルト大統領がイギリスに駆逐艦50隻を貸与することを発表。
- 1940年9月7日: ルーズベルト大統領がレンドリース法の制定を提案。
- 1941年3月11日: レンドリース法が成立。戦争状態にある国に対する戦争物資の提供を可能にした。
- 1941年11月17日: 第5回中立法改正。中立法の廃止、レンドリース法の拡大。
1940年(和昭15年)11月7日
初版世界
ルーザヘルド大統領 三選。
1940年(和昭15年)11月20日
現実世界
ハンガリー 枢軸側に参加
1940年(和昭15年)11月23日
現実世界
ルーマニア 枢軸側に参加
1940年(和昭15年)11月30日
現実世界
チェコスロバキア 枢軸側同盟に加盟。
1940年(和昭15年)11月30日
初版世界 現実世界
日本が汪兆銘の南京政府を承認。日華基本条約が調印。
1940年12月15日 就役
現実世界(物語世界)
独 🟠 Ⅲ号改中戦車 1,1300輌
初版世界(史実近似世界)5742輛
48口径75mm砲
装甲60mm
21t
60km/h
1940年(和昭15年)12月21日
初版世界
米国 日本への 航空機潤滑油製造装置他 15品目の輸出許可制
1941年(和昭16年)
1941年1月
1941年(和昭16年)
ZI 4 がドイツで航空機用の電子計算機として開発される。 ZI 4 は、1941年に完成した計算機で、ENIACに先駆けてプログラム可能な電子式計算機として稼働した。Z4は、ドイツの航空機メーカーであるヘンシェル社によって使用され、航空機の設計に用いられた。
1941年1月
1月3日 -
初版世界(史実近似) 英軍がリビア駐在のイタリア軍に砲撃
1月6日
ルーザベルト米大統領、四つの自由提唱
1)世界の凡ゆる場所で言論と表現の自由が存在する・
2)世界の凡ゆる場所での個人がそれぞれの方法で神を礼拝する自由がある。
3)欠乏からの自由。世界的な観点で凡ゆる国家にその住民のための健全で平
和な生活の保障を合意する。
4)如何なる場所に於いても 恐怖から解放される自由がある 世界的観点で如何なる隣国に対しても 物理的侵略行為を犯すことがない形で 世界中の軍備を削減する。
1月10日初版世界(史実近似) - 独ソ不可侵条約更新
1941年1月15日
現実世界(物語世界)
英🟤クルセーダー巡航戦車 就役 5300輌
50口径57mm砲 装甲50mm 20t 43km/h
1月17日 -初版世界(史実近似)
初版世界 コーチャン島沖海戦 タイvsフランス領インドシナ フランス海軍の勝利
1941年(和昭16年)1月17日
初版世界 真珠湾奇襲を立案
及川古志郎海軍大臣(1941年1月7日就任)
南方進出のための軍事計画を策定することを主張し、真珠湾奇襲の可能性を検討し始めました。及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を、
1940年11月に、海軍参謀本部に提案し、
1941年1月に、再び提案し、
1941年6月に、正式に提案し、
1941年11月に、首相、東條英機が、真珠湾奇襲の計画を承認することになった、
1月20日~1月23日 - 初版世界(史実近似)
初版世界 ルーマニアにおいて鉄衛団の反乱とブカレスト虐殺 発生、鉄衛団は敗北しアントネスク単独政権が成立
1月28日 - 初版世界(史実近似)
初版世界 タイ・フランス領インドシナ紛争に日本が調停申入 停戦
1月29日 - 初版世界(史実近似)
米英参謀会談
1月31日 -
初版世界(史実近似)
英軍 ピケット作戦 リザルト作戦開始 (ジブラルタルから英軍が サルデーニャ島ティルソダム を 戦艦 巡洋戦艦 空母 で 攻撃)
1941年(和昭16年)
1941年2月 初版世界(史実近似) ドイツが北アフリカにアフリカ軍団(Afrika Korps)を送り、苦戦するイタリア軍を援護。
現実世界(物語世界)では、伊軍のアフリカ侵攻自体ないので、この時期に独軍がアフリカ戦線で戦うことはない。
2月2日
初版世界(史実近似) タイ・フランス領インドシナ紛争の調停会議が東京で開催
2月3日
初版世界(史実近似) 伊軍vs英軍 ケレン(イタリア領東アフリカ)の戦い (現実世界(物語世界)では亡い)
2月9日
英軍 グロッグ作戦 失敗
初版世界は成功 伊戦艦と駆逐艦が英艦隊の後を追うも、追いつかず。
2月14日
英軍 旧伊領ソマリランドに上陸 失敗
初版世界では以後イギリス領となる
2月23日
英軍 アブステンション作戦開始 カステロリゾ島(元イタリア領)に進軍するも失敗(初版世界も同じ)
自由フランス エリトリアへ侵攻 失敗 (初版世界では成功)
1941年(和昭16年)3月1日
初版世界
ブルガリア 枢軸側の同盟に参加
マケドニアとトラキアの一部をブルガリアに約束
1941年(和昭16年)3月11日
初版世界(史実近似) 米国レンドリース法が施行される。 米中立法の改正の回数とその年月日、レンドリース法への意向について時系列的に箇条書きにすると以下のようになる。
- 1935年8月31日: 第1回中立法改正。武器輸出を禁止、戦争状態にある国に対する船舶の提供を禁止。
- 1936年2月29日: 第2回中立法改正。戦争状態にある国に対する融資を禁止、戦争状態にある国に対する航空機の提供を禁止。
- 1937年1月29日: ルーズベルト大統領が中立法改正案を議会に提出。
- 1937年6月5日: 第3回中立法改正。戦争状態にある国に対する戦争物資の輸出を禁止、戦争状態にある国に対する軍事顧問の派遣を禁止、戦争状態にある国に対する軍事訓練の提供を禁止、戦争状態にある国に対する戦争宣伝を禁止。
- 1939年9月5日: ルーズベルト大統領が中立法改正案を議会に提出。戦争状態にある国に対する武器輸出を解禁。
- 1939年11月4日: 第4回中立法改正。戦争状態にある国に対する武器輸出を解禁、戦争状態にある国に対する戦争物資の輸出を解禁。
- 1940年9月3日: ルーズベルト大統領がイギリスに駆逐艦50隻を貸与することを発表。
- 1940年9月7日: ルーズベルト大統領がレンドリース法の制定を提案。
- 1941年3月11日: レンドリース法が成立。戦争状態にある国に対する戦争物資の提供を可能にした。
- 1941年11月17日: 第5回中立法改正。中立法の廃止、レンドリース法の拡大。
1941年3月31日
現実世界 初版世界
英🟤戦艦キングジョージ5世級 プリンスオヴウェールズ 就役
227M 4,2200t 28nt
45口径356mm×10
50口径133mm×8
39口径40mm×32
178mm噴進砲×4
1941年(和昭16年)4月6日
初版世界
ギリシア ユーゴスラビア への侵攻を開始
約三週間で 完了
独軍 戦車300輌 68,0000人
伊軍 戦車200輌 25,0000人
ハンガリー軍 戦車150輌 19,0000人
ルーマニア軍 戦車150輌 14,0000人
ブルガリア軍 戦車 50輌 12,0000人
英軍 戦車200輌 14,0000人
ギリシア軍 戦車100輌 45,0000人
ユーゴ軍 戦車100輌 70,0000人
4月17日 ユーゴスラビア降伏
4月30日 ギリシア降伏
5月30日 クレタ島制圧 海戦は伊艦艇で、空母のある英海軍に苦戦 損耗は両軍とも微小
1941年(和昭16年)4月10日
初版世界
クロアチアがユーゴスラビア王国から独立宣言をして、親ナチス政権を樹立
同6月15日に枢軸同盟に正式参加
1941年(和昭16年)4月11日ー13日
初版世界(史実近似)英連邦軍の退却
1941年(和昭16年)4月13日
日蘇不可侵条約締結
その後 日独伊蘇 四カ国同盟構想 日本は蘇蓮と急接近することになる。
1941年(和昭16年)4月17日
初版世界
ユーゴスラビア ドイツ軍に降伏 枢軸側につく。
セルビア では、親独政権が樹立 同時にパルチザンによるレジスタンス活動開始
1941年(和昭16年)4月26日
ラッセルオー(北京大学教授)はP型N型のゲルマニウムを接合して電圧を印加した時に、整流作用を観測 P型N型接合原理発見。
1941年(和昭16年)4月6日ー4月30日
初版世界 独軍 ギリシア侵攻
1941年(和昭16年)5月25日
現実世界(物語世界)
日🟢正規千歳級軽空母 千歳 就役
192M 1,3600t 34nt 35機
1941年(和昭16年)6月
米政府 日本への石油輸出許可制
1941年6月
初版世界(史実近似世界)
独軍 蘇蓮侵攻(バルバロッサ作戦)敢行
同盟国日本には事前に伝えることもなく 実行された。
独軍(開始時)
兵士 268,0000 18,6450
- 車種
- I号戦車:453輌
- II号戦車:721輌
- III号戦車:1366輌
- IV号戦車:440輌
- PzKpfw 38(t):345輌
- ネーベルヴェルファー:225輌
- 総数:3550輌
- 最終的 4500輌 損耗 4000
- 戦闘機: 1,100機 Bf0109 Bf110 Fw190 Me210
- 爆撃機: 1,000機 He111 Ju88 Do17 Fw200
- 急降下爆撃機: 370機
- 偵察機: 280機
最終的3200 損耗3000
ソ連軍
西ロシア方面軍. シベリア方面軍
戦車 1,5000 戦車 4000
兵士 350,0000. 兵士 50,0000
兵士 400,0000. 80,3191
- 車種
- T-26:1,0630輌
- BT :2489輌
- T-34:977輌
- KV-1:557輌
- KV-2 : 91輌
- BA-10装甲車:1440輌
- 総数:1,6184輌
- 最終的総数 2,1000 損耗 1,8000
- 戦闘機: 3,900機 I-15bis I-16 Mig-3
- 爆撃機: 1500機. Sb-2. Tu-2. Pe-2
- 攻撃機: 300機
作戦最終時 2,4500 損耗2,1000
1941年6月15日
現実世界(物語世界)
英🟤チャーチル歩兵戦車 就役 7000輌
50口径57mm砲 装甲152mm 41t 20km/h
1941年(和昭16年)6月22日ー6月29日
初版世界(史実近似)
ミンスク戦 独軍勝利
独軍
兵士 38,5000 15,0481
戦車 1485. 860
戦闘機 1093. 306
爆撃機 504. 187
蘇軍
兵士 109,4000. 70,4033
戦車 4324. 3591
戦闘機 5572. 3490
爆撃機 965 534
1941年(和昭16年)6月22日ー
初版世界(史実近似)
黒海戦1941
枢軸.
兵士. 30,0000. 15,0000
戦車. 1000. 800
戦闘機. 250. 180
爆撃機. 100. 70
戦艦. 1 0
巡洋 3 0
駆逐 10. 5
潜水. 5. 3
蘇軍
兵士. 50,0000. 25,0000
戦車. 2000. 1500
戦闘機. 400. 250
爆撃機. 150. 100
戦艦 2 1
巡洋. 5. 2
駆逐. 20. 10
潜水. 10. 5
1941年(和昭15年)
初版世界蘇海軍黒海艦隊
戦艦 5隻
ヴォロシーロフ 1941.11轟沈
マラート 1941.9.轟沈
ヤーコブシヴェルトロフ 1941,12,轟沈
ミハイルフォフェゼ 1941.11轟沈
ヴェストニック 1941,11轟沈
重巡洋艦 3隻
マキシムゴーリキー 1941,6,30、轟沈
ヴォロシーロフ 1941,11,23,轟沈
クラ 1942,7,2,轟沈
軽巡洋艦 12隻
モトロフ 1942,6,30,轟沈
ミンスク 1942,5,30,轟沈
マクシム 1941,11,18,轟沈
チェルヴォナウクライナ 1942,7,2,轟沈
クラースヌィイクルィーム 1942,5,30,轟沈
クラースヌィイカフカス 1942,6,30,轟沈
チャパエフ 1941,6,30,轟沈
コミンテールン 1943,6,30,轟沈
プロフィンテルン 1942,7,2,轟沈
キエフ 1941,11,30,轟沈
カリーニン 1941,11,30轟沈
駆逐艦 23隻
旧式駆逐艦 4隻
潜水艦 44隻
砲艦 2隻
敷設艇 18隻
魚雷艇 84
1941年(和匠16年)6月23日
初版世界(史実近似)
リトアニア ラスエイニャイにて バルバロッサ作戦二日目
第六装甲師団と歩兵師団を分断するために送り込まれた、
KV-2重戦車1輌が作戦成功し、KV-2 1台で
翌日まで、独軍を足止め、独トラック12台撃破
街道上の怪物と呼ばれる、
1941年(和昭16年)6月25日
現実世界(物語世界)
日🟢正規千歳級軽空母 千代田 就役
192M 1,3600t 34nt 35機
1941年(和昭16年)6月25日
初版世界 日本軍 米軍刺激回避一致
- 1941年6月25日
- 日本の首相、東條英機は、南方進出のための軍事計画を策定し、真珠湾奇襲の可能性を検討する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を提案する。
- 日本の海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を否定する。
- 日本の首相、東條英機は、真珠湾奇襲の計画を否定し、南方進出のための軍事計画を策定することを決定する。
- 1941年7月2日
- 日本の首相、東條英機は、南方進出のための軍事計画を策定し、真珠湾奇襲の可能性を再び検討する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を再び提案する。
- 日本の海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を再び否定する。
- 1941年7月10日
- 日本の首相、東條英機は、南方進出のための軍事計画を策定し、真珠湾奇襲の可能性を再び検討する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を再び提案する。
- 日本の海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を再び否定する。
- 1941年9月6日
- 日本の首相、東條英機は、南方進出のための軍事計画を策定し、真珠湾奇襲の可能性を再び検討する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を再び提案する。
- 日本の海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を再び否定する。
- 1941年11月5日
- 日本の首相、東條英機は、南方進出のための軍事計画を策定し、真珠湾奇襲の可能性を再び検討する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を再び提案する。
- 日本の海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を再び否定する。
- 1941年11月15日
- 日本の首相、東條英機は、真珠湾奇襲の計画を承認する。
- 日本の海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を実行することを決定する。
- 日本は、当初、南方進出のために、真珠湾奇襲を計画していたが、海軍参謀長、伊藤整一は、真珠湾奇襲の計画を否定し、代わりに、南方進出のための軍事計画を策定することを主張していた。しかしながら、海軍大臣、及川古志郎は、真珠湾奇襲の計画を再三提案し、最終的に、首相、東條英機が、真珠湾奇襲の計画を承認することになった。
1941年6月28日
初版世界(史実近似)
トルコ、ドイツと 友好不可侵条約締結
1941年(和昭16年)7月15日−8月8日
初版世界(史実近似)
ウーマニ戦 独軍勝利
独軍
兵士 60,5100. 11,5049
戦車 1050. 382
戦闘機 543. 239
爆撃機. 196. 99
蘇軍
兵士 35,8721. 23,1175
戦車 3544. 3340
戦闘機. 821 316
爆撃機. 315. 155
1941年(和昭16年)7月26日
米政府 日本資産 凍結
米 在米日本資産の凍結を発表
米 対日石油輸出の全面禁止決定。
1941年(和昭16年)8月25日
現実世界 初版世界
日🟢正規翔鶴級重空母 翔鶴 就役
256M 3,2100t 34nt 90機
1941年(和昭16年)8月1日
初版世界(史実近似世界) 現実世界(物語世界)
米政府 対日全面石油禁輸
1941年(和昭16年)9月8日ー1944年1月27日
初版世界
1941年6月22日:
ドイツ軍がソ連レニングラードに侵攻開始
レニングラード(現サンクトペテルブルク)はソ連第二の都市で重要な軍事・産業拠点
- 包囲の開始:
- 1941年8月:ドイツ軍がレニングラード近郊に到達
- 9月8日:ドイツ軍がラドガ湖南岸を制圧し、陸路での包囲完了
- 包囲初期(1941年秋〜冬):
- ソ連軍による激しい抵抗
- 食糧・燃料の深刻な不足が始まる
- 市民の大規模疎開開始
- 最も過酷な時期(1941年冬〜1942年春):
- 極寒と飢餓により多数の死者が出る
- ラドガ湖結氷により「生命の道」開通、わずかな補給路確保
- 包囲の長期化(1942年〜1943年):
- ソ連軍による包囲突破の試みが続く
- 市民による防衛活動と生産の継続
- 包囲の解除:
- 1943年1月18日:ソ連軍がわずかな回廊を開通させる(部分的解除)
- 1944年1月27日:ソ連軍の大規模攻勢により完全解除
- 結果と影響:
- 包囲期間:約872日(2年5ヶ月)
- 民間人の死者:150万人
- レニングラードの英雄的抵抗がソ連の士気を高める
兵士 72,5000. 30,0000
戦車 1000. 600
戦闘機 600. 250
爆撃機 400. 150
蘇軍
兵士 93,0000. 150,0000(民間人も含む)
戦車 1000. 700
戦闘機 400. 300
爆撃機 300. 200
1941年(和昭16年)9月9日ー1942年5月
初版世界(史実近似)
クリミア戦役 9月9日 独軍南方集団がクリミア半島に侵攻
9月26日 セヴァストポリ包囲戦開始
10月16日 ドニエプル川東岸への進撃
11月16日 ロストフ攻防戦開始 12月1日陥落
12月5日 セヴァストポリ要塞陥落
1942年1月8日 クリミア半島全土制圧
2月11日 ハリコフ攻防戦開始
5月18日 セヴァストポリ港へ空挺降下作戦失敗
5月25日 セヴァストポリ港完全封鎖解除
独軍
兵士 100,0000. 25,0000
戦車 1500. 700
戦闘機 1000. 500
爆撃機 500. 250
戦艦 2
重巡 2 1
軽巡 2
駆逐艦 15 2
蘇軍
兵士 250,0000. 100,0000
戦車 4000. 2500
戦闘機 3000. 2000
爆撃機 1500. 1000
戦艦 4 3
重巡 3 2
軽巡. 2. 2
駆逐. 18. 16
1941年(和昭16年)9月25日
現実世界 初版世界
日🟢正規翔鶴級重空母 瑞鶴 就役
256M 3,2100t 34nt 90機
1941年(和昭16年)10月2日ー翌年1月2日
初版世界 モスクワ戦
モスクワ近郊で行われた戦闘。600kM防衛区域で二段階に分かれて
行われた。 首都であるモスクワ戦はバルバロッサ作戦の
最重要軍事的政治的目標だった。
独第三装甲軍第四装甲軍 と 蘇カリーニン方面軍 と対峙。
モスクワ南方 独第二装甲軍 と 蘇西方面軍 が対峙
一度キエフ方面に独軍の兵力を向かわせ 9月30日に
再びモスクワ侵攻再開。 この間で、モスクワは防御を固める余裕ができた、
9月26日迄に赤軍は100万人が戦死
10月14日 第三装甲軍ヴォルガ川渡河 モスクワ-レニングラード間鉄道寸断
10月30日第二装甲軍トゥーラ迄進行
10月31日→11月15日まで第二回独総攻撃
11月15日から第二第三第四装甲軍が攻勢
12月5日カリーニン方面軍が反撃開始
12月12日ソルネチノゴルスク奪還
12月15日クリン奪還
12月後半独軍無力化
12月26日ナロフォンミンスク28日カルガ翌1月2日マロヤロスラヴェツ解放
1月7日独軍攻勢中止
9月22日
独戦車. 3000輌 兵士300万人
航空機549機(夏迄に1028機損耗)
は火砲1,4000門
蘇戦車 1,0000輌 兵士500万人
航空機1376機
9月30日
独戦車 1000輌 兵士100万人
蘇戦車 1000輌 兵士120万人
10月中旬
独軍モスクワ近郊に到達
12月5日
独戦車 700輌 兵士80万人
蘇戦車 1500輌 兵士100万人
損耗
独戦車 1300輌 兵士 25万人 航空機320
蘇戦車 4000輌 兵士 100万人 航空機970
1941年(和昭16年)10月20日ー24日
初版世界
第一次ハリコフ戦 蘇第28軍第38軍がハリコフ防御
独第第6軍 によってハリコフ占領
独軍
兵士 60,0000. 25,0000
戦車 1100. 500
戦闘機 400. 200
爆撃機 200. 100
蘇軍
兵士 110,0000. 50,0000
戦車 3400. 2000
戦闘機 800. 400
爆撃機 500. 250
1941年10月25日
現実世界 初版世界
米🔵正規ヨークタウン級重空母 ホーネット 就役
251M 2.2500t 33nt 80機
1941年11月4日
初版世界
英🟤戦艦キングジョージ5世級 デュークオヴヨーク 就役
227M 4,2200t 28nt
45口径356mm×10
50口径133mm×8
39口径40mm×32
178mm噴進砲×4
1941年(和昭16年)11月17日
初版世界 第5回 米中立法改正
中立法の廃止 レンドリース法の拡大
1941年(和昭16年)11月26日
初版世界 ハル・ノートが提出される。
1941年(和昭16年)12月7日(日本時間12月8日)
初版世界(史実近似)
対米開戦 日本は米英蘭に対して宣戦布告をする。
初版世界(史実近似) フィリピン上陸
日損耗 戦死 4130
米損耗 戦死25000 捕虜8,3631
1941年(和昭16年)12月7日(日本時間8日)
初版世界(史実近似) マレー上陸
日損耗 戦死3248 潜航艇4沈没 航空機29
英米損耗 戦死9350. 捕虜13,5000 航空機435
1941年(和昭16年)12月7日(日本時間8日)
初版世界(史実近似) パールハーバー(真珠湾)奇襲
日軍 空母赤城 戦10 雷27 爆18. 計55
空母加賀 戦11 雷26 爆26 計63
空母蒼龍 戦 9 雷18 爆18 計45
空母飛龍 戦 9 雷18 爆18 計45
空母翔鶴 戦. 5 雷27 爆26. 計58
空母瑞鶴 戦 6 雷27 爆25 計58
合計 50 143 131 324機
戦艦比叡 戦艦霧島 重巡利根 重巡筑摩 軽巡阿武隈
駆逐艦8 艦上機350
日艦艇損耗 戦死 64 潜航艇4沈没
日航空機損耗29 損傷74
米軍 戦艦アリゾナ 戦艦ネバダ 戦艦オクラホマ 戦艦ニューオリンズ
戦艦ペンシルベニア 戦艦カルフォルニア 戦艦テネシー
戦艦メリーランド 戦艦ウェストバージニア
重巡ニューオリンズ 重巡サンフランシスコ 重巡フェニックス
重巡ホノルル 重巡セントルイス 重巡ヘレナ
軽巡ローリー 軽巡デトロイト 軽巡ボルチモア 駆逐艦38
基地航空機399
真珠湾帰港航行中空母
空母レキシントン 戦18 雷12 爆30 計60
空母エンタープライズ 戦18 雷12 爆30 計60
合計 36. 24. 60. 120機
その他米空母
空母ホーネット サンディエゴ港 修理中
空母サラトガ サンフランシスコ港にて修理中
空母ヨークタウン ノーフォーク港 訓練中
空母レンジャー トリニダット・トバコ近海で哨戒任務
空母ワスプ ノーフォーク港 修理中
米艦艇損耗 戦死2334 戦艦4撃沈1挫傷3損傷 軽巡3損傷
駆逐艦3挫傷
完全喪失艦 戦艦アリゾナ 戦艦オクラホマ 戦艦ユタ
沈没後復旧艦 戦艦ウェストバージニア 戦艦カルフォルニア
座礁艦 戦艦ネバタ
損傷艦 戦艦テネシー 戦艦メリーランド 戦艦ペンシルベニア
軽巡ロウリー 軽巡ヘレナ 軽巡ホノルル
米 基地航空機 399機
米航空機損耗 188 損傷159
1941年(和昭16年)12月10日
初版世界(史実近似) マレー沖海戦
日軍 一式陸攻26
九六式陸攻59
日航空機損耗3
英軍 戦艦プリンス・オヴ・ウェールズ
巡洋戦艦 レパルス
駆逐艦4
損耗 英戦艦プリンスオヴウェールズ撃沈
英巡洋戦艦レパルス撃沈
1941年12月8日未明:日本海軍の南雲機動部隊がマレー半島の東北部、コタバルを空襲。
・1941年12月8日朝:イギリス海軍のZ部隊(プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス、エンカウンター、ジャングル、テナシティ、ヴァンパイア)がシンガポールを出港し、北上。
・1941年12月9日昼:日本海軍の潜水艦I-65がイギリス海軍のZ部隊を発見し、報告。
・1941年12月10日朝:日本海軍の南雲機動部隊がマレー沖でイギリス海軍のZ部隊を空襲。
・1941年12月10日9時44分:イギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズが被弾、航行不能に陥る。
・1941年12月10日10時20分:イギリス海軍の戦艦レパルスが被弾、航行不能に陥る。
・1941年12月10日12時33分:イギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈没。
・1941年12月10日12時43分:イギリス海軍の戦艦レパルスが沈没。
・1941年12月10日午後:イギリス海軍の駆逐艦エンカウンター、ジャングル、テナシティ、ヴァンパイアがシンガポールに帰投。
1941年(和昭16年)12月25日 (初版世界1943年)
初版世界(史実近似) 英領香港島占領
コロッサス イギリスで開発 電気式計算機 ドイツの暗号エニグマ解読に使用
コロッサスは、真空管を1500本以上使用した大型機械計算速度は、ENIACと同程度で、複雑な暗号解読を可能
コロッサスは、イギリス政府機関ブレッチリー・パークで開発。ブレッチリー・パークは、イギリスの暗号解読を専門とする機関。第二次世界大戦中、ドイツの暗号解読に大きな貢献。 コロッサスの開発 コンピュータの歴史において画期的な出来事、その後のコンピュータ開発に大きな影響を与えた。コロッサスの開発によって、電気式計算機の可能性を世界に示し、ENIACの開発につながった。
1941年12月26日
初版世界(史実近似) 蘇軍 クリミアのケルチ半島上陸
1941年12月27日
初版世界(史実近似) 独軍 潜水艦による パイケンシュラーク作戦開始
1941年12月30日
初版世界(史実近似) 蘇軍 クリミアのケムチとフェオドシアを奪還
1942年(和昭17年)
1942年(和昭17年)1月1日 -
初版世界(史実近似)連合国共同宣言調印
1942年(和昭17年)1月2日 -
初版世界(史実近似)日本、マニラ無血占領
1942年(和昭17年)1月8日 -
初版世界(史実近似)連合国軍、タイに攻撃開始
1942年(和昭17年)1月11日 -3月9日
初版世界(史実近似)日本がオランダに宣戦布告
1月11日 蘭領ジャワ島タラカン 侵攻 油田占領
1月11日 蘭領セレベス島メナド 侵攻
1月12日 ミンダナオ島南部 ダパオ 前線基地予定
1月21日 パリクパパン沖海戦 セレベス島ゲンダリー 占領
1月31日 蒼龍 飛龍 艦載機 アンボン空襲
2月 1日 アンボン投降
1943年
1月30日 バリクパパン出発 森林をかき分け進軍
2月 9日 セレベス島マカッサル上陸占領
2月10日 バンジェルマシン飛行場占拠
2月14日 日軍 パレンバン北部飛行場空挺部隊奇襲
2月15日 パレンバン市内突入 占領 油田設備一部炎上
2月18日 スラバヤ沖海戦
3月 1日 バタビア沖海戦 ジャワ島近海の制海権奪取
3月 1日 ジャワ島一斉上陸 6日までに占領
3月 3日 蘭印軍 カリヂャチィ奪還戦車装甲車で逆襲
3月 7日 レンバン町突入 山頂線重要陣地占領
3月10日 バンドン要塞へ入場
1942年1月16日 -
初版世界(史実近似)イギリス、MF3作戦開始
1942年1月18日 -
初版世界(史実近似)ホルムの戦い
1942年1月19日 -
初版世界(史実近似) ファン・イムホフ号事件
1942年1月20日 -
初版世界(史実近似)ドイツにおいて、ヨーロッパのユダヤ人絶滅に関するヴァンゼー会議の開催
1942年(和匠17年)1月23日
初版世界 日軍ニューギニア戦開始
1942年
1月23日:日本軍がニューギニアのラバウルを占領。
3月8日:日本軍がラエとサラモアを占領。
7月21日:日本軍がブナとゴナを占領。
8月17日:連合国軍がミルン湾に上陸し、ミルン湾の戦いが始まる。
9月16日:日本軍がポートモレスビーを目指してココダトラックを占領。
11月16日:連合国軍がブナとゴナを奪回。
1943年
1月22日:連合国軍がサナンダを占領。
2月28日:日本軍がラエとサラモアを放棄。
6月30日:連合国軍がラエとサラモアを占領。
9月4日:連合国軍がラエを完全に占領。
9月22日:連合国軍がフィンシュハーフェンを占領。
12月15日:連合国軍が西ニューギニアのアイタペを占領。
1944年
4月22日:連合国軍がホーランジアを占領。
5月27日:連合国軍がビアク島を占領。
7月2日:連合国軍がノエムフォール島を占領。
7月30日:連合国軍がサンサポールを占領。
9月15日:連合国軍がモロタイ島を占領。
1945年
4月11日:連合国軍がアイタペを完全に占領。
5月10日:日本軍がニューギニアから撤退を開始。
8月15日:日本が降伏し、ニューギニアの戦いが終結。
1942年(和昭17年)1月24日 -
初版世界(史実近似)バリクパパン沖海戦
連合軍勝利
連合軍 駆逐艦4 潜水艦9 航空機9
損耗 潜水艦1大破 駆逐艦1小破
日軍 軽巡1 駆逐艦9 小艦艇10 輸送船16
損耗 輸送船5轟沈 哨戒艇1大破 輸送船2損傷
- ・1942年1月、オランダ領東インド(現在のインドネシア)に日本軍が上陸し、オランダ軍と連合国軍は敗北を重ねる。
・1月24日、連合国軍は、オランダ領東インドのバリクパパンに、ABDA司令部(アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合軍)を設立し、海軍部隊を集結させる。
・1月24日、ABDA司令部は、バリクパパンに集結した海軍部隊を、東方艦隊と西方艦隊に分割し、東方艦隊をバリクパパンに、西方艦隊をスラバヤに配置する。
・1月27日、西方艦隊は、スラバヤからバリクパパンに移動し、東方艦隊と合流する。
・1月28日、ABDA司令部は、バリクパパンに集結した海軍部隊を、バリクパパン沖に配置し、待機するよう命令する。
・2月3日、ABDA司令部は、バリクパパン沖に配置した海軍部隊に、バリクパパンからスラバヤに移動するよう命令する。
・2月4日、バリクパパン沖に配置した海軍部隊が、バリクパパンからスラバヤに移動中、南雲忠一中将指揮下の日本海軍機動部隊が、バリクパパン沖に到着し、空襲を開始する。
・2月4日、バリクパパン沖海戦が始まる。日本海軍機動部隊の空襲で、連合国軍の海軍部隊は大きな損害を被る。
・2月4日、連合国軍の海軍部隊は、バリクパパンからスラバヤに撤退し、バリクパパン沖海戦は終了する。
1942年1月25日 -
初版世界(史実近似)タイがアメリカ・イギリスに宣戦布告
1942年(和昭17年)1月27日 -
初版世界(史実近似)エンドウ沖海戦
日軍勝利
日軍 軽巡1 駆逐艦6
連合軍
英駆逐艦1
豪駆逐艦1
損耗 英駆逐艦1撃沈
-
- マレー半島戦線において、日本軍は順調に進攻を続けており、イギリス軍は劣勢に立たされていた。
- エンドウは、マレー半島東岸の重要な地点であり、日本軍はここを攻略することで、さらなる進攻の足掛かりとしようと考えていた。
- 1月27日:
- イギリス海軍駆逐艦部隊が、日本軍の輸送船団を攻撃。
- 日本海軍駆逐艦部隊も応戦し、夜間戦闘となる。
- 両軍とも損害を出す。
- :
-
- 戦闘は夜明けとともに終結。
- いずれの陣営も決定的な勝利を得られず、膠着状態が続く。
- この海戦は、マレー半島戦線における一連の戦闘の末期に発生し、戦況に大きな影響を与えることは無かった。
1942年1月31日 -
初版世界(史実近似)イギリス・エチオピア協定(英語版)、イギリスがエチオピアの独立を確認
1942年(和昭17年)1月
初版世界(史実近似)
独物理学者 カール・フリードリヒ・ボンファー
ウラン235の濃縮実験を開始
2月
1942年(和昭17年)2月
ラバウル基地
などの移民統治領内の、基地建設と使用が始まる、
1942年(和昭17年)2月
初版世界
スラバヤ占領
1942年(和昭17年)2月1日 -
初版世界(史実近似) 米軍マーシャル・ギルバート諸島を空襲 エンタープライズの爆撃で日本第六根拠地司令部1爆弾 初日本将校戦死
1942年(和昭17年)2月4日 -
初版世界(史実近似)ジャワ沖海戦
日軍勝利
日軍 陸上攻撃機60機 損耗1機
米軍 重巡1 軽巡3 駆逐艦7
米損耗 軽巡1中破 軽巡1小破 重巡1小破
1942年2月1日: 連合軍は、日本軍がボルネオ島バリクパパンに大輸送船団を集結させていることを確認。
- 1942年2月3日: 連合国艦隊は、マドゥラ島バンダ泊地に集結。
- 1942年2月4日: 日本海軍第十一航空艦隊(基地航空部隊)が一式陸攻と九六陸攻で連合国軍巡洋艦部隊を攻撃。
- 1942年2月4日: 日本海軍は、連合国軍巡洋艦部隊に大打撃を与えたと報告。
- 事実: 連合国軍巡洋艦部隊は軽微な被害にとどまる。
- その後: 日本軍はジャワ島への侵攻を続け、連合軍は敗退。
- 日本海軍の誤報: 日本海軍は、戦果を過大に報告した。
- 連合軍の敗退: この海戦の後、日本軍はジャワ島を占領し、連合軍は東南アジアから逐次撤退していった。
- 航空戦力の重要性: この海戦は、航空戦力の重要性を示す一例となった。
- ABDA艦隊: アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合艦隊。
1942年2月8日
初版世界(史実近似) デミャンスク包囲戦
- 背景
- 1941年6月、ドイツ軍がソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)
- ソ連軍は大きな損失を被り、ドイツ軍は東部戦線で大きな進撃を続ける
- 1941年10月、ドイツ軍がレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、ソ連軍を北方から圧迫
- 同時期、ドイツ軍がモスクワに接近し、ソ連軍を中央から圧迫
- ソ連軍は、デミャンスクを拠点に、ドイツ軍の北方と中央の進撃を阻止しようとする
- 1941年2月8日、ドイツ軍がデミャンスクを包囲し、包囲戦が開始される
- ソ連軍は、デミャンスクを拠点に、ドイツ軍の包囲を突破しようとする
- ドイツ軍は、デミャンスクを完全に包囲し、ソ連軍の補給線を断つ
- ソ連軍は、空挺部隊を投入し、包囲を突破しようとするが、失敗する
- ソ連軍は、デミャンスクを保持し、ドイツ軍の進撃を阻止するが、多大な損失を被る
- 1942年5月、ソ連軍がデミャンスクから撤退し、包囲戦が終結する
- 包囲戦の結果、ソ連軍は多大な損失を被り、ドイツ軍は東部戦線で大きな進撃を続ける
1942年2月12日 -
初版世界 (史実近似) イギリス、MF5作戦開始
1942年(和昭17年)2月15日 -
初版世界(史実近似) 日軍シンガポール占領
1942年(和小17年)2月19日
- 日軍豪へ空襲開始(ダーウィン空襲)
- アメリカ、大統領令9066号発令、日系人の強制収容開始
1942年(和昭17年)2月20日
-初版世界(史実近似) バリ島沖海戦
日軍勝利
日軍 駆逐艦4
損耗 駆逐艦1大破 駆逐艦1小破
米軍 軽巡3 駆逐艦7
損耗 軽巡1中破 駆逐艦1撃沈 駆逐艦1中破
1942年2月19日、連合国軍は、バリ島に、ABDA司令部(アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合軍)を設立し、海軍部隊を集結させる。
・2月19日、ABDA司令部は、バリ島に集結した海軍部隊を、バリ島沖に配置し、待機するよう命令する。
・2月19日、南雲忠一中将指揮下の日本海軍機動部隊が、バリ島沖に到着し、空襲を開始する。
・2月19日、バリ島沖海戦が始まる。日本海軍機動部隊の空襲で、連合国軍の海軍部隊は大きな損害を被る。
・2月19日、連合国軍の海軍部隊は、バリ島から撤退し、バリ島沖海戦は終了する。
・2月20日、バリ島は日本軍に占領される。 バリ島沖海戦は、パリクパパン沖海戦と同様に、連合国軍の海軍部隊が大きな損害を被り、敗北した海戦です。日本海軍機動部隊の空襲が、連合国軍の海軍部隊に大きな打撃を与え、バリ島は日本軍に占領された。
1942年(和昭17年)2月20日
初版世界(史実近似) ニューギニア沖海戦
日軍 航空隊大損害
米軍 作戦放棄して撤退
日軍 陸攻17 損耗15機
米軍 空母レキシントン 重巡4 駆逐艦10
損耗 空母至近弾1 戦闘機2
- ・1942年7月、連合国軍はニューギニア島のポートモレスビーを攻略する「モ作戦」を開始し、海軍の主力はラバウルに集結。
・7月下旬、連合国軍はミルン湾に上陸し、ニューギニア島の東部を攻略。
・8月上旬、連合国軍はガダルカナル島に上陸し、ガダルカナル島の戦いが始まる。
・8月中旬、連合国軍はミルン湾からラエとサラモアを攻略し、ニューギニア島の東部を制圧。
・9月上旬、連合国軍はラエとサラモアからブナとゴナを攻略し、ニューギニア島の東部を完全に制圧。
・9月中旬、連合国軍はブナとゴナからバサブアを攻略し、ニューギニア島の東部を完全に制圧。
・1943年2月、連合国軍はバサブアからラエとサラモアを攻略し、ニューギニア島の東部を完全に制圧。
・3月上旬、連合国軍はラエとサラモアからマダンを攻略し、ニューギニア島の東部を完全に制圧。
・3月2日、連合国軍はマダンからラエとサラモアを攻略し、ニューギニア島の東部を完全に制圧。
・3月3日、ニューギニア沖海戦が勃発。日本海軍の輸送船団が、連合国軍の空母機と水上機の攻撃を受け、多数の輸送船が沈没。
・3月4日、ニューギニア沖海戦が終結。日本海軍は大敗を喫し、ニューギニア島の東部の補給線が断絶 - 。
1942年2月23日 初版世界(史実近似)
トルコ 非同盟宣言
1942年(和昭17年)2月24日
初版世界(史実近似) ウェーク島をエンタープライズが攻撃
攻撃の準備
- 1942年2月23日:米空母エンタープライズがウェーク島の北西約200海里の地点に到着する。
- 1942年2月23日:エンタープライズから9機のSBDドーントレスと6機のF4Fワイルドキャットが発進し、ウェーク島の偵察を行う。
- 1942年2月24日午前6時00分:エンタープライズから36機のSBDドーントレスと12機のF4Fワイルドキャットが発進し、ウェーク島を攻撃する。
- 1942年2月24日午前6時30分:米機がウェーク島上空に到着し、攻撃を開始する。
- 1942年2月24日午前6時40分:日本軍の九六式艦上戦闘機が米機を迎撃する。
- 1942年2月24日午前7時00分:日本軍の九六式艦上戦闘機が米機と交戦し、1機のF4Fワイルドキャットを撃墜する。
- 1942年2月24日午前7時30分:米機が攻撃を終了し、エンタープライズに帰投する。
- 1942年2月24日午前8時00分:米機がエンタープライズに着艦する。
- 日本軍:ウェーク島の飛行場と施設が被害を受ける。九六式艦上戦闘機2機が被弾し、損傷する。
- 米軍:F4Fワイルドキャット1機が被撃墜する。SBDドーントレス1機が被弾し、損傷する。
1942年(和昭17年)2月27日
初版世界(史実近似)- スラバヤ沖海戦
・1942年2月24日午前9時00分:日本海軍の第五戦隊(那智、羽黒、妙高、足柄)と第二水雷戦隊(神通、陽炎、嵐、野分、舞風、海風)がスラバヤ沖に到着。
-
・午前9時30分:連合国軍のABDA艦隊(デ・ロイテル、エクセター、ヒューストン、パース、ジャワ、コルテノール、エレクトラ、エンカウンター、ジュピター)がスラバヤ沖に到着。
・午前10時00分:日本海軍の第五戦隊がABDA艦隊を発見し、砲撃を開始。
・午前10時15分:ABDA艦隊が日本海軍の第五戦隊に砲撃を開始。
・午前10時30分:日本海軍の第二水雷戦隊がABDA艦隊に魚雷攻撃を開始。
・午前11時00分:ABDA艦隊のデ・ロイテルとエクセターが被弾し、戦闘不能になる。
・午前11時30分:ABDA艦隊のヒューストンとパースが被弾し、戦闘不能になる。
・午前12時00分:ABDA艦隊のジャワとコルテノールが被弾し、戦闘不能になる。
・午後1時00分:ABDA艦隊のエレクトラ、エンカウンター、ジュピターが被弾し、戦闘不能になる。 ・
午後2時00分:日本海軍の第五戦隊と第二水雷戦隊がABDA艦隊を完全に破壊し、スラバヤ沖海戦が終了。
3月
1942年(和昭17年)3月1日 -
初版世界(史実近似) バタビア沖海戦
前哨戦
- 1942年2月下旬:日本軍がジャワ島の占領を目指し、輸送船団を編成する。
- 1942年2月28日:日本軍の輸送船団がパタビア海峡に到着する。
- 1942年3月1日午前0時:オランダの潜水艦「K-XIV」が日本軍の輸送船団を発見する。
- 1942年3月1日午前1時00分:オランダの潜水艦「K-XIV」が日本軍の輸送船「佐倉丸」に魚雷を発射し、命中する。
- 1942年3月1日午前1時30分:日本軍の駆逐艦「白雲」が「佐倉丸」の救助にあたる。
- 1942年3月1日午前2時00分:オランダの潜水艦「K-XIV」が日本軍の輸送船「龍城丸」に魚雷を発射し、命中する。
- 1942年3月1日午前2時30分:日本軍の駆逐艦「白雲」が「龍城丸」の救助にあたる。
- 1942年3月1日午前3時00分:オランダの潜水艦「K-XIV」が日本軍の輸送船「泰山丸」に魚雷を発射し、命中する。
- 1942年3月1日午前3時30分:日本軍の駆逐艦「白雲」が「泰山丸」の救助にあたる。
- 1942年3月1日午前4時00分:オランダの潜水艦「K-XIV」が日本軍の輸送船「天城山丸」に魚雷を発射し、命中する。
- 1942年3月1日午前4時30分:日本軍の駆逐艦「白雲」が「天城山丸」の救助にあたる。
- 日本軍:輸送船「佐倉丸」、「龍城丸」、「泰山丸」、「天城山丸」が被雷し、沈没する。
- オランダ軍:潜水艦「K-XIV」が被弾し、損傷する。
1942年(和昭17年)3月7日 -
初版世界(史実近似)
ポートモレスビー作戦
(ニューギニア戦線。ポートモレスビー覇権の為、日本vs米豪が衝突)
・1942年3月7日、南海支隊(指揮官:堀井富太郎少将)がラバウルを出発し、ポートモレスビー攻略作戦を開始。
・3月8日、南海支隊がパプアニューギニアのラエとサラモアに上陸し、占領。
・3月10日、南海支隊がラエとサラモアからポートモレスビーへ向け進撃を開始。
・3月14日、連合国軍がポートモレスビーに空挺部隊を投入し、防衛体制を強化。
・3月21日、南海支隊がポートモレスビーに接近し、攻撃を開始。
・3月22日、連合国軍が南海支隊の攻撃を撃退し、ポートモレスビーを防衛。
・3月23日、南海支隊がポートモレスビーから撤退を開始。
・3月25日、南海支隊がラエとサラモアに撤退し、ポートモレスビー攻略作戦が失敗に終わる。
・3月26日、連合国軍がラエとサラモアを空襲し、南海支隊に大損害を与える。
・3月28日、南海支隊がラバウルに撤退し、ポートモレスビー攻略作戦が完全に失敗に終わる。
1942年(和昭17年)3月8日
初版世界(史実近似) 日軍 ラングーン占領
1942年(和昭17年)3月8日
初版世界
- 日軍 東部ニューギニア占領
1942年(和昭17年)3月8日
初版世界
日軍 蘭領東インド総督府 占領
1942年(和昭17年)3月9日 -
初版世界(史実近似)ジャワ島駐在のオランダ軍降伏
1942年(和昭17年)3月9日
初版世界
蘭領インドネシア降伏と同時に ガダルカナル島奪取
1942年(和昭17年)3月22日 -
初版世界(史実近似) 第2次シルテ湾海戦 前哨戦
- 1942年3月21日:イギリスの重巡洋艦「ノーフォーク」、軽巡洋艦「ケント」、駆逐艦「ジャベリン」、「ヒーロー」がシルテ湾に到着する。
- 1942年3月21日:ドイツの重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」、駆逐艦「Z24」、「Z25」、「Z26」がシルテ湾に到着する。
- 1942年3月22日午前6時00分:イギリスの重巡洋艦「ノーフォーク」がドイツの重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」を発見する。
- 1942年3月22日午前6時30分:イギリスの重巡洋艦「ノーフォーク」がドイツの重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」に砲撃を開始する。
- 1942年3月22日午前7時00分:ドイツの重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」がイギリスの重巡洋艦「ノーフォーク」に砲撃を開始する。
- 1942年3月22日午前7時30分:イギリスの軽巡洋艦「ケント」がドイツの重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」に砲撃を開始する。
- 1942年3月22日午前8時00分:ドイツの重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」がイギリスの軽巡洋艦「ケント」に砲撃を開始する。
- 1942年3月22日午前8時30分:イギリスの駆逐艦「ジャベリン」、「ヒーロー」がドイツの駆逐艦「Z24」、「Z25」、「Z26」に魚雷を発射する。
- 1942年3月22日午前9時00分:ドイツの駆逐艦「Z24」、「Z25」、「Z26」がイギリスの駆逐艦「ジャベリン」、「ヒーロー」に砲撃を開始する。
- イギリス軍:重巡洋艦「ノーフォーク」が被弾し、損傷する。軽巡洋艦「ケント」が被弾し、損傷する。駆逐艦「ジャベリン」、「ヒーロー」が被弾し、損傷する。
- ドイツ軍:重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」が被弾し、損傷する。重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が被弾し、損傷する。駆逐艦「Z24」、「Z25」、「Z26」が被弾し、損傷する。
1942年(和昭17年)3月28日 -
初版世界(史実近似)英軍 サン=ナゼール強襲
1942年(和昭17年)4月5日ー9日
初版世界(史実近似) セイロン島沖海戦 日軍勝利
日軍 重空赤城 中空蒼龍 中空飛龍 重空瑞鶴 重空翔鶴
戦艦比叡 戦艦霧島 戦艦榛名 戦艦金剛
重巡利根 重巡筑摩 軽巡阿武隈 駆逐艦13
日軍マレー部隊 重巡熊野 重巡鈴谷 重巡鳥海 重巡三隈 重巡最上
軽巡由良 軽巡川内 駆逐艦13 潜水艦5 航空機
350
損失 航空機16 艦艇 沈没なし
英軍 重空インドミダブル 重空フォーミダブル 軽空ハーミーズ
戦艦ウォースパイト 戦艦レゾリューション 戦艦ラミリーズ
戦艦ロイヤルサブリン 戦艦リヴェンジ
重巡コーンウォール 重巡ドーセットシャー
軽巡エンタープライズ 軽巡エメラルド 軽巡ダナエ 軽巡ドラゴン
軽巡ヤコブヴァンヘームスケルク(豪) 駆逐艦15.
艦載機93. 基地航空機90
英損耗 軽空母ハーミーズ撃沈 重巡コーンウォール撃沈 重巡ドーセットシャー
撃沈 駆逐艦2撃沈 基地航空機50.
インド制海権粗制圧 シンガポールとラングーン間輸送可能に
- 1942年4月5日
- 日本海軍の南雲機動部隊が、セイロン島のコロンボを空襲。
- コロンボの港湾施設と、イギリス海軍の重巡洋艦「ドーセットシャー」、軽巡洋艦「コーンウォール」が、被害。
- 日本海軍の南雲機動部隊が、セイロン島のトリンコマリーを空襲。
- トリンコマリーの港湾施設と、イギリス海軍の空母「ハーミーズ」が、被害を受け。
- イギリス海軍の東洋艦隊が、セイロン島の南東で、南雲機動部隊を発見
- イギリス海軍の東洋艦隊は、空母「ハーミーズ」、重巡洋艦「ドーセットシャー」、軽巡洋艦「コーンウォール」、駆逐艦「ヴァンパイア」、「ヴァイキング」で構成。
- 日本海軍の南雲機動部隊が、イギリス海軍の東洋艦隊を攻撃。
- 空母「ハーミーズ」、重巡洋艦「ドーセットシャー」、軽巡洋艦「コーンウォール」が、沈没。
- 日本海軍の南雲機動部隊は、被害を受けず、撤退を開始する。
1942年(和昭17年)4月9日
初版世界(史実近似) バターン半島占領 ・1942年1月、フィリピンで米比軍がバターン半島に撤退し、防衛体制を構築。
・1月下旬、日本軍がバターン半島に接近し、攻撃を開始。
・2月上旬、米比軍が日本軍の攻撃を撃退し、バターン半島を防衛。
・2月中旬、日本軍がバターン半島に再度攻撃を開始。
・3月上旬、米比軍が日本軍の攻撃を撃退し、バターン半島を防衛。
・3月下旬、日本軍がバターン半島に大規模な攻撃を開始。
・4月3日、日本軍がバターン半島の米比軍の防衛線を突破。
・4月8日、米比軍がバターン半島からコレヒドール島に撤退を開始。
・4月9日、米比軍がバターン半島からコレヒドール島に撤退を完了し、バターン半島が日本軍に占領される。
・4月10日、コレヒドール島の米比軍が降伏し、フィリピン全土が日本軍に占領される。
1942年(和昭17年)4月18日
初版世界(史実近似) 米軍 ドーリットル空襲
1942年(和昭17年)4月19日
初版世界(史実近似) バッガザー 西南太平洋連合軍司令官 就任
1942年(和昭17年)5月1日
初版世界(史実近似) 日軍 ビルマ占領
1942年(和昭17年)5月3日
初版世界
ガダルカナル島占拠
1942年(和昭17年)5月5日
初版世界(史実近似) マダガスカル島の戦い 1942年5月5日、イギリス軍がマダガスカル島のディエゴ・スアレスに上陸し、戦いが開始。
・5月6日、イギリス軍がディエゴ・スアレスのフランス軍の防衛線を突破。
・5月7日、イギリス軍がディエゴ・スアレスを占領し、フランス軍を捕虜に。
・5月8日、イギリス軍がマダガスカル島の内陸部に進撃を開始。
・5月12日、イギリス軍がマダガスカル島の首都アンタナナリボに接近。
・5月13日、フランス軍がアンタナナリボでイギリス軍を迎え撃つ。
・5月14日、イギリス軍がアンタナナリボを占領し、フランス軍を捕虜に。
・5月15日、フランス軍がマダガスカル島の南部に撤退し、イギリス軍がマダガスカル島の北部を占領。
・5月18日、イギリス軍がマダガスカル島の南部に進撃を開始。
・5月22日、イギリス軍がマダガスカル島の南部を占領し、フランス軍を捕虜に。
・5月23日、フランス軍がマダガスカル島で降伏し、イギリス軍がマダガスカル島を完全に占領。
・5月24日、イギリス軍がマダガスカル島の占領を完了し、戦いが終結。
1942年(和昭17年)5月7日
初版世界(史実近似) マニラ湾コレヒドール島米軍降伏
・1942年4月9日、バターン半島の米比軍が降伏し、コレヒドール島に撤退。
・4月29日、日本軍がコレヒドール島に砲撃を開始。
・5月1日、日本軍がコレヒドール島に空襲を開始。
・5月5日、日本軍がコレヒドール島に上陸を開始。
・5月6日、米軍がコレヒドール島の防衛線を構築し、戦いが激化。
・5月7日、米軍の防衛線が崩壊し、コレヒドール島の米軍が降伏。
・5月8日、コレヒドール島の米軍が日本軍に降伏し、フィリピン全土が日本軍に占領される。
・5月9日、コレヒドール島の米軍が日本軍に捕虜にされ、戦いが終結。
・5月10日、コレヒドール島の米軍が日本軍に移送され、フィリピン全土が日本軍の占領下に置かれる。
1942年(和昭17年)5月7日
初版世界(史実近似) コーラル海海戦(珊瑚海海戦) 米軍戦略的勝利
日軍戦術的勝利
日軍 重空翔鶴(戦17雷16爆21 計54)
重空瑞鶴(戦20雷21爆22 計63)
軽空祥鳳(戦16攻12. 計28)
重巡妙高 重巡羽黒 重巡青葉 重巡加古 重巡衣笠 重巡古鷹
軽巡天龍 軽巡龍田 軽巡夕張 駆逐艦15
損耗 軽空祥鳳沈没 駆逐艦1沈没 航空機97機
空母瑞鶴中破
米軍 空母レキシントン(戦22 雷13 爆38 計73)
空母ヨークタウン (戦22 雷12 爆36 計70)
重巡ミネアポリス 重巡ニューオリンズ 重巡アストリア 重巡チェスタ
重巡シカゴ 重巡オーストラリア(豪)
軽巡ホバート(豪) 駆逐艦13
損耗 空母レキシントン撃沈 駆逐艦1撃沈 航空機69機
空母ヨークタウン中破
珊瑚海海戦は、1942年5月7日から8日にかけて、珊瑚海で行われた海戦。以下は、時系列的な経緯と経過
1942年4月29日
日本海軍は、ポートモレスビー作戦を開始。ポートモレスビーは、オーストラリアの北東部、ニューギニア島南東部の要衝で、連合国軍の重要な基地です。日本海軍は、ポートモレスビーを占領することで、オーストラリアへの進出を企図した。 1942年5月1日
日本海軍の南雲機動部隊が、トラック島を出発し、ポートモレスビーへ向かいます。南雲機動部隊は、空母「祥鳳」、「瑞鳳」、重巡洋艦「筑摩」、「三隈」、軽巡洋艦「夕張」、駆逐艦「朝潮」、「荒潮」、「朝雲」、「峯雲」で構成された。
1942年5月3日
日本海軍のMO攻略部隊が、ラバウルを出発し、ポートモレスビーへ向かいます。MO攻略部隊は、空母「祥鳳」、重巡洋艦「青葉」、「加古」、軽巡洋艦「天龍」、「龍田」、駆逐艦「白露」、「時雨」、「白雪」、「初雪」で構成された。
1942年5月4日
日本海軍のMO攻略部隊が、ツラギ島を占領します。ツラギ島は、ソロモン諸島のフロリダ諸島にあり、ポートモレスビーへの進出の拠点とされていた。
1942年5月5日
連合国軍は、ツラギ島の占領を知り、空母「ヨークタウン」、「レキシントン」、重巡洋艦「シカゴ」、「オーストラリア」、軽巡洋艦「ホバート」、駆逐艦「モリス」、「アンダーソン」、「ハムマン」、「ラッセル」で構成される機動部隊
を派遣。 1942年5月7日
日本海軍の南雲機動部隊と連合国軍の機動部隊が、珊瑚海で遭遇します。日本海軍は、空母「祥鳳」、「瑞鳳」から、攻撃隊を発進させます。連合国軍は、空母「ヨークタウン」、「レキシントン」から、攻撃隊を発進させます。双方の攻撃隊が、互いに空母を攻撃し、空母「祥鳳」が沈没、空母「レキシントン」が大破。
1942年5月8日
日本海軍と連合国軍は、再び空中戦を繰り広げ。日本海軍は、空母「瑞鳳」から、攻撃隊を発進させ、連合国軍は、空母「ヨークタウン」から、攻撃隊を発進させる。空母「ヨークタウン」が、再び攻撃を受け、被害を増す。日本海軍は、ポートモレスビー作戦を中止し、撤退を開始。
1942年5月11日
空母「レキシントン」が、被害が大きく、沈没。 珊瑚海海戦は、連合国軍の勝利に終わりました。日本海軍は、ポートモレスビー作戦を中止し、撤退を余儀なくされました。連合国軍は、オーストラリアへの進出を阻止し、太平洋戦争の転換点の一つ。
1942年5月12日
初版世界(史実近似)
第二次ハリコフ攻防戦 独軍圧勝
独軍 30,0000兵士 戦車1000 航空機1500
2,0000戦死
蘇軍 76,5300兵士 戦車1200 航空機1000
17,1000戦死
- 第二次ハリコフ攻防戦は、
1942年5月12日から5月29日まで、ドイツ軍とソビエト軍の間で行われた戦いです。ハリコフは、ウクライナの東部に位置する重要な都市で、ドイツ軍はこの都市を占領することで、ソビエト軍の南部戦線を分断し、カフカス地方の油田を占領することを目指していた。 ドイツ軍は、
1942年5月12日、ハリコフの南東部でソビエト軍を攻撃し、
ソビエト軍は、激しい抵抗を示したものの、ドイツ軍の圧倒的な火力と機動力の前に、次第に後退を余儀なくされた。
ドイツ軍は、
5月17日にはハリコフの南部を占領し、
5月20日にはハリコフ市内に突入した。ソビエト軍は、市内で激しい市街戦を展開し、ドイツ軍の進撃を遅らせたが、最終的には、
5月28日、ハリコフはドイツ軍の手に落ちた。 この戦いは、ドイツ軍の圧勝に終わり、ソビエト軍は、多くの将兵を失い、また、多くの戦車と火砲を失った。ドイツ軍の勝利は、ソビエト軍の南部戦線を分断し、カフカス地方の油田を占領するための道を開いた。しかし、ドイツ軍の勝利は、スターリングラードの戦いでの敗北の前兆でもあり、ドイツ軍の東部戦線での勝利は、限定的で、短期的なものに留まった。
1942年5月26日ー6月21日
初版世界(史実近似) ビル;ハケイムの戦い 自由仏軍勝利
独軍 4,5000兵士 3300戦死
自由仏軍 3703兵士 140戦死
独損害 戦車51輌 航空機49機
自由仏軍損害 火砲40門
- 5月26日
- ドイツアフリカ軍団の指揮官、エアヴィン・ロンメル将軍は、トブルクの要塞を攻略するために、ビル・ハケイムの要塞を攻撃することを決定する。
- ドイツアフリカ軍団の部隊がビル・ハケイムに接近し、包囲を開始する。
- フランスの第1自由フランス師団がビル・ハケイムの要塞を守備する。
- ドイツアフリカ軍団の部隊がビル・ハケイムを攻撃するが、フランス軍の激しい抵抗に遭い、攻撃は失敗する。
- ドイツアフリカ軍団の部隊がビル・ハケイムを再度攻撃するが、フランス軍の抵抗は激しく、攻撃は再び失敗する。
- フランス軍は、ドイツアフリカ軍団の部隊を包囲し、反撃を開始する。
- フランス軍の反撃は成功し、ドイツアフリカ軍団の部隊は大きな損失を被る。
- ドイツアフリカ軍団の部隊は、ビル・ハケイムから撤退を開始する。
- フランス軍は、ドイツアフリカ軍団の部隊を追撃し、多くの捕虜を取る。
- ドイツアフリカ軍団の部隊は、トブルクの要塞に撤退する。
- フランス軍は、ビル・ハケイムの要塞を完全に確保する。
- ドイツアフリカ軍団の部隊は、トブルクの要塞を強化し、フランス軍の攻撃に備える。
- フランス軍は、トブルクの要塞を攻撃するが、ドイツアフリカ軍団の部隊の激しい抵抗に遭い、攻撃は失敗する。
- ビル・ハケイムの戦いは、自由フランス軍の勝利で終わる。
1942年5月26日ー6月26日
初版世界(史実近似) ガザラの戦い 枢軸軍勝利
枢軸軍 9,0000兵士 戦車560 損耗 3,2000戦死 戦車114
連合軍 11,0000兵士 戦車843. 損耗 5,0000戦死 戦車1188
-
・1942年1月21日: ドイツアフリカ軍団の指揮官エアヴィン・ロンメルは、イギリス軍の攻勢を予想して、ガザラの戦線に部隊を配置し、防御体制を整える。
・1942年5月26日: イギリス軍の第8軍が、ガザラの戦線に攻撃を開始する。イギリス軍は、ロンメルが予想したよりも南方から攻撃を開始し、ドイツアフリカ軍団の左翼を突破する。
・1942年5月27日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の攻勢を阻止するために、反撃を開始する。ロンメルは、イギリス軍の戦車部隊を包囲し、撃破する。
・1942年5月28日: イギリス軍は、ドイツアフリカ軍団の反撃を阻止するために、戦車部隊を投入する。両軍の戦車部隊が激突し、戦いは膠着状態に陥る。
・1942年5月29日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の戦車部隊を撃破し、イギリス軍の攻勢を阻止する。イギリス軍は、撤退を開始する。
・1942年6月11日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の撤退を追撃し、トブルクを占領する。イギリス軍は、エジプト国境まで撤退する。
・1942年6月21日: ガザラの戦いは、ドイツアフリカ軍団の勝利で終わる。ロンメルは、イギリス軍の攻勢を阻止し、北アフリカ戦線の戦局を有利に変える。
1942年5月27日
初版世界(史実近似) エンンスラポイド作戦決行(チェコ)
1942年6月
初版世界(史実近似)
軍事製作委員会が原子爆弾の本格的開発を承認
1942年(和昭17年)6月5日
初版世界(史実近似) ミッドウェー島沖海戦
日軍 重空赤城(戦21雷21爆21 計63)
重空加賀(戦21雷30爆21 計72)
中空蒼龍(戦21雷21爆21 計63)
中空飛龍(戦21雷21爆21偵2 計65)
合計193機
軽空鳳翔(戦11攻 8 計19)
軽空瑞鳳(戦12攻 9 計21)
合計 40機
戦艦榛名 戦艦金剛 戦艦大和 戦艦長門 戦艦陸奥
重巡利根 重巡筑摩 重巡最上 重巡熊野 重巡三隈 重巡鈴谷
重巡妙高 重巡羽黒
軽巡長良 軽巡神通 軽巡北上 軽巡大井 軽巡川内 軽巡香取
日艦艇損耗 空母赤城沈没 空母加賀沈没 空母蒼龍沈没 空母飛龍沈没
米軍 重空ヨークタウン (戦6雷12爆17 計35)
重空エンタープライズ (戦10雷14爆33 計57)
重空ホーネット. (戦10雷15爆35 計60)
基地航空機 計126.
合計278機
重巡アストリア 重巡ポートランド 重巡ミネアポリス 重巡ニュー
オリンズ
重巡ノーザンプトン 重巡ペンサコラ 重巡ヴィンセンス
軽巡アトランタ
米艦艇損耗 空母ヨークタウン撃沈
初版世界 ミッドウェー島沖海戦 航空機 日損耗110機 米損耗147機
- ミッドウェー島沖海戦は、
1942年6月4日から7日にかけて、ミッドウェー島沖で行われた海戦だった。
前哨戦- 1942年5月27日:日本軍の機動部隊(空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、重巡洋艦「筑摩」、重巡洋艦「熊野」、駆逐艦「嵐」、「荒潮」、「谷風」、「浜風」、「舞風」、「野分」)がミッドウェー島の北西約300海里の地点に到着する。
- 1942年5月28日:米軍の空母「エンタープライズ」、空母「ヨークタウン」、空母「ホーネット」がミッドウェー島の北東約300海里の地点に到着する。
1942年6月3日- 日本海軍の南雲機動部隊は、ミッドウェー島の北西約700kmの地点に到着した。南雲機動部隊は、空母「赤城」、「加賀」、「蒼龍」、「飛龍」、重巡洋艦「筑摩」、「三隈」、軽巡洋艦「長良」、駆逐艦「朝潮」、「荒潮」、「朝雲」、「峯雲」で構成されていた。
- 1942年6月4日午前4時30分:日本軍の空母「赤城」から9機の零式艦上戦闘機、18機の九九式艦上爆撃機、18機の九七式艦上攻撃機が発進し、ミッドウェー島を攻撃する。
- 1942年6月4日午前5時00分:米軍のミッドウェー島の防空部隊が日本軍の空襲を迎撃する。
- 1942年6月4日午前5時30分:日本軍の空母「加賀」から9機の零式艦上戦闘機、18機の九九式艦上爆撃機、18機の九七式艦上攻撃機が発進し、ミッドウェー島を攻撃する。
- 1942年6月4日午前6時00分:
- ミッドウェー島のアメリカ海軍は、南雲機動部隊を発見し、空母「エンタープライズ」、「ヨークタウン」、重巡洋艦「ペンサコラ」、「ノーザンプトン」、軽巡洋艦「アトランタ」、駆逐艦「モリス」、「ラッセル」で構成される米機動部隊を派遣した。
- 07:00、南雲機動部隊の攻撃隊は、ミッドウェー島を空襲開始
- 1942年6月4日午前7時30分:日本軍の空母「蒼龍」から9機の零式艦上戦闘機、18機の九九式艦上爆撃機、18機の九七式艦上攻撃機が発進し、ミッドウェー島を攻撃する
1942年6月4日午前9時00分 ミッドウェー島からB17などの爆撃機で日本機動部隊を空襲 失敗に終わる
- 1942年6月4日午前10時20分:米軍の空母「エンタープライズ」から発進したSBDドーントレスが日本軍の空母「加賀」に爆弾を命中させる。1942年6月4日午前10時25分:米軍の空母「ホーネット」から発進したSBDドーントレスが日本軍の空母「蒼龍」に爆弾を命中させる。
1942年6月4日午前10時35分:米軍の空母「ヨークタウン」から発進したSBDドーントレスが日本軍の空母「赤城」に爆弾を命中させる。
12:40、空母「加賀」が、沈没した
13:00、空母「赤城」が、火災が発生した。
15:00、空母「蒼龍」が、沈没した。
2:00、空母「赤城」が、沈没した。
残された、
8:00 空母「飛龍」から米機動部隊に攻撃
11:00ヨークタウン大破
米機動部隊の攻撃により
16:00、空母「飛龍」が、沈没した。- 日本海軍の南雲機動部隊は、撤退を開始した。
1942年6月6日
- 10:00、空母「ヨークタウン」が、沈没した
日本海軍の南雲機動部隊は、トラック島に到着した。
1942年(和昭17年)6月6日
初版世界(史実近似)
英軍 炭疽菌爆弾を開発 使用可能に、
1942年6月8日ー8月2日
初版世界(史実近似) 第一次エル・アラメインの戦い 枢軸軍勝利
枢軸軍 13,5000兵士 戦車220. 損耗 1,5000戦死 戦車250
連合軍 15,0000兵士 戦車300 損耗 6000戦死 戦車100
- 1942年6月8日
ドイツ軍のアフリカ軍団は、エルアラメインの南方に到着した。アフリカ軍団は、エルアラメインを占領するために、攻撃を開始した。
1942年6月10日 - イギリス軍の第8軍は、エルアラメインの北方に到着した。第8軍は、エルアラメインを防衛するために、陣地を構築した。
1942年6月11日 - ドイツ軍のアフリカ軍団は、エルアラメインの南方から、イギリス軍の第8軍を攻撃した。イギリス軍は、激しい抵抗を示したが、ドイツ軍の攻撃は、続いた。
1942年6月14日 - イギリス軍の第8軍は、エルアラメインの北方から、ドイツ軍のアフリカ軍団を攻撃した。ドイツ軍は、激しい抵抗を示したが、イギリス軍の攻撃は、続いた。
1942年7月13日
- ドイツ軍のアフリカ軍団は、エルアラメインの南方から、イギリス軍の第8軍を攻撃した。イギリス軍は、激しい抵抗を示したが、ドイツ軍の攻撃は、続いた。イギリス軍は、エルアラメインを防衛することに成功した。
1942年6月10日
初版世界(史実近似) 英ハープーン作戦開始 ジブラルタルからマルタ
島へ増援輸送
1942年6月12日
初版世界 連合軍 ヴィガラス作戦開始
1942年6月18日
初版世界(史実近似) 独軍 トブルク要塞包囲
1942年6月25日
現実世界(物語世界)
米🔵超巨大戦艦改造超重バーモント級空母 バーモント 就役
297M 8,0000t 26nt 80機
( ティレマン級として初版世界(史実近似)で6隻の超巨大戦艦が構想され
たが、軍縮条約その他の要因で開発中止に 現実世界(物語世界)では、軍縮
条約が廃棄されて、起工建造したが、世界大恐慌で建造休止 後に内5隻が航
空母艦改造へ )
1942年6月28日 初版世界(史実近似) 独軍 ブラウ作戦開始
スターリングラード攻防戦(ロシア南部) 蘇軍 戦略的勝利 独軍 170,0000兵士 戦車1900 損耗 101,3000戦死 蘇軍 450,0000兵士 戦車3720 航空機1671 損耗 222,6400戦死
- 1942年
- 6月28日: ドイツ軍が「ブルー作戦」を開始、南部戦線でソ連軍を攻撃し、スターリングラードを目指す。
- 7月17日: ドイツ第6軍がドン川を渡り、スターリングラードに接近。
- 8月19日: ドイツ軍がスターリングラード市内に突入。
- 8月23日: ソ連軍がスターリングラード防衛を開始。
- 9月13日: ドイツ軍がスターリングラード市中心部を占領。
- 9月14日: ソ連軍が反撃を開始、市街戦が激化。
- 10月14日: ドイツ軍がソ連軍を押し戻し、ヴォルガ川岸に到達。
- 11月19日: ソ連軍が「ウラヌス作戦」を開始、ドイツ軍を包囲。
- 11月23日: ソ連軍がドイツ軍を完全包囲。
- 1月10日: ソ連軍が「小土星作戦」を開始、ドイツ軍の包囲を強化。
- 1月16日: ドイツ軍が空輸による補給を開始。
- 2月2日: ドイツ第6軍が降伏、スターリングラード攻防戦が終結。
- 2月3日: ソ連軍がスターリングラードを完全解放。
1942年7月1日
現実世界(物語世界)
米🔵M4シャーマン中戦車 就役. 4,8794輛
38口径75mm砲 装甲51mm 30t 39km/h
1942年7月2日
初版世界(史実近似) 米ウォッチタワー作戦開始 反日反抗作戦の第一段階
1942年7月2日
- 米軍のウォッチタワー作戦が開始される。
- 作戦の目的は、ミッドウェー島とキスカ島を占領し、太平洋の戦略的要地を確保すること。
- 米軍の第7師団と第1海兵師団が、ミッドウェー島とキスカ島に上陸を開始。
- 米軍がミッドウェー島を占領。
- キスカ島では、米軍と日本軍が激しい戦闘を繰り広げる。
- 米軍がキスカ島を占領。
- 日本軍は、キスカ島から撤退を開始。
- 日本軍がキスカ島から完全に撤退。
- 米軍がキスカ島を完全に占領。
- 米軍が、ミッドウェー島とキスカ島を連合軍の基地として確保。
- ウォッチタワー作戦が成功に終わる。
1942年(和昭17年)7月16日
初版世界(史実近似) 日軍 ポートモレスビー攻略作戦開始
- 1942年7月16日以前の経緯
- 1942年1月、南方軍は、ポートモレスビーを攻略することを決定し、作戦計画を立案する。
- 1942年3月、南方軍は、ポートモレスビー攻略作戦を「MO作戦」と命名し、作戦計画を具体化する。
- 1942年5月、南方軍は、MO作戦の準備を開始し、部隊の集結と物資の輸送を開始する。
- 1942年7月16日、MO作戦が開始され、南方軍の部隊が、ポートモレスビーへの進撃を開始する。
- 1942年7月17日、南方軍の部隊が、オーエンスタンレー山脈を越え、ポートモレスビーへの進撃を続ける。
- 1942年7月21日、南方軍の部隊が、ココダ村に到達し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年7月23日、南方軍の部隊が、デニギ村に到達し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年7月29日、南方軍の部隊が、イシウラバ村に到達し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年8月16日、南方軍の部隊が、エファタ村に到達し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年8月25日、南方軍の部隊が、ポートモレスビーに到達し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年9月16日、南方軍の部隊が、ポートモレスビーを占領する。
- 1942年9月24日、南方軍の部隊が、ポートモレスビーから撤退を開始する。
- 1942年10月、南方軍の部隊が、ブナ地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1942年11月、南方軍の部隊が、ゴナ地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1943年1月、南方軍の部隊が、ラエ地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1943年2月、南方軍の部隊が、サラモア地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1943年3月、南方軍の部隊が、ラエ地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
- 1943年9月、南方軍の部隊が、フィンシュハーフェン地区に撤退し、オーストラリア軍と交戦する。
1942年7月25日
現実世界(物語世界)
米🔵超巨大戦艦改造超重バーモント級空母 ネプラスカ 就役
297M 8,0000t 26nt 80機
1942年(和昭17年)8月6日
初版世界(史実近似) 日軍 遺独潜水艦作戦 開始
1942年(和昭17年)8月7日
初版世界(史実近似)
米軍 ガダルカナル島上陸 ガダルカナル島攻防戦開始
1942年
8月7日:米軍がガダルカナル島に上陸し、ヘンダーソン飛行場を占領。
- 8月21日:日本軍が初めてガダルカナル島に上陸し、米軍と交戦(イル川渡河戦)。
- 9月12日:日本軍がヘンダーソン飛行場を攻撃(第一次ヘンダーソン飛行場攻撃)。
- 10月24日:日本軍がヘンダーソン飛行場を再度攻撃(第二次ヘンダーソン飛行場攻撃)。
- 11月12日:日本軍がガダルカナル島に上陸し、米軍と交戦(第三次ソロモン海戦)。
- 11月30日:日本軍が米軍を攻撃(マタニカウ河戦)。
- 1月2日:日本軍がガダルカナル島から撤退を開始。
- 1月4日:日本軍がヘンダーソン飛行場を空襲。
- 1月5日:日本軍がガダルカナル島から撤退を完了。
- 2月9日:米軍がガダルカナル島を完全に占領。
1942年(和昭17年)8月8日−9日
初版世界(史実近似)
第一次ソロモン海戦 (ツラギ海峡夜襲戦)
日軍 重巡鳥海
重巡青葉
重巡衣笠
重巡加古 轟沈
重巡古鷹
軽巡天龍
軽巡夕張
駆逐艦. 1隻
米軍 重空エンタープライズ
重空ワスプ
重巡オーストラリア
重巡キャンベラ 撃沈
重巡シカゴ
重巡ヴィンセンス 撃沈
重巡クインシー 撃沈
重巡アストリア 撃沈
軽巡サンファン
軽巡ホバート
駆逐艦8 撃沈1
第一次ソロモン 航空戦 日損耗21機 米損耗8機
8月8日
- 午前01:00頃:米軍の哨戒機が日本軍の輸送船団を発見
- 午前01:45:クラッチ少将指揮下の米機動部隊が出撃準備を開始
- 午前06:07:第一波攻撃隊が発進(SBDドーントレス爆撃機23機、TBFアベンジャー雷撃機7機)
- 午前06:35:米軍機が日本軍輸送船団に対して攻撃を開始
- 撃沈:輸送船「金剛丸」「天山丸」
- 大破:駆逐艦「睦月」
- 午前00:30頃:日本軍の巡洋艦部隊(御蔵少将指揮)がサボ島沖に到着
- 午前01:30:日本軍がグアダルカナル沖で米豪艦隊を発見
- 午前01:43:日本軍が砲撃を開始、激しい海戦となる
- 戦果:
- 米側:重巡洋艦「キャンベラ」「クインシー」「アストリア」「ヴィンセンス」が沈没
- 日本側:重巡洋艦「筑摩」が大破、「青葉」「加古」「富士」が中破
- 戦術的には日本軍の勝利
- しかし、日本軍は輸送船団の大部分を失い、グアダルカナル島への補給に大きな打撃を受けた
- 戦略的には米軍が優位に立つ契機となった
1942年8月13日
初版世界(史実近似)
マンハッタン計画の正式な発足が決定、本格始動。以後約三年間活動成功
1942年8月16日
初版世界(史実近似) 独ヴンターランド作戦 重巡アドミラル・シェーアによる 通商破壊作戦
1942年8月19日
初版世界 ディエップの戦い 独軍勝利
独軍 1500兵士 311戦死
英米軍 6000兵士 2800戦死
- 1942年8月19日のディエップの戦いの戦闘経過は以下の通りです。
・08:00:連合軍の艦砲射撃と空襲がディエップに開始される。
・08:15:カナダ軍の第2歩兵師団がディエップの西側、プールヴィルとプーに上陸を開始する。
・08:20:カナダ軍の第3歩兵師団がディエップの東側、ベルシャンとサン・オベールに上陸を開始する。
・08:30:ドイツ軍が連合軍の上陸に反応し、激しい抵抗を開始する。
・09:00:カナダ軍の第2歩兵師団がプールヴィルに橋頭堡を確立する。
・09:30:カナダ軍の第3歩兵師団がベルシャンに橋頭堡を確立する。
・10:00:ドイツ軍がカナダ軍の橋頭堡に対して反撃を開始する。
・11:00:カナダ軍の第2歩兵師団がプールヴィルからディエップ市内に進撃を開始する。
・11:30:カナダ軍の第3歩兵師団がベルシャンからディエップ市内に進撃を開始する。
・12:00:ドイツ軍がディエップ市内で激しい抵抗を開始する。
・13:00:カナダ軍の第2歩兵師団がディエップ市内でドイツ軍と激しい市街戦を展開する。
・14:00:カナダ軍の第3歩兵師団がディエップ市内でドイツ軍と激しい市街戦を展開する。
・15:00:ドイツ軍がディエップ市内でカナダ軍を押し戻し、反撃を開始する。
・16:00:カナダ軍の第2歩兵師団がプールヴィルに撤退を開始する。
・17:00:カナダ軍の第3歩兵師団がベルシャンに撤退を開始する。
・18:00:ドイツ軍がディエップ市内を完全に占領する。
・19:00:カナダ軍の撤退が完了する。
1942年(和昭17年)8月21日
初版世界(史実近似) イル川渡河作戦 連合軍の勝利
米軍 3000兵士 41戦死
日軍 916兵士 774戦死
- イル川渡河戦は、第二次世界大戦中の
1942年8月21日、ガダルカナル島で日本軍とアメリカ合衆国海兵隊を主力とする連合国軍との間に起きた陸上戦闘。テナルの戦い、またはアリゲーター・クリークの戦いとも呼ばれ、ガダルカナル島の戦いにおける日本軍最初の大規模反攻でもあった。 日本軍は、ガダルカナル島に上陸したアメリカ海兵隊を撃退するため、先発隊として一木支隊を投入した。
1942年8月16日、横須賀鎮守府第五特別陸戦隊と一木支隊の先遣隊は、駆逐艦6隻に分乗してトラック泊地を出発し、
1942年8月18日、ガダルカナル島のタイボ岬に上陸した。上陸後、後続部隊の到着を待たずに、先遣隊は西進を開始し、
1942年8月20日、ルンガ東部のイル川西岸に到達した。 一方、連合軍は、ルンガの東方から日本軍の攻撃を想定し、防衛線の東部を固めていた。
1942年8月21日、イル川西岸で日本軍とアメリカ海兵隊が交戦し、激しい戦闘が行われた。日本軍は、イル川を渡って海兵隊の陣地に突撃したが、キャニスター弾を装填した37mm対戦車砲と機銃の猛射に遭い、ほとんどの兵が倒された。日本軍は、イル川東岸で部隊を再編成し、迫撃砲による砲撃を開始したが、連合軍も75mm砲と迫撃砲で応戦した。日本軍は、イル川を渡って再度攻撃を仕掛けたが、連合軍の火力の前に一掃された。 戦闘は、8月21日15時ごろに終了し、イル川の砂州に多数の日本兵の遺体が横たわった。日本軍の損害は、戦死774名、捕虜15名、生存者128名。連合軍の損害は、戦死41名、負傷者不明。イル川渡河戦は、連合軍の勝利に終わった。 この戦いは、連合軍のガダルカナル島の戦いにおける初の勝利であり、心理的に重要な意味をもっていた。連合軍は、イル川渡河戦で日本軍を地上戦においても打ち負かすことができることを知った。日本軍は、イル川渡河戦の敗北を教訓とし、以後、ガダルカナル島の戦いにおいて、より大規模な反攻を計画し、実行した。
1942年8月22日
初版世界(史実近似) スターリングラード攻防戦
(ブラウ作戦) 其の①
蘇蓮軍の勝利 1943,2,2.迄
独軍 スターリングラードを猛攻撃
8月23日独第四航空隊はスターリングラード市街に対して、航空機2000機による、爆弾総量1000t の猛爆撃を加えた。
続いて、B軍集団により総攻撃が開始された。 以後150日に及ぶスターリングラード攻防戦開始、
爆撃によって、数万人の市民が犠牲に、市街は廃墟と瓦礫が遮蔽物となり、蘇蓮赤軍の要塞となってゆく ドイツ側は数日で陥落できると楽観視、
8月28日ズダーリンは、非戦闘員退去命令
9月13日第六軍は11個師団で砲爆撃とともに、ツァリーツァ渓谷から市街地に突入を開始、
9月14日 中央駅攻撃 のち15日間激戦となる
9月16日 独軍 市街を見下ろす 標高102Mのママエフ・クルガンを占拠したが、10月まで戦闘継続
9月22日 独軍 装甲師団の助力で穀物サイロのソ連兵を全滅させる 赤の広場に出る
9月27日 市街戦中も戦車を作り続けていた 赤い十月工場へ攻撃する 蘇蓮赤軍はシベリアからの援軍で対抗
1942年10月へ続く
1942年(和昭17年)8月24日
初版世界(史実近似) ラビの戦い 米軍勝利
日軍 1950兵士 600戦死
米軍 9000兵士 180戦死
• 1942年8月25日:日本軍がラビ島に上陸し、飛行場の建設を開始する。
• 1942年8月29日:米軍がラビ島に空襲を開始し、飛行場の建設を妨害する。
• 1942年8月30日:日本軍がラビ島に増援部隊を送り、飛行場の建設を続行する。
• 1942年9月1日:米軍がラビ島に艦砲射撃を開始し、飛行場の建設を妨害する。
• 1942年9月3日:日本軍がラビ島にさらに増援部隊を送り、飛行場の建設を続行する。
• 1942年9月5日:米軍がラビ島に上陸作戦を開始する。
• 1942年9月6日:日本軍がラビ島から撤退を開始する。•
1942年9月7日:米軍がラビ島を占領する。
• 1942年9月8日:日本軍がラビ島から完全に撤退する。
1942年(和昭17年)8月24日
初版世界(史実近似)
第二次ソロモン海戦 (東ソロモン海戦)
日軍 重空翔鶴 重空瑞鶴 軽空龍驤
戦艦陸奥 戦艦比叡 戦艦霧島
重巡愛宕 重巡高雄 重巡摩耶 重巡妙高 重巡羽黒 重巡筑摩
重巡鈴谷 重巡熊野 重巡利根 軽巡由良 軽巡長良
駆逐艦25
日艦艇損耗 軽空母龍驤沈没
米軍 重空エンタープライズ 重空サラトガ 重空ワスプ
重巡ニューオリンズ 重巡ミネアポリス 重巡ポートランド
重巡サンフランシスコ 重巡ソルトレイクシティ
軽巡サンファン 軽巡アトランタ 駆逐艦15
米艦艇損耗 空母エンタープライズ大破 瑞鶴 翔鶴 艦爆による
空母サラトガ大破(8月31日)伊号26潜水艦により
空母ワスプ撃沈(9月15日)伊号19潜水艦により
第二次ソロモン 航空機 日損耗25機 米損耗49機
1942年8月25日
現実世界(物語世界)
米🔵超巨大戦艦改造超重バーモント級空母 ニューハンプシャー 就役
297M 8.0000t 26nt 80機
1942年8月31日
初版世界(史実近似)
アラム・ハルファの戦い 英軍勝利 油田の奪還
独軍 13,5000兵士 3,4000戦死
英軍 15,0000兵士 1,3600戦死
1942年8月30日: ドイツアフリカ軍団の指揮官エアヴィン・ロンメルは、イギリス軍の攻勢を予想して、アルアメインの戦線に部隊を配置し、防御体制を整える。
・1942年8月31日: イギリス軍の第8軍が、アルアメインの戦線に攻撃を開始する。イギリス軍は、ロンメルが予想したよりも南方から攻撃を開始し、ドイツアフリカ軍団の左翼を突破する。
・1942年9月1日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の攻勢を阻止するために、反撃を開始する。ロンメルは、イギリス軍の戦車部隊を包囲し、撃破する。
・1942年9月2日: イギリス軍は、ドイツアフリカ軍団の反撃を阻止するために、戦車部隊を投入する。両軍の戦車部隊が激突し、戦いは膠着状態に陥る。
・1942年9月3日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の戦車部隊を撃破し、イギリス軍の攻勢を阻止する。イギリス軍は、撤退を開始する。
・1942年9月5日: ドイツアフリカ軍団は、イギリス軍の撤退を追撃し、アルアメインの戦線を安定させる。イギリス軍は、エジプト国境まで撤退する。
・1942年9月7日: アラム・ハルファの戦いは、ドイツアフリカ軍団の勝利で終わる。ロンメルは、イギリス軍の攻勢を阻止し、北アフリカ戦線の戦局を有利に変える。
1942年(和昭17年)9月12日
初版世界(史実近似)
日軍 ガダルカナル島にて総攻撃
日軍 1300戦死
1942年9月13日
初版世界(史実近似) 英軍 南ローデシア ニュージーランド アグリーメント作戦開始
1942年9月25日
現実世界(物語世界)
米🔵超巨大戦艦改造バーモント級超重空母 ロードアイランド 就役
297M 8.0000t 26nt 80機
スターリングラード攻防戦(ブラウ作戦)其の2
初版世界(史実近似)
1942年10月
10月14日 独第14師団と3個歩兵師団が支援爆撃とともに、トラクター工場への攻撃開始 独軍は3000人以上の損害を出したが、ソ連軍を全滅させ、ヴォルガ川に達する。 対岸からソ連軍の カチューシャロケット攻撃で独兵の消耗も激化10月23日 バリカドイ兵器工場が独の手に落ち 市街地九割を独軍占領
10月27日 赤い十月製鉄工場に独軍突入 ソ連軍は、残り数%の市街地を頑強には抵抗する、
11月へ
1942年(和昭17年)10月11日
初版世界(史実近似) サボ島沖海戦 米軍勝利
日軍 重巡3 駆逐艦2 損耗 重巡1沈没 駆逐艦3沈没
米軍 重巡2 軽巡2 駆逐艦5 損耗 駆逐艦1撃沈 前哨戦
- 1942年8月7日:連合国軍がガダルカナル島に上陸し、ガダルカナル島の戦いが始まる。
- 1942年8月下旬:日本軍がガダルカナル島の奪回を目指し、兵力の増強を開始する。
- 1942年9月下旬:日本軍がガダルカナル島への輸送作戦を開始する。
- 1942年10月11日午前0時:日本軍の輸送船団(6隻の輸送船と4隻の駆逐艦)がガダルカナル島へ向かう。
- 1942年10月11日午前1時30分:連合国軍の巡洋艦と駆逐艦(2隻の重巡洋艦、2隻の軽巡洋艦、5隻の駆逐艦)がサボ島沖で日本軍の輸送船団を発見する。
- 1942年10月11日午前2時00分:連合国軍が日本軍の輸送船団に攻撃を開始する。
- 1942年10月11日午前2時30分:日本軍の駆逐艦「吹雪」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前3時00分:日本軍の輸送船「笹川丸」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前3時30分:日本軍の輸送船「江口丸」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前4時00分:日本軍の輸送船「佐渡丸」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前4時30分:日本軍の輸送船「九州丸」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前5時00分:日本軍の輸送船「吾妻山丸」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前5時30分:日本軍の駆逐艦「朝雲」が被弾し、沈没する。
- 1942年10月11日午前6時00分:連合国軍が攻撃を終了し、撤退する。
- 日本軍:輸送船6隻、駆逐艦2隻沈没、輸送船団の兵員と物資のほとんどが失われる。
- 連合国軍:軽巡洋艦「ボイシ」が被弾し、損傷する。駆逐艦「ダンカン」が被弾し、損傷する。
1942年(和昭17年)10月13日
初版世界(史実近似) 戦艦金剛 戦艦榛名 軽巡五十鈴 駆逐艦9 によ
るヘンダーソン飛行場艦砲射撃
米損耗 航空機の半分 ガソリンの殆どを消失
1942年(和昭17年)10月14日
初版世界(史実近似) ラバウルから飛来した航空機の空襲 重巡鳥海 重
巡衣笠 による艦砲
射撃
1942年10月23日
初版世界(史実近似)
第二次エル・アラメイン会戦
独伊軍 13,5000兵士 戦車 340. 損耗7,5000戦死 戦車114
英軍 15,0000兵士 戦車1200. 損耗 1,3600戦死 戦車500
- 北アフリカ戦線の一環: 第二次世界大戦中、北アフリカで展開された英独間の激しい戦いのクライマックス。
- 枢軸国のエジプト進攻: ドイツのロンメル元帥率いるアフリカ軍団は、エジプトのスエズ運河を攻略し、中東への進出を企図。
- 連合国の反撃: 英軍は、モンゴメリー将軍を指揮官に迎え、枢軸国の進攻を食い止めるため、エルアラメインで決戦に打って出た。
- 北アフリカ戦線: 第二次世界大戦において、ドイツアフリカ軍団(ロンメル元帥指揮)がイギリス軍を圧倒し、エジプトへの進攻を目論んでいた。
- 枢軸国の野望: スエズ運河の掌握と中東への進出、ソ連への南方からの脅威、そしてイギリス本土への圧力をかけることを目的としていた。
- 連合国の危機: イギリス軍は敗退を重ね、エジプトの陥落は中東全体の崩壊、ひいてはイギリスの植民地支配の終焉を意味しかねない状況だった。
- 北アフリカ戦線: 第二次世界大戦において、ドイツアフリカ軍団(ロンメル元帥指揮)がイギリス軍を圧倒し、エジプトへ向けて進撃していた。
- スエズ運河の重要性: スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶ重要な航路であり、イギリスにとってはインドやオーストラリアへの補給路として不可欠であった。
- エルアラメイン: エジプトのエルアラメインは、カイロへの最後の防衛線であり、ここでドイツ軍を食い止めることが急務であった。
- 準備: イギリス軍は、アメリカからの物資支援を受け、戦力を増強。モンゴメリー将軍を指揮官に任命し、反撃の準備を進めた。
- モンゴメリー将軍は、兵力と物資の増強、砂漠戦術の研究、そして徹底した機密保持を行い、反撃の準備を進めた。
- 戦闘開始: 1942年10月23日、連合軍は夜闇に乗じて大規模な攻撃を開始。
- 連合国の優勢: 圧倒的な火力と機動力を活かし、枢軸国軍の側面と後方を攻撃。
- 枢軸国の苦戦: ロンメル元帥は補給不足と兵力不足に苦しみ、防戦一方となる。
- ヒトラーの誤算: ヒトラーは撤退を許さず、枢軸国軍は袋小路に追い込まれる。
- 枢軸国の崩壊: 11月4日、枢軸国軍は完全に崩壊し、エジプトから撤退を余儀なくされた。
- 連合国の勝利: 北アフリカ戦線の転換点となり、連合国は反攻に転じた。
- 枢軸国の敗北: ドイツアフリカ軍団は壊滅的な打撃を受け、北アフリカからの撤退を余儀なくされた。
- スエズ運河の防衛: エジプトの陥落を防ぎ、スエズ運河を守り抜いた。
- 連合国の士気高揚: 世界各地で戦っていた連合国軍に大きな勇気を与え、勝利への弾みをつけた。
- ヨーロッパ戦線への影響: 北アフリカの戦局が安定したことで、連合国はヨーロッパ戦線に兵力を集中できるようになり、ノルマンディー上陸作戦へと繋がる。
1942年(和昭17年)10月24日
初版世界(史実近似)
日軍 ガダルカナル島 2回目総攻撃
日軍 2,3000兵士 戦車10 損耗 2200戦死 戦車9
- 1942年8月~9月: 日本軍は、ガダルカナル島の飛行場を奪還するため、激しい戦闘を繰り広げる。しかし、米軍の頑強な抵抗に遭い、目標達成は困難となる。
- 9月13日: 川口支隊による第一次攻撃が開始されるが、米軍の猛反撃により失敗に終わる。
- 10月: 日本軍は、第二師団を主力とする大規模な総攻撃の準備を進める。
- 10月11日頃: 連合艦隊は、ガダルカナル島への物資輸送を計画。高速戦艦による飛行場射撃も検討される。
- 10月20日頃: 第二師団による総攻撃が予定される。
- 10月24日: 第二師団は、丸山道と呼ばれる密林地帯を迂回し、米軍の背後から攻撃を開始。
- 激しい戦闘: 日本軍は、米軍の予想外の防御網に阻まれ、激しい戦闘を強いられる。
- 雨季の到来: 雨季の到来により、戦況はさらに悪化。物資の補給が困難となり、日本軍は苦境に陥る。
- 11月: 日本軍は、米軍の圧倒的な火力と補給力に抗しきれず、次第に後退を余儀なくされる。
- 12月: 日本軍は、ガダルカナル島からの撤退を決定。
- 1943年2月: 日本軍は、ガダルカナル島を完全に放棄。
- 米軍の徹底した防御: 米軍は、日本軍の攻撃を予測し、綿密な防御体制を構築していた。
- 補給の困難: 雨季の到来や米軍の海上封鎖により、日本軍の補給は極めて困難であった。
- 兵力の消耗: 長期の戦闘により、日本軍は多大な損害を被り、戦力が著しく低下していた。
- 情報戦の敗北: 日本軍は、米軍の情報を十分に把握できていなかった。
- 日本軍の敗北: ガダルカナル島の戦いは、日本軍にとって大きな敗北となり、太平洋戦争の転換点の一つとなった。
- 兵力の消耗: 日本軍は、優秀な兵力を大量に失い、戦力の回復に大きな打撃を受けた。
- 南太平洋の制海権喪失: 日本軍は、南太平洋における制海権を失い、戦略的な不利な立場に追い込まれた。
- 米軍の士気高揚: 米軍は、この勝利によって士気を高め、反攻の勢いを強めた。
1942年10月25日
現実世界(物語世界)
米🔵超巨大戦艦改造バーモント級超重空母 オハイオ 就役
297M 8.0000t 26nt 80機
1942年(和昭17年)10月26日
初版世界(史実近似)
サンタクルーズ諸島沖海戦(南太平洋海戦)
日軍 戦闘機 攻撃機 爆撃機 偵察機 計
重空翔鶴 12. 18. 18. 2. 50
重空瑞鶴 12. 18. 18. 2. 50
中空隼鷹 10. 16. 16. 2. 44
軽空瑞鳳. 6 12. 12. 2. 32
総計178機
戦艦金剛 戦艦榛名 戦艦比叡 戦艦霧島
重巡愛宕 重巡高雄 重巡妙高 重巡摩耶 重巡熊野 重巡鈴谷 軽巡五十鈴 軽巡長良
日空母翔鶴大破
日空母瑞鳳中破
米軍 戦闘機 攻撃機 爆撃機 偵察機 計
重空エンタープライズ 24. 22 18 6. 70
重空ホーネット. 24. 22 18 6. 70
総合計 140機
重巡ポートランド 重巡ノーザンプトン 重巡ペンサコラ 重巡サンフランシ
スコ 軽巡サンファン 軽巡サンディエゴ 軽巡ジュノー 軽巡ヘレナ 軽巡
アトランタ
米空母ホーネット撃沈
駆逐艦1撃沈
米空母エンタープライズ中破
初版世界(史実近似) サンタクルーズ航空戦 日損耗96機 米損耗80機
- ・1942年8月7日:連合国軍がガダルカナル島に上陸し、ガダルカナル島の戦いが始まる。 ・1942年8月下旬:日本軍がガダルカナル島の奪回を目指し、第二師団をガダルカナル島に上陸させる。
・1942年:8月24日夜半、基幹兵力:睦月 弥生 磯風 陽炎 江風。砲撃成功、
1942年9月2日夜半、基幹兵力:吹雪、白雪 天霧。砲撃成功。
1942年9月4日夜半、
基幹兵力:夕立、初雪、叢雲。砲撃成功。
1942年9月12日夜半、
基幹兵力:川内など。砲撃成功(ガダルカナル島の戦い第一次総攻撃)。 ・
1942年9月上旬:日本軍がガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を攻撃するが、失敗する。 ・
1942年9月中旬:日本軍がガダルカナル島に第三師団を上陸させる。
・1942年10月13日:日本軍がガダルカナル島に第四師団を上陸させる。
・1942年10月14日:日本軍がガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を攻撃し第一飛行場を三式弾にて撃破
・1942年10月15日:日本軍がガダルカナル島に第七師団を上陸させる。
・1942年10月26日:南太平洋海戦が始まる。日本軍の機動部隊が米海軍の機動部隊を攻撃する。
・1942年10月27日:南太平洋海戦が続く。日本軍の機動部隊が米海軍の機動部隊を攻撃する。
・1942年10月28日:南太平洋海戦が終わる。日本軍の機動部隊が米海軍の機動部隊を撃退するが、ガダルカナル島の奪回に失敗する。
10月25日
- 日本軍の第三艦隊(南雲忠一中将)が前進航行
- 空母「翔鶴」「瑞鶴」「隼鷹」「瑞鳳」を主力とする
- 午前05:00:両軍が相互の索敵を開始
- 午前06:45:米軍の哨戒機が日本艦隊を発見
- 午前07:40:日本軍の偵察機が米艦隊を発見
- 午前09:30:日本軍が第一波攻撃隊を発進 米軍の空母「ホーネット」に対する空襲が行われる。ホーネットは大破し、のちに沈没。
- 午前09:50:米軍も攻撃隊を発進(空母「ホーネット」「エンタープライズ」から)
- 午前10:10:両軍の攻撃隊が目標に到達、激しい航空戦開始
- 午後2:00 日本軍の空母「翔鶴」と「瑞鶴」米軍空母「エンタープライズ」に攻撃を仕掛けエンタープライズ中破
- 午後3:30 アメリカ軍航空機反撃、日本の空母「翔鶴」大破 「瑞鳳」中破
第一次交戦の戦果:
- 米側:
- 空母「ホーネット」が大破後に沈没
- 駆逐艦「ポーター」沈没
- 日本側:
- 重巡洋艦「千代田」損傷
- 空母「翔鶴」が中破
- 午後14:00:両軍が再度攻撃隊を発進
- 戦果:
- 米側:空母「エンタープライズ」が中破
- 日本側:戦艦「比叡」損傷
- 戦術的には日本軍の勝利
- 米軍損失:
- 空母1隻
- 駆逐艦1隻
- 艦載機84機
- 搭乗員相当数
- 日本軍損失:
- 艦船の軽微な損傷
- 艦載機96機
- 熟練パイロット多数
- 米軍の空母戦力が一時的に南太平洋から撤退
- 日本軍は艦載機とベテランパイロットの損失が致命的
- この戦いを最後に日本海軍の空母機動部隊は攻勢作戦を実施できなくなる
スターリングラード攻防戦 其③
1942年11月1日 初版世界(史実近似)
蘇蓮赤軍 赤い十月製鉄工場奪還に失敗
第6軍は最後の大規模攻勢「 フー
ベルトゥス作戦 」 発動 バリケード兵器工廠 ラズール化学工場 などの工場群 テニスラケット操車場 占拠を目指したが、最終的に失敗
1942年(和昭17年)11月4日 初版世界(史実近似) アフリカのロンメル元帥軍がエルアラメインから撤退
開始
1942年(和昭17年)11月8日連合軍がモロッコ・アルジェリアに上陸 アフリカ戦線崩壊へ
1942年(和昭17年) 11月8日 スターリングラード戦線で、ロシア革命25周年のこの日 蘇蓮赤軍の攻勢はなく、独軍に楽観論が広がる
1942年(和昭17年) 11月11日 独軍7個師団で 工場地区に残る蘇蓮赤軍第62軍掃討開始 ヴォルガ川に達して、市街地を占領した独軍は 消耗が激しく 寒気が強くなる中で、戦線は膠着 第62軍に激しい爆撃を行った 独軍も限界に達してきた!と蘇蓮赤軍は判断
1942年(和昭17年) 11月19日 蘇蓮赤軍 北部から重砲3500門によりもう砲撃を開始 クレツカヤ=ラスホピンスカヤ地区のルーマニア軍を突破 T-34戦車200両で50kmほど、回復してみせた、
1942年(和昭17年) 11月20日 スターリングラード南側地域に集結していた蘇蓮赤軍が攻勢を開始 ルーマニア第4軍を突破 長身砲Ⅳ号中戦車によってドイツ自動車か師団が反撃 蘇蓮赤軍の機械化師団に大損害を与える。 ソ連軍は味方の損害を無視して進撃を続行 独軍の反撃は局地的なもので終わった、
1942年(和昭17年) 11月21日 独代6軍司令部はスターリングラードから60km離れたドンが流域ゴルピンスキーにあった。 ソ連戦車隊が迫ってくると、スターリングラード郊外グム楽飛行場付近に移動 第6軍は混乱燃料不足 独軍は第6軍を援護する為 第11軍司令部を再編して向かわせた、
1942年(和昭17年) 11月23日 蘇蓮赤軍第26師団が 要衝ドン川カラチ大鉄橋を奪還 両岸の戦車を動かすことが可能に 蘇蓮赤軍第4戦車師団 と 蘇蓮赤軍第4機械化軍団戦車部隊が合流 蘇蓮赤軍チル川方面との交通を遮断 蘇蓮赤軍の包囲環完成 第6軍は燃料がないことで撤退命令をビドラー総統に打電
1942年(和昭17年) 11月24日 ビドラー総統は自署した命令書で第6軍撤退要請を却下 戦線死守を厳命
1942年(和昭17年) 11月25日 蘇蓮赤軍はジューコフ直率による 攻勢開始 待ち構えていた独中央軍集団によって損害受けるも 蘇蓮赤軍作戦は順調。
同日 独軍援軍がハリコフ東方すたろビリエスクに到着
1942年(和昭17年) 11月26日 独援軍 ノヴォチェルカッスク第4装甲軍司令部に到着 悪天候で空路使用不可 鉄道はパルチザンの破壊工作による脅威に直面 レニングラードから5日間かかる その間蘇蓮赤軍の包囲環はさらに強化 援軍は残存ルーマニア軍とフランスからの第6装甲師団の到着を待つこととなる、 ぶどラー相当は 独第6軍のパウエルを上級大将に昇格させる
12月へ
1942年(和昭17年)11月8日
初版世界(史実近似) 連合軍がモロッコ・アルジェリアに上陸
アフリカ戦線崩壊へ
- 1940年6月10日
イタリアがフランスに宣戦布告し、第二次世界大戦に参戦。フランスはイタリア軍の攻撃に耐えきれず、6月22日には休戦協定を結び、フランスは事実上敗北。 1940年7月10日
ヴィシー政権が成立。ヴィシー政権はドイツとイタリアに協力的な姿勢を示し、フランスは事実上、ドイツの傀儡政権となる。 1941年12月7日
日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発。アメリカが第二次世界大戦に参戦。 1942年1月20日
ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルが、モロッコとアルジェリアのフランス領を分割する協定を結ぶ。 1942年7月10日
アメリカとイギリスが、フランス領北アフリカに上陸する計画を立案。計画名は「トーチ作戦」。 1942年10月30日
アメリカとイギリスが、フランス領北アフリカに上陸する計画を、フランス領北アフリカのフランス軍に通告。 1942年11月8日
アメリカとイギリスの連合軍が、モロッコとアルジェリアに上陸。上陸地点は、カサブランカ、オラン、アルジェ。フランス軍は抵抗するが、連合軍の圧倒的な力に敗北。 1942年11月11日
フランス軍が降伏。連合軍がモロッコとアルジェリアを占領。
1942年(和昭17年)11月8日ー16日
初版世界(史実近似)
カサブランカ沖海戦
(ヴィシー仏海軍対米海軍海戦)米軍勝利
仏軍 戦艦ジャンパール 軽巡プリモゲ 駆逐艦7 潜水艦11
損耗 軽巡1擱坐 駆逐艦4沈没 潜水艦5沈没
米軍 空母レンジャー 護衛空母スワニー1
戦艦マサチューセッツ
重巡ウィチタ 重巡タスカルーサ
軽巡ブルックリン 軽巡クリーヴランド 駆逐艦19潜水艦2
損耗 戦艦⒈損傷 駆逐艦2損傷
- • 1942年11月8日:連合国軍が北アフリカに上陸を開始(トーチ作戦)。米英軍がカサブランカ、オラン、アルジェに上陸。
• 同日:フランス海軍のカサブランカ基地から、戦艦「ジャン・バール」、軽巡洋艦「プリモゲ」、駆逐艦8隻が出撃し、米英軍の上陸部隊を攻撃。
• 同日:米軍の戦艦「マサチューセッツ」、重巡洋艦「ウィチタ」、軽巡洋艦「タスカルーサ」、駆逐艦4隻がフランス艦隊を迎撃。
• 同日:米軍の空母「レンジャー」から発進した艦上機がフランス艦隊を攻撃。
• 同日:フランス戦艦「ジャン・バール」が米軍の戦艦「マサチューセッツ」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス軽巡洋艦「プリモゲ」が米軍の重巡洋艦「ウィチタ」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ブーロンヌ」が米軍の駆逐艦「ウィルクス」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「フーガス」が米軍の駆逐艦「スワンソン」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ミラン」が米軍の駆逐艦「ラドフォード」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「アルジェリー」が米軍の駆逐艦「ジェンキンス」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ベルモント」が米軍の駆逐艦「パターソン」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ブレストワ」が米軍の駆逐艦「ウィルクス」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「フーガス」が米軍の駆逐艦「スワンソン」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ミラン」が米軍の駆逐艦「ラドフォード」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「アルジェリー」が米軍の駆逐艦「ジェンキンス」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ベルモント」が米軍の駆逐艦「パターソン」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス駆逐艦「ブレストワ」が米軍の駆逐艦「ウィルクス」に被弾し、航行不能に陥る。
• 同日:フランス戦艦「ジャン・バール」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス軽巡洋艦「プリモゲ」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「ブーロンヌ」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「フーガス」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「ミラン」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「アルジェリー」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「ベルモント」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:フランス駆逐艦「ブレストワ」がカサブランカ港に帰投し、修理を開始。
• 同日:米軍の戦艦「マサチューセッツ」、重巡洋艦「ウィチタ」、軽巡洋艦「タスカルーサ」、駆逐艦4隻がカサブランカ沖から撤退。
• 同日:フランス海軍のカサブランカ基地が米英軍に占領される。
同日 1942年11月8日
初版世界(史実近似)ターミナル作戦 連合軍の北アフリカ上陸作戦時
英軍 駆逐艦2 損耗 駆逐艦1大破 • 1942年11月8日:連合国軍が北アフリカに上陸を開始(トーチ作戦)。米英軍がカサブランカ、オラン、アルジェに上陸。
• 同日:米軍の第1歩兵師団がオランに上陸し、フランス軍の抵抗を排除。
• 同日:米軍の第1機甲師団がオランに上陸し、フランス軍の抵抗を排除。
• 同日:米軍の第1歩兵師団がオラン市内に進入し、フランス軍の司令部を占領。
• 同日:米軍の第1機甲師団がオラン市内に進入し、フランス軍の装甲部隊を撃破。
• 同日:フランス軍のオラン守備隊が降伏し、オラン市が米英軍の手に落ちる。
• 同日:米軍の第1歩兵師団がオランから西進し、フランス軍の後方連絡線を遮断。
• 同日:米軍の第1機甲師団がオランから南進し、フランス軍の装甲部隊を追撃。
• 同日:フランス軍のオラン守備隊の残存部隊が米英軍に降伏し、オランの戦いが終結。
• 同日:米英軍がオランを占領し、北アフリカの戦線を安定化させる。
1942年(和昭17年)11月10日
初版世界(史実近似)チェニジア戦線 チェニス攻勢
- 1942年7月10日
アメリカとイギリスが、フランス領北アフリカに上陸する計画を立案。計画名は「トーチ作戦」。 1942年11月8日
アメリカとイギリスの連合軍が、モロッコとアルジェリアに上陸。上陸地点は、カサブランカ、オラン、アルジェ。フランス軍は抵抗するが、連合軍の圧倒的な力に敗北。 1942年11月9日
ドイツ軍が、フランス領北アフリカに空挺部隊を投入。ドイツ軍は、連合軍の進撃を阻止するために、チェニジア戦線を設置。 1942年11月10日
連合軍が、チェニジア戦線で攻勢を開始。連合軍は、ドイツ軍の防衛線を突破し、チェニスを占領。チェニスは、ドイツ軍の重要な補給拠点であり、連合軍の占領は、ドイツ軍の北アフリカ戦線に大きな打撃を与える。 1942年11月12日
連合軍が、ドイツ軍を追撃し、チュニジアに進撃する。ドイツ軍は、チュニジアに撤退し、防衛線を設置。 1942年11月15日
連合軍が、チュニジアに上陸。ドイツ軍は、連合軍の進撃を阻止するために、激しい抵抗を示す。 1942年11月17日
連合軍が、チュニジアの首都、チュニスに進撃する。ドイツ軍は、チュニスを防衛するために、最後の抵抗を示す。
同日
初版世界(史実禁止) 独軍 ヴィシー仏政権占領開始
1942年(和昭17年)11月12日ー15日
初版世界(史実近似)
第三次ソロモン海戦 (ガダルカナル島沖海戦)
日軍 中空隼鷹 (飛鷹は機関故障トラック島)
戦艦比叡 戦艦霧島 戦艦榛名 戦艦金剛
重巡鳥海 重巡衣笠 重巡鈴谷 重巡摩耶 重巡利根
軽巡五十鈴 軽巡天龍 軽巡長良 軽巡川内 駆逐艦25
日艦艇損耗 戦艦比叡沈没 戦艦霧島沈没 重巡衣笠沈没 駆逐艦3隻沈没
米軍 重空エンタープライズ
戦艦ワシントン 戦艦サウスダコタ
重巡ペンサコーラ 重巡ノーザンプトン
軽巡サンディエゴ 駆逐艦16
米艦艇損耗 軽巡アトランタ撃沈 軽巡ジュノー撃沈 駆逐艦7隻撃沈
第三次ソロモン 航空機 日損耗 20機 米損耗 28機
1942年11月19日
初版世界(史実近似) 蘇連 スターリングラードで反撃開始(天王線作
戦)
1942年11月25日
初版世界史実近似) 蘇連 第二次ジェフ会戦 独軍勝利
独軍 70,3000兵士 戦車1718 10,0000戦死 戦車1600損耗
蘇軍 35,0000兵士 戦車1615 4,0000戦死 戦車1500損
耗
- 11月19日
- ソ連軍が「ウラヌス作戦」を開始
- 第6軍と第4装甲軍の側面を突破
- ルーマニア第3軍とルーマニア第4軍が壊滅的打撃を受ける
- 11月20日
- ソ連軍がドン川を渡河し、進撃を続ける
- パウルス第6軍の包囲網が形成され始める
- 11月22日
- スターリングラード内のドイツ軍が完全包囲される危機に
- ヒトラーがパウルス第6軍に「要塞化」を命令
- 11月23日
- ソ連軍の北部戦線と南部戦線が合流
- カラチで両軍が接触し、包囲網が完成
- 11月24日
- スターリングラード内のドイツ軍約29万人が完全包囲される
- マンシュタインが救援作戦の準備を開始
- 11月25日
- ドイツ軍は包囲内で陣地を固める
- 補給路が完全に遮断され、物資不足が深刻化し始める
- 空からの補給作戦が開始されるも、必要量には遠く及ばず
- 11月26日
- パウルス第6軍が包囲下での防御態勢を強化
- ゲーリングが空輸による補給可能を保証するも、実際には不十分
- マンシュタインの指揮する救援部隊「ドン軍集団」の編成が始まる
- 11月27日
- ソ連軍が包囲網の外側に第二の防御線を構築開始
- ドイツ空軍の輸送機による補給作戦が本格化
- 必要な補給量の約1/6程度しか届かない状況に
- 11月28日
- スターリングラード市内での戦闘が継続
- 包囲されたドイツ軍の燃料・食糧不足が深刻化
- マンシュタインの救援部隊が南方から北上を開始
- 11月29日
- ソ連軍が包囲網の強化を続ける
- 寒さと補給不足でドイツ軍の戦力が低下
- ドイツ軍内部で突破作戦と籠城戦の是非を巡る議論が発生
- 11月30日
- 包囲されたドイツ軍の戦闘能力が急速に低下
- 気温の低下により、負傷者の状況が悪化
- マンシュタインの救援部隊が集結を完了
1942年(和昭17年)11月30日
初版世界(史実近似) ルンガ沖海戦 日本完勝 しかし輸送作戦失敗
日軍 駆逐艦8
日損耗 駆逐艦1沈没
米軍 重巡4 軽巡1 駆逐艦5
米損耗 重巡1撃沈 重巡3大破
-
- ガダルカナル島の戦い: 日本軍がガダルカナル島の飛行場を確保し、ソロモン諸島への進出を図っていたが、米軍が上陸し、激しい戦闘が続いていた。
- 物資輸送の必要性: 日本軍は、ガダルカナル島に孤立した部隊への物資輸送を必要としていた。
- 輸送船団の派遣: 日本海軍は、駆逐艦部隊を護衛に、ガダルカナル島に向けて輸送船団を派遣することを決定。
- 夜間攻撃: 米軍の哨戒線を避けるため、夜間に攻撃を行うことを計画。
- 11月30日夜: 日本駆逐艦部隊は、ルンガ岬沖に到着。
- 魚雷攻撃: 日本駆逐艦は、米軍の輸送船団と護衛艦艇に対して魚雷攻撃を開始。
- 米軍の損害: 米軍の輸送船数隻が撃沈され、護衛駆逐艦も大きな損害を受けた。
- 日本軍の損害: 日本駆逐艦「高波」が米軍の反撃により沈没。
スターリングラード攻防戦(ブラウ作戦)其の4
1942年12月12日 初版世界(史実近似) スターリングラードで包囲されている独軍を救済すべく 冬の嵐作戦がスターリングラード南西130kmのコテルニコスキーを起点に開始 アクサイ川を突破 作戦二日目から豪雨となり、硬い雪は泥濘となる 独第6装甲師団は、ベルフネクスキー付近の谷で反撃のために進んでいた蘇蓮赤軍の戦車部隊を挟撃し大損害を与えた、
12月16日 蘇蓮赤軍は独軍援軍に対して 独援軍の後方へ進撃するマールイ・サトゥンルン作戦を決定 蘇蓮赤軍第6軍と第1親衛隊は伊第8軍を撃破 ドイツ後方支援部隊や兵站基地を攻撃しながら南下 独援護軍の側面を牽制 独援護軍は 独第6軍救出と同時に ロストフを維持するために兵を分割 急激に気温が低下 ヴォルガ川完全凍結 スターリングラード市街の独軍に支援補給が可能となり補充兵と重火器が送られたが、冬季用衣類機材欠乏の為凍傷患者が続出
12月19日 蘇蓮赤軍の独援護軍の後方に回るという サトゥルン作戦により チル川方面からの側面のアッパウが増しつつも 独援護軍は夜間照明弾が視認できるところまで 独第6軍に接近できた 独第6軍は動かなかった ビドラーの死守命令に即して 戦車70両で粘っていた、
12月20日 独6軍の救出を言明したが、、独第6軍は燃料がなく動けず ビドラー総統は撤退を許さず
12月23日 独援護軍への蘇蓮赤軍の側面攻撃であるサトゥルン作戦の阻止に 独援護軍は務める
12月24日 独援護軍の照明弾は後退してゆき 独第6軍は孤立して、
わずかな補給で過ごす
→ 1943年へ続く
1942年12月6日
初版世界(史実近似)英空軍オイスター作戦 オランダ アイントフォー
フェンの真空管電球工場を84機で攻撃
1942年12月12日ー23日
初版世界(史実近似)独冬の嵐作戦 蘇軍勝利
独軍 5,0000兵士 戦車250
蘇軍 15,0000兵士 戦車630
同日
初版世界(史実近似) 蘇軍 冬の嵐作戦を阻害する為に蘇 小土星作戦開始
1942年冬、スターリングラードに包囲されたドイツ第6軍を救出するため、マンシュタイン元帥指揮下のドイツ軍は「冬の嵐作戦」を発動しました。この作戦は、ソ連軍の包囲網を突破し、孤立した第6軍と合流することを目的としていました。 以下に、冬の嵐作戦の経緯を時系列で箇条書きにまとめていきます。
- スターリングラードの危機: ドイツ第6軍は、スターリングラードの市街戦で消耗し、ソ連軍に包囲されていた。
- 物資の枯渇: 包囲されたドイツ軍は、食料や弾薬が不足し、危機的な状況に陥っていた。
- 冬の嵐作戦の発動: ドイツ軍は、スターリングラードから南西に位置するソ連軍の防線を突破し、包囲された第6軍と合流することで、この危機を脱出することを目指した。
- 12月12日: ドイツ軍は、ソ連軍の防線を突破するため、大規模な攻撃を開始。
- 初期の成功: ドイツ軍は、ソ連軍の防線を一部突破し、前進に成功。
- ソ連軍の抵抗: ソ連軍は、激しい抵抗を展開し、ドイツ軍の進撃を遅らせる。
- 悪天候の影響: 冬の厳しい寒さと雪によって、両軍の作戦行動は大きく制限される。
- 物資不足: ドイツ軍は、長距離の作戦行動により、物資が不足し始める。
- ソ連軍の反撃: ソ連軍は、増援部隊を投入し、ドイツ軍の側面と後方を攻撃。
- 作戦の失敗: ドイツ軍は、ソ連軍の頑強な抵抗と厳しい自然条件に阻まれ、包囲された第6軍と合流することはできなかった。
- 12月23日: ドイツ軍は、作戦を中止。
- ソ連軍の頑強な抵抗: ソ連軍は、スターリングラードの防衛に全力を挙げており、ドイツ軍の攻撃を効果的に阻止した。
- 悪天候: 冬の厳しい寒さと雪は、ドイツ軍の機動力と補給を大きく阻害した。
- 物資の不足: 長距離の作戦行動により、ドイツ軍は物資が不足し、戦闘力が低下した。
- ソ連軍の反撃: ソ連軍の反撃は、ドイツ軍の側面と後方を攻撃し、作戦の成功を阻んだ。
- スターリングラードのドイツ軍の敗北: 冬の嵐作戦の失敗は、スターリングラードのドイツ第6軍の運命を決定づけ、最終的な降伏へとつながった。
- 独ソ戦の転換点: スターリングラードの戦いの敗北は、独ソ戦の転換点となり、ソ連軍の反攻開始を促した。
- ティーガーI戦車: ヒトラーは、ティーガーI戦車を装備した503重戦車大隊をマンシュタインに約束していたが、この部隊は輸送中で、この作戦には参加できなかった。
- ソ連軍の戦略: ソ連軍は、冬の嵐作戦を予測し、事前に防御線を強化していた。
1942年(和昭17年)12月31日
初版世界(史実近似) 日大本営 ガダルカナル島から撤退を決定
1942年12月31日
現実世界(物語世界)初版世界(史実近似)
米🔵正規エセックス級 重空母エセックス就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1943年(和昭18年)
1943年1月8日
初版世界 スターリングラード攻防戦(ブラウ作戦) 其⑤ 続き
1月8日 蘇蓮赤軍 スターリングラード戦を終わらせるために 独第6軍幹部に帯剣を認めた 名誉ある降伏 を勧告 独第6軍司令官は接触拒否
1月10日 蘇蓮赤軍 独第6軍を スターリングラード内に圧縮する 鉄環作戦を開始 7個師団で西方より進撃して包囲環の縮小を図る
1月16日 蘇蓮赤軍日と無肉飛行場を占拠 ドイツの保持地域は1400平方メートルから65平方キロメートルに縮小 蘇蓮赤軍の被害も甚大! 数日間攻撃停止
1月20日 航空機の脱出は二万五千人 二万人の傷病兵と軍医は残された、
1月21日 蘇連赤軍がグム楽飛行場を占拠 独第6軍への補給も脱出も不可能に
1月22日 蘇蓮赤軍が最終攻勢を開始 第6軍は市内防衛線に追い込まれる マイナス35度 玄関の廃墟や雪原で独軍将兵戦死凍死餓死 ビドラー総統は、全員戦死することを望んで 正規軍としての降伏を不許可
1月22日 カサブランカ会談開催 トルコへの圧力強化決定
1月26日 蘇連赤軍 第13親衛狙撃師団が ドン方面に属する第21軍とクルガンで合流 蘇連第62軍は5ヶ月ぶりに独軍の方位から解放される
1月30日 ダヂス政権10周年のこの日ビドラー総統は第6軍長パウルスを元帥に昇格
1月31日軍長参謀長以下投降する
2月2日 トラクター工場を中心に抵抗を続けていた 第11軍団が投降し 独第6軍の抗戦終了
戦死
蘇連赤軍 47,8000人
独軍 40、0000人
ハンガリー 10,5000人
ルーマニア 10,9000人
イタリア 11,4000人
1943年1月14日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 インディペンデンス 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
1000t 32nt 45機
37口径127mm×2
65口径40mm×26
76口径20mm×22
1943年(和昭18年)1月29日ー30日
初版世界 レンネル島沖海戦
米艦艇損失 重巡シカゴ撃沈
日軍喪失 潜水艦2
初版世界 レンネル島沖航空戦
日損耗 航空機10
米損耗 戦闘機3
- 1943年1月29日
- 02:27:アメリカ海軍の巡洋艦「シカゴ」、駆逐艦「ラ・ヴァレット」、輸送船「アルデバラン」がレンネル島近海で日本海軍の潜水艦「伊-11」に発見される。
- 03:00:「伊-11」が「シカゴ」に魚雷を発射し、1本が命中。シカゴは大破し、航行不能に陥る。
- 04:00:アメリカ海軍の巡洋艦「ルイビル」、駆逐艦「エリソン」、輸送船「アルデバラン」が現場に到着し、シカゴの救援を開始。
- 06:00:日本海軍の潜水艦「伊-17」が現場に到着し、シカゴに魚雷を発射するが、命中しない。
- 08:00:アメリカ海軍の空母「エンタープライズ」から発進した戦闘機が現場に到着し、対潜哨戒を開始。
- 01:00:日本海軍の潜水艦「伊-17」が再びシカゴに魚雷を発射し、1本が命中。シカゴは沈没。
- 02:00:アメリカ海軍の駆逐艦「ラ・ヴァレット」が「伊-17」を攻撃し、撃沈。
- 04:00:アメリカ海軍の空母「エンタープライズ」から発進した戦闘機が「伊-11」を攻撃し、撃沈。
- 06:00:アメリカ海軍の艦隊がレンネル島近海から撤退し、海戦は終了。
1943年(和昭18年)1月31日
初版世界 独ビドラー総統 スターリングラードのドイツ軍に玉砕命令
1943年(和昭18年)2月1日
初版世界 日軍 ガダルカナル島から撤退開始
1943年2月17日
現実世界(物語世界)
米🔵エセックス級重空母 インピレット 就役
266M 3.6300t 34nt 90機
38口径128mm×16
56口径40mm×68
78口径20mm×65
1943年2月19日ー25日
初版世界 カセリーヌ(チュニジア)の戦い
独伊損害 戦死2000 戦車34
連合損害 戦死 300 戦車183
• 1943年2月19日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠に攻撃を開始し、米軍と英軍の防衛線を突破する。
• 1943年2月20日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠を占領し、米軍と英軍を後退させる。
• 1943年2月21日:米軍と英軍がカセリーヌ峠に反撃を開始するが、ドイツ軍とイタリア軍の防衛線を突破できない。
• 1943年2月22日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠で米軍と英軍を包囲し、米軍と英軍の補給線を切断する。
• 1943年2月23日:米軍と英軍がカセリーヌ峠で包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年2月24日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠で米軍と英軍を追撃し、米軍と英軍を後退させる。
• 1943年2月25日:米軍と英軍がカセリーヌ峠で再び反撃を開始し、ドイツ軍とイタリア軍の防衛線を突破する。
• 1943年2月26日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠から撤退を開始する。
• 1943年3月6日:米軍と英軍がカセリーヌ峠を占領する。
1943年(和昭18年)
初版世界 第三次ハリコフ(ウクライナ)戦
独損耗 戦死1,1500
蘇損耗 戦死4,5219
• 1943年2月19日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠に攻撃を開始し、米軍と英軍の防衛線を突破する。
• 1943年2月20日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠を占領し、米軍と英軍を後退させる。
• 1943年2月21日:米軍と英軍がカセリーヌ峠に反撃を開始するが、ドイツ軍とイタリア軍の防衛線を突破できない。
• 1943年2月22日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠で米軍と英軍を包囲し、米軍と英軍の補給線を切断する。
• 1943年2月23日:米軍と英軍がカセリーヌ峠で包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年2月24日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠で米軍と英軍を追撃し、米軍と英軍を後退させる。
• 1943年2月25日:米軍と英軍がカセリーヌ峠で再び反撃を開始し、ドイツ軍とイタリア軍の防衛線を突破する。
• 1943年2月26日:ドイツ軍とイタリア軍がカセリーヌ峠から撤退を開始する。
• 1943年3月6日:米軍と英軍がカセリーヌ峠を占領する。
1943年2月25日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 プリンストン 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年(和昭18年)3月2日
初版世界 ビスマルク海海戦
日艦艇損耗 駆逐艦4 輸送艦8 戦死3000
米艦艇損耗 重爆撃機2 戦闘機4
- 1943年3月2日:日本軍の輸送船団がビスマルク海を航行中、米軍と豪軍の航空機に発見される。
• 1943年3月2日:米軍と豪軍の航空機が日本軍の輸送船団に攻撃を開始する。
• 1943年3月2日:日本軍の輸送船団が米軍と豪軍の航空機の攻撃に抵抗するが、多くの船が沈没する。
• 1943年3月2日:日本軍の駆逐艦「阿ラバマ」が米軍と豪軍の航空機の攻撃に抵抗するが、沈没する。
• 1943年3月2日:日本軍の輸送船団がビスマルク海から撤退を開始する。
• 1943年3月3日:米軍と豪軍の航空機が日本軍の輸送船団を追撃し、多くの船を沈没させる。
• 1943年3月3日:日本軍の輸送船団がビスマルク海から完全に撤退する。
1943年(和昭18年)3月5日
初版世界 第一次コロンバンガラ島沖夜戦
日損耗 駆逐艦2 新月轟沈 長月轟沈 村雨 轟沈
中破 駆逐艦 天霧 初雪 谷風 涼風
米損耗 重巡ペンサコーラ撃沈
大破 ノーザンプトン ソルトレイクシティ ミネアポリス
軽巡ヘレナ撃沈 駆逐艦ストロング撃沈
損傷 駆逐艦 ラフォード ニコラス オバノン ジェンキンス
チーヴァリー
- 1943年3月2日:日本軍の輸送船団がビスマルク海を航行中、米軍と豪軍の航空機に発見される。
• 1943年3月2日:米軍と豪軍の航空機が日本軍の輸送船団に攻撃を開始する。
• 1943年3月2日:日本軍の輸送船団が米軍と豪軍の航空機の攻撃に抵抗するが、多くの船が沈没する。
• 1943年3月2日:日本軍の駆逐艦「阿ラバマ」が米軍と豪軍の航空機の攻撃に抵抗するが、沈没する。
• 1943年3月2日:日本軍の輸送船団がビスマルク海から撤退を開始する。
• 1943年3月3日:米軍と豪軍の航空機が日本軍の輸送船団を追撃し、多くの船を沈没させる。
• 1943年3月3日:日本軍の輸送船団がビスマルク海から完全に撤退する。
1943年3月10日
初版世界 チャスダイス作戦 実行開始
独工業地帯 ダム破壊攻撃作戦 メーネ・ダム攻撃
エーデル・ダム攻撃
エンペネ・ダム攻撃
ぞるべ・ダム攻撃
1943年3月16日
初版世界 マレスライン(チェニジア)の戦い
独損耗 戦死2000 戦車 34
英米損耗 戦死3000 戦車183
・1943年3月16日:イタリア軍のマレスライン防衛線を突破するため、イギリス第8軍の第50インド師団が攻撃を開始。 ・同日:イギリス軍はマレスラインの北端に位置するマレッタ山を占領し、イタリア軍の防衛線に穴をあける ・3月17日:イギリス軍はマレッタ山を拠点に、イタリア軍の防衛線を南下し、タッコーネ山を占領。 ・同日:イタリア軍は反撃を開始し、タッコーネ山を奪回しようとしますが、イギリス軍の激しい抵抗に遭い、失敗。 ・3月18日:イギリス軍はマレスラインの南端に位置するディオーネ山を占領し、イタリア軍の防衛線を完全に突破。 ・同日:イタリア軍はマレスラインから撤退し、シチリア島の西部に位置するアグリジェントに後退。 ・3月19日:イギリス軍はマレスラインの戦いを終結し、シチリア島の南西部を占領。
1943年3月23日
初版世界 エル・グェタル(チュニジア)の戦い
独伊損耗 戦死4000 戦車37
米損耗 戦死5000 戦車22
1943年(和昭18年)3月26日−27日
初版世界 コマンドル諸島沖海戦
日損耗 戦死14 重巡1小破 輸送船3轟沈
米損耗 重巡1小破 駆逐艦2小破
この海戦は、1943年3月26日から27日にかけて行われ、
26日
米海軍の重巡洋艦「ソルトレイクシティ」、軽巡洋艦「リッチモンド」、駆逐艦「ベイリー」、駆逐艦「モナハン」、駆逐艦「ダールグレン」が日本海軍の重巡洋艦「那智」、重巡洋艦「摩耶」、軽巡洋艦「阿武隈」、駆逐艦「いなづま」、駆逐艦「うしお」、駆逐艦「岸波」と交戦し、双方に被害を与えた。
27日(アッツ島近辺にて)
米海軍の巡洋艦「リッチモンド」、重巡洋艦「ソルトレイクシティ」、軽巡洋艦「リッチモンド」、駆逐艦「ベイリー」、駆逐艦「モナハン」、駆逐艦「ダールグレン」が日本海軍の輸送船団を攻撃し、輸送船「アキツシママル」、輸送船「ニッコウマル」、輸送船「サンセイマル」を沈没させました。 日本海軍は、重巡洋艦「那智」、重巡洋艦「摩耶」、軽巡洋艦「阿武隈」、駆逐艦「いなづま」、駆逐艦「うしお」、駆逐艦「岸波」で応戦し、米海軍の重巡洋艦「ソルトレイクシティ」に被弾させましたが、最終的には米海軍が勝利を収めました。
1943年(和昭18年)3月28日
初版世界 米カートホイール作戦開始
日 ラバウル基地を孤立化
1943年3月31日
現実世界
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 ベローウッド 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年4月15日
現実世界(物語世界)
米🔵エセックス級重空母 バンホーム 就役
266M 3.6300t 34nt 90機
38口径128mm×16
56口径40mm×68
78口径20mm×65
1943年(和昭18年)4月18日
初版世界 海軍甲事件
山本五十六連合艦隊司令長官 視察計画からの、
レーダーによる暗号解読による 待ち伏せで 山本五十吉 を撃墜 戦死
1943年(和昭18年)5月12日ー29日
初版世界 アッツ島の戦い 日本軍初玉砕
日損耗 潜水艦1 戦死2371
米損耗 戦死 600
• 1943年5月12日:米軍がアッツ島に上陸作戦を開始する。
• 1943年5月12日:日軍がアッツ島で米軍の上陸を迎え撃つ。
• 1943年5月13日:米軍がアッツ島の東海岸に上陸し、日軍の防衛線を突破する。
• 1943年5月14日:日軍がアッツ島で米軍を包囲し、米軍の補給線を切断する。
• 1943年5月15日:米軍がアッツ島で包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年5月16日:日軍がアッツ島で米軍を追撃し、米軍を後退させる。
• 1943年5月17日:米軍がアッツ島で再び反撃を開始し、日軍の防衛線を突破する。
• 1943年5月18日:日軍がアッツ島から撤退を開始する。
• 1943年5月19日:米軍がアッツ島を占領する。
• 1943年5月20日:日軍がアッツ島から完全に撤退する。
1943年(和昭18年)5月26日
初編世界 アッツ島沖海戦
1943年5月26日
14:15:アメリカ海軍の巡洋艦「サンフランシスコ」、重巡洋艦「ソルトレイクシティ」、軽巡洋艦「リッチモンド」、駆逐艦「バチェ」、駆逐艦「ベイリー」、駆逐艦「モナハン」がアッツ島近海で日本海軍の輸送船団を発見。
14:30:アメリカ海軍の艦隊が日本海軍の輸送船団を攻撃し、輸送船「カミノマチマル」、輸送船「アサヒマル」、輸送船「シンエイマル」を沈没させる。
15:00:日本海軍の重巡洋艦「那智」、重巡洋艦「マヤ」、軽巡洋艦「阿武隈」、駆逐艦「いなづま」、駆逐艦「うしお」、駆逐艦「岸波」が現場に到着し、反撃を開始。
15:30:アメリカ海軍の重巡洋艦「ソルトレイクシティ」が日本海軍の重巡洋艦「那智」の砲撃を受け、被弾し、航行不能に陥る。
16:00:アメリカ海軍の駆逐艦「モナハン」が日本海軍の駆逐艦「いなづま」の雷撃を受け、被雷し、沈没。
16:30:アメリカ海軍の艦隊が日本海軍の艦隊を追撃し、重巡洋艦「那智」に被弾させる。
17:00:日本海軍の艦隊がアッツ島近海から撤退し、海戦は終了。
1943年(和昭18年)5月27日ー7月29日
初版世界(史実近似) キスカ島撤退作戦
米軍
兵士3,4426
戦艦 ペンシルヴェニア アイダホ、 ミシシッピ、 ニューメキシコ
重巡 ヘレナ、 サンフランシスコ、サンタフェ
軽巡 ビロクシ、ポートアイランド マイアミ
駆逐艦38隻 オバノン ベイル フィルモア ショー スチュワート
モリール プレブル マッカラ フェアファックス
チャウンシー ラッセル コーンウェル モンズーン
ヲーカー ヘイデン スタッフォード ステッテン
ウィリアムポーター レイモンド イングラム フェアバンクス
コグスウェル ヴァンヴァーン リンド パウエル
ニコルズ ドゥライト ヘンドリックス ムーア
ゲイジ ユーバーラー コニック フェアフィールド
メトカルフ モーリー ルース プレブル
フィルモア ディバリー
日軍 兵士 5000
軽巡 阿武隈 木曽
駆逐 島風 朝雲 照月 霞 若葉 長月 巻雲 颯 秋雲
夕雲 清風 卯月 水無月 山雲 海風
水雷艇 6隻
掃海艇 9隻
輸送船 昭徳丸 玉栄丸 辰丸 興安丸 神州丸 日吉丸
金華丸
日損害 駆逐 巻雲 轟沈
軽巡 阿武隈 小破
駆逐 島風 照月 霞 若葉 小破
戦死 300
1943年5月28日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 カウペンス 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年6月17日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 モンテレー 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年(和昭18年)6月30日ー9月1日
初版世界 ニュージョージアの戦い
連合軍勝利 日本軍撤退
日損耗 戦死1671
米損耗 戦死1195
- • 1943年6月30日:米軍がニュージョージア島に上陸作戦を開始する。
• 1943年6月30日:日軍がニュージョージア島で米軍の上陸を迎え撃つ。
• 1943年7月1日:米軍がニュージョージア島の西海岸に上陸し、日軍の防衛線を突破する。
• 1943年7月2日:日軍がニュージョージア島で米軍を包囲し、米軍の補給線を切断する。
• 1943年7月3日:米軍がニュージョージア島で包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年7月4日:日軍がニュージョージア島で米軍を追撃し、米軍を後退させる。
• 1943年7月5日:米軍がニュージョージア島で再び反撃を開始し、日軍の防衛線を突破する。
• 1943年7月6日:日軍がニュージョージア島から撤退を開始する。
• 1943年7月7日:米軍がニュージョージア島を占領する。
• 1943年7月8日:日軍がニュージョージア島から完全に撤退する。
• 1943年7月9日:米軍がニュージョージア島のムンダ飛行場を占領する。
• 1943年7月10日:日軍がニュージョージア島に空襲を開始する。
• 1943年7月11日:米軍がニュージョージア島のムンダ飛行場を使用し、日軍の空襲を撃退する。
• 1943年7月12日:日軍がニュージョージア島に再び空襲を開始する。
• 1943年7月13日:米軍がニュージョージア島のムンダ飛行場を使用し、日軍の空襲を撃退する。
この間 日軍が空襲して迎撃されるが繰り返される。
• 1943年8月31日:日軍がニュージョージア島に再び空襲を開始する。
• 1943年9月1日:米軍がニュージョージア島のムンダ飛行場を使用し、日軍の空襲を撃退する。
1943年7月24日ー8月3日
初版世界 ハンブルグ空襲本格化 ゴモラ作戦
英空軍4300機の爆撃機が攻撃 34機撃墜
独市民4,0000人死亡
1943年(和昭18年)7月4日−8月
初版世界 クルスク戦車戦
独軍
歩兵 78,0900
戦車 2928
航空機 2110
火砲 9467
蘇軍
兵 191,0361
戦車 5128
航空機 3549
火砲 4,7416
独損耗 戦死30,0000人 戦車1023 航空機 618
蘇損耗 戦死70,0000人 戦車6064 航空機2000
- • 1943年7月4日:ドイツ軍がクルスクに攻撃を開始する。
• 1943年7月4日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍の攻撃を迎え撃つ。
• 1943年7月5日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の防衛線を突破する。
• 1943年7月6日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を包囲し、ドイツ軍の補給線を切断する。
• 1943年7月7日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年7月8日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を追撃し、ドイツ軍を後退させる。
• 1943年7月9日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の追撃を逃れ、撤退する。
• 1943年7月10日:ソビエト軍がクルスクを占領する。
• 1943年7月11日:ドイツ軍がクルスクに再び攻撃を開始する。
• 1943年7月12日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍の攻撃を迎え撃つ。
• 1943年7月13日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の防衛線を突破する。
• 1943年7月14日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を包囲し、ドイツ軍の補給線を切断する。
• 1943年7月15日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年7月16日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を追撃し、ドイツ軍を後退させる。
• 1943年7月17日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の追撃を逃れ、撤退する。
• 1943年7月18日:ソビエト軍がクルスクを占領する。
• 1943年7月19日:ドイツ軍がクルスクに再び攻撃を開始する。
• 1943年7月20日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍の攻撃を迎え撃つ。
• 1943年7月21日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の防衛線を突破する。
• 1943年7月22日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を包囲し、ドイツ軍の補給線を切断する。
この間激しい戦闘が続く
• 1943年8月28日:ドイツ軍がクルスクに再び攻撃を開始する。
• 1943年8月29日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍の攻撃を迎え撃つ。
• 1943年8月30日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の防衛線を突破する。
• 1943年8月31日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を包囲し、ドイツ軍の補給線を切断する。
• 1943年9月1日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の包囲を脱出するが、多くの犠牲者を出す。
• 1943年9月2日:ソビエト軍がクルスクでドイツ軍を追撃し、ドイツ軍を後退させる。
• 1943年9月3日:ドイツ軍がクルスクでソビエト軍の追撃を逃れ、撤退する。
• 1943年9月4日:ソビエト軍がクルスクを占領する。
1943年(和昭18年)7月5日−6日
初版世界 第二次コロンバン島沖クラ湾夜戦
日損耗 駆逐艦2
米損耗 軽巡 1 ・1943年7月5日、米軍はニュージョージア島のムンダ飛行場を占領し、ソロモン諸島の制空権を掌握。
・同日、南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は、クラ湾への輸送作戦を下令。
・7月5日夜、輸送船団(輸送船10隻、駆逐艦4隻、海防艦1隻)がラバウルを出発。
・7月6日、米軍機が輸送船団を発見し、攻撃を開始。
・同日、輸送船団はクラ湾に到着し、上陸作戦を開始。
・7月6日夜、米軍巡洋艦・駆逐艦部隊がクラ湾に到着し、輸送船団を攻撃。
・同日、日米艦隊が交戦し、クラ湾夜戦が始まる。
・7月7日、日米艦隊が交戦を続け、双方に損害が生じる。
・同日、輸送船団はクラ湾から撤退を開始。
・7月8日、輸送船団はラバウルに帰投。
1943年7月10日
初版世界 連合軍がシチリア島に上陸開始 ハスキー作戦
1943年(和昭18年)7月12日ー13日
初版世界 第三次コロンバンカラ島沖海戦
日損耗 軽巡1沈没
米損耗 駆逐艦1撃沈 1943年7月9日:重巡鳥海 軽巡川内 駆逐艦8隻結集
1943年7月12日:米軍の輸送船団がコロンバンガラ島に接近中、日軍の水雷戦隊に発見される。
• 1943年7月12日:日軍の水雷戦隊が米軍の輸送船団に攻撃を開始する。
• 1943年7月12日:米軍の駆逐艦「グウィン」が日軍の水雷戦隊の攻撃に抵抗するが、沈没する。
• 1943年7月12日:米軍の駆逐艦「ラドフォード」が日軍の水雷戦隊の攻撃に抵抗するが、損傷する。
• 1943年7月12日:日軍の水雷戦隊が米軍の輸送船団を攻撃し、多くの船を沈没させる。
• 1943年7月13日:米軍の水雷戦隊が日軍の水雷戦隊を追撃し、日軍の駆逐艦「新月」が沈没する。
• 1943年7月13日:日軍の水雷戦隊が米軍の水雷戦隊の追撃を逃れ、撤退する。
・1943年7月19日〜20日:日軍による輸送に対して、小規模な海戦が発生する
1943年7月12日
初版世界 プロホロフカの戦い
ドイツは蘇蓮赤軍を撃破する事ができず
独損耗 戦死 850 戦車 70
蘇損耗 戦死 5500 戦車300
1943年7月24日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 ガボット 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年7月24日
現実世界(物語世界)
米🔵エセックス級重空母 バンカーヒル 就役
266M 3.6300t 34nt 90機
38口径128mm×16
56口径40mm×68
78口径20mm×65
1943年(和昭18年)8月1日
初版世界 日本の傀儡政権 ビルマ国樹立
1943年(和昭18年)8月6日
初版世界 ベラ湾夜戦
日損耗 戦死1210 駆逐艦3
米損耗 戦死 440 魚雷艇1
・1943年8月1日午後:アメリカ海軍の第36.1任務群(指揮官:アーロン・S・メリル少将)が、ベラ湾に進入し、輸送船団の護衛を開始。
・同日午後10時:日本海軍の第8艦隊(指揮官:鮫島具重中将)が、ベラ湾に進入し、輸送船団の攻撃を開始。
・同日午後10時30分:アメリカ海軍の駆逐艦「アムステルダム」が、レーダーで日本艦隊を探知し、警報を発する。
・同日午後10時40分:アメリカ海軍の第36.1任務群が、戦闘配置をとり、砲撃を開始。
・同日午後11時:日本海軍の重巡洋艦「鳥海」が、魚雷を発射し、アメリカ海軍の駆逐艦「ラルフ・タルボット」を撃沈。
・同日午後11時30分:アメリカ海軍の駆逐艦「ニコラス」が、魚雷を発射し、日本海軍の軽巡洋艦「ジュンツウ」を撃沈。
・同日午前0時30分:日本海軍の第8艦隊が、ベラ湾から撤退し、戦闘を終結。
・同日午前1時:アメリカ海軍の第36.1任務群が、ベラ湾を離れ、戦闘を終結。
ベラ湾夜戦は、ソロモン諸島の戦いの中で、重要な海戦の一つで、両軍ともに大きな損害を被った。日本海軍は、軽巡洋艦「ジュンツウ」を失い、重巡洋艦「鳥海」が大破し、駆逐艦「萩風」が小破。アメリカ海軍は、駆逐艦「ラルフ・タルボット」を失い、駆逐艦「ニコラス」が小破。
1943年8月7日ー10月2日
初版世界 スモレンスクの戦い
独損耗 戦死15,0000
蘇損耗 戦死35,0000
1943年8月9日
初版世界 英空軍ケルン夜間空襲
1943年(和昭18年)8月15日
初版世界(史実近似)
コテージ作戦
キスカ島で日本軍が完全撤退した後に、米軍が上陸し 味方同士が撃ち合って、
甚大な被害を被るという、 「 米国史場最悪の軍事訓練 」と呼ばれた
米軍
兵士3,4426
戦艦 ペンシルヴェニア アイダホ、 ミシシッピ、 ニューメキシコ
重巡 ヘレナ、 サンフランシスコ、サンタフェ
軽巡 ビロクシ、ポートアイランド マイアミ
駆逐艦 20隻
損害 重巡ヘレナ小破 駆逐オバノン小破 駆逐ベイル小破
戦死者70
1943年8月17日ー24日
初版世界 ケベック会議 カナダでルーザベルト米大統領とヂャーヂル英
首相
カナダ首相出席
1943年(和昭18年)7月17日
初版世界 第一次ベララベラ海戦
日軍 駆逐艦4 補助鑑定20
日損耗 補助鑑定4沈没
米軍 駆逐艦4
米損耗 無し
1943年7月17日、南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は、ベララベラ島への輸送作戦を下令。
・同日、輸送船団(輸送船6隻、駆逐艦4隻、海防艦1隻)がラバウルを出発。
・7月18日、輸送船団はベララベラ島に到着し、上陸作戦を開始。
・同日、米軍機が輸送船団を攻撃し、輸送船2隻を撃沈、1隻を大破。
・7月19日、輸送船団はベララベラ島から撤退を開始。
・同日、米軍機が再度攻撃し、輸送船1隻を撃沈、1隻を大破。
・7月20日、輸送船団はラバウルに帰投。
1943年8月23日
初版世界 連合軍がベルリン重爆撃
独空軍200機出動 4機損耗
英空軍700機出動 21機損耗
1943年8月23日
初版世界 ドニエプル川の戦い
独軍 兵士125,0000 戦車2100 火砲1,2600 航空機2000 出
動
戦死40,0000
蘇軍 兵士265,0000 戦車2400 火砲5,1000 航空機2850 出
動
戦死55,0000. 全犠牲者150,0000
・1943年8月23日:ソビエト連邦の南西方面軍が、ドニエプル川の西岸に到達し、ドニエプル川の渡河作戦を開始。
・同日:ソビエト連邦の第3親衛軍が、ドニエプル川の西岸に橋頭堡を確立し、ドニエプル川の渡河を開始。
・8月24日:ソビエト連邦の第5親衛軍が、ドニエプル川の西岸に到達し、ドニエプル川の渡河を開始。
・8月25日:ソビエト連邦の第2親衛軍が、ドニエプル川の西岸に到達し、ドニエプル川の渡河を開始。
・8月26日:ドイツ軍が、ソビエト連邦軍のドニエプル川の渡河を阻止するため、反撃を開始。
・8月27日:ソビエト連邦の第3親衛軍が、ドニエプル川の西岸に橋頭堡を拡大し、ドニエプル川の渡河を続行。
・8月28日:ソビエト連邦の第5親衛軍が、ドニエプル川の西岸に橋頭堡を拡大し、ドニエプル川の渡河を続行。
・8月29日:ソビエト連邦の第2親衛軍が、ドニエプル川の西岸に橋頭堡を拡大し、ドニエプル川の渡河を続行。
・9月1日:ソビエト連邦の第3親衛軍が、ドニエプル川の西岸に大きな橋頭堡を確立し、ドニエプル川の渡河を続行。
・9月2日:ソビエト連邦の第5親衛軍が、ドニエプル川の西岸に大きな橋頭堡を確立し、ドニエプル川の渡河を続行。
・9月3日:ソビエト連邦の第2親衛軍が、ドニエプル川の西岸に大きな橋頭堡を確立し、ドニエプル川の渡河を続行。
・9月22日:ソビエト連邦の南西方面軍が、ドニエプル川の西岸に大きな橋頭堡を確立し、ドニエプル川の渡河を完了。
1943年8月25日
初版世界 米空軍がベルリン空襲
米空軍250出動 15損失
独空軍300出動 22損耗
1943年8月31日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 ラングレー 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年9月3日
初版世界 連合軍 イタリア半島上陸開始
独損耗 戦死3500
英米損耗 戦死5500
1943年9月8日
初版世界 イタリア降伏
同日
初版世界 独軍 イタリア占領開始 アッシュ作戦
1943年9月9日
初版世界 アヴァランチ作戦. 連合軍勝利
独損害 戦死3500
英米損害 戦死5500
・1943年9月9日午前3時30分:イギリス軍の第X軍団が、サレルノの北部に上陸を開始します。
・同日午前4時00分:アメリカ軍の第VI軍団が、サレルノの南部に上陸を開始。
・同日午前5時00分:イギリス軍の第X軍団が、サレルノの北部に橋頭堡を確立し、上陸を続行。
・同日午前6時00分:アメリカ軍の第VI軍団が、サレルノの南部に橋頭堡を確立し、上陸を続行。
・同日午前7時00分:ドイツ軍が、サレルノの北部と南部に反撃を開始
・同日午前8時00分:イギリス軍の第X軍団が、サレルノの北部でドイツ軍の反撃を撃退し、上陸を続行。
・同日午前9時00分:アメリカ軍の第VI軍団が、サレルノの南部でドイツ軍の反撃を撃退し、上陸を続行。
・同日午前10時00分:イギリス軍の第X軍団が、サレルノの北部に大きな橋頭堡を確立し、上陸を続行。
・同日午前11時00分:アメリカ軍の第VI軍団が、サレルノの南部に大きな橋頭堡を確立し、上陸を続行。
・同日午後12時00分:イギリス軍の第X軍団とアメリカ軍の第VI軍団が、サレルノの北部と南部で合流し、上陸を完了。
1943年(和昭18年)9月22日ー12月30日
初版世界 フィンシュハーフェンの戦い
日損害 戦死7000
米損害 戦死1028 ・
1943年9月23日
初版世界 ムッソリーニを元首とする イタリア社会共和国樹立
1943年10月4日
初版世界
米空母レンジャー ノルウェーポードー地域沿岸ドイツ船舶攻撃
1943年(和昭18年)10月6日
初版世界 第二次ベララベラ海戦 日軍勝利
日軍 駆逐艦9 補助艦艇20
日損耗 駆逐艦1沈没
米軍 駆逐艦6
米損耗 駆逐艦1沈没2大破
1943年10月16日
現実世界(物語世界)
米🔵エセックス級重空母 フランクリン 就役
266M 3.6300t 34nt 90機
38口径128mm×16
56口径40mm×68
78口径20mm×65
1943年(和昭18年)10月21日
初版世界 自由インド仮政府 英植民地支配からの解放独立の為
1943年(和昭18年)10月27日〜1945年9月3日
初版世界(史実近似世界)ブーゲンビル島戦 開始
- 10月27日 - ニュージーランド軍トレジェリー諸島上陸
- 11月1日 - アメリカ軍ブーゲンビル島タロキナ上陸
- 11月2日 ブーゲンビル島沖海戦(エンプレス・オーガスタ湾海戦)。
- 日本軍ろ号作戦を開始。
- 11月5日 連合軍空母機動部隊 大規模ラバウル空襲 日本軍も反撃し第一次ブーゲンビル島沖航空戦11月7日~11月9日 ブーゲンビル島で日本軍は第一次タロキナ攻撃及びタロキナ逆上陸作戦失敗
- 11月8日 第二次ブーゲンビル島沖航空戦-
- 11月11日 連合軍空母機動部隊二度目大規模ラバウル空襲-。日本軍反撃 第三次ブーゲンビル島沖航空戦
- 11月13日 第四次ブーゲンビル島沖航空戦 -
- 11月17日 第五次ブーゲンビル島沖航空戦-
- 11月24日 セントジョーンズ岬沖海戦-
- 11月29日 ナボイ戦 -
- 12月3日 第六次ブーゲンビル島沖航空戦
- 12月17日 アメリカ軍ブーゲンビル島タロキナ基地からラバウル空襲開始
- 1944年(昭和19年)
- 1月31日 - 日本軍、グリーン諸島(ブーゲンビル島の北西)連合国軍の上陸部隊撃退
- 2月15日 - 連合国軍グリーン諸島上陸
- 2月27日 - 連合国軍、グリーン諸島占領を完了
- 3月8日~3月25日 - ブーゲンビル島日本軍は第二次タロキナ攻撃失敗
- 6月8日~6月10日ポートン桟橋戦
- 8月15日 - 日本 連合国に降伏。戦闘停止
- 9月3日 - ブーゲンビル島日本軍武装解除後降伏
1943年(和昭18年)11月1日
初版世界 軍需省 設立
1943年(和昭18年)11月1日ー2日
初版世界 ブーゲンビル沖(ソロモン諸島)海戦
日軍 重巡妙高 重巡羽黒 軽巡長良 軽巡川内 軽巡阿賀野 駆逐艦10
日損耗 軽巡1沈没 駆逐艦1沈没 重巡1中破
米軍 重巡クリーヴランド 軽巡コロンビア 軽巡デンバー 軽巡モン トピリア駆逐艦8
米損失 駆逐艦1大破 駆逐艦1中破
11月1日
- 02:30:アメリカ海軍の第39任務部隊が、ブーゲンビル島のエンプレス・オーガスタ湾に到着し、上陸作戦を開始。
- 03:00:日本海軍の第8艦隊が、ブーゲンビル島の北方でアメリカ海軍の第39任務部隊を発見。
- 03:30:日本海軍の第8艦隊が、第39任務部隊に攻撃を開始。
- 04:00:アメリカ海軍の第39任務部隊が、反撃を開始。
- 04:30:日本海軍の重巡洋艦「妙高」が、魚雷の命中により大破。
- 05:00:日本海軍の軽巡洋艦「阿賀野」が、魚雷の命中により大破。
- 05:30:日本海軍の第8艦隊が、撤退を開始。
- 02:00:アメリカ海軍の第38任務部隊が、ブーゲンビル島の北方で日本海軍の第8艦隊を発見。
- 02:30:アメリカ海軍の第38任務部隊が、第8艦隊に攻撃を開始。
- 03:00:日本海軍の重巡洋艦「筑摩」が、魚雷の命中により大破。
- 03:30:日本海軍の重巡洋艦「鈴谷」が、魚雷の命中により大破。
- 04:00:日本海軍の第8艦隊が、撤退を開始。
- 05:00:アメリカ海軍の第38任務部隊が、追撃を中止。
1943年(和昭18年)11月3日
初版世界 第二次キエフ攻防戦
-
- 06:00:ソビエト軍の第1ウクライナ戦線、第3ウクライナ戦線、第2ウクライナ戦線が、ドイツ軍の南方軍集団に対して総攻撃を開始。
- 08:00:ソビエト軍の第3ウクライナ戦線が、ドイツ軍の第6軍を突破し、キエフの南方に進出。
- 10:00:ソビエト軍の第1ウクライナ戦線が、ドイツ軍の第4装甲軍を突破し、キエフの北方に進出。
- 12:00:ソビエト軍の第2ウクライナ戦線が、ドイツ軍の第8軍を突破し、キエフの東方に進出。
- 14:00:ソビエト軍の第1ウクライナ戦線が、キエフの北方でドイツ軍の第4装甲軍を包囲。
- 16:00:ソビエト軍の第3ウクライナ戦線が、キエフの南方でドイツ軍の第6軍を包囲。
- 18:00:ソビエト軍の第2ウクライナ戦線が、キエフの東方でドイツ軍の第8軍を包囲。
- 20:00:ドイツ軍の南方軍集団が、キエフから撤退を開始。
1943年(和昭18年)11月6日
初版世界 大東亜共同宣言 発せられる
1943年11月6日
初版世界 蘇蓮赤軍 キエフ奪還
1943年11月17日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 バターン 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1943年(和昭18年)11月21日
初版世界ギルバート諸島沖航空戦
日 航空機150 出撃 損耗航空機60
米 空母11 航空機660 出撃 損耗空母1損傷
1943年11月24日−25日
初版世界 セント・ジョージ岬沖海戦 米海軍勝利
日 駆逐艦8出撃 駆逐艦3沈没 米 駆逐艦5出撃 損耗0 11月25日
- 01:40:アメリカ海軍の第39任務部隊が、セントジョージ岬の北方で日本海軍の輸送船団を発見。
- 02:00:アメリカ海軍の第39任務部隊が、輸送船団に攻撃を開始。
- 02:10:日本海軍の駆逐艦「天霧」が、魚雷の命中により大破。
- 02:20:日本海軍の駆逐艦「夕凪」が、魚雷の命中により大破。
- 02:30:日本海軍の駆逐艦「天霧」が、沈没。
- 02:40:日本海軍の駆逐艦「夕凪」が、沈没。
- 02:50:日本海軍の輸送船「清澄丸」が、魚雷の命中により大破。
- 03:00:日本海軍の輸送船「清澄丸」が、沈没。
- 03:10:日本海軍の輸送船「清澄丸」に乗っていた将兵が、救助を求める。
- 03:20:アメリカ海軍の第39任務部隊が、救助作業を開始。
- 04:00:アメリカ海軍の第39任務部隊が、救助作業を中止し、撤退を開始。
1943年11月27日
初版世界 米・英・中国国明党 カイロ宣言
1943年11月28日
初版世界 テヘラン会談開催
米ルーザベルト大統領
英ヂャーヂル首相
蘇ズダーリン書記長
ソ連対日参戦要請など
トルコへの武器供与 決定
1943年12月15日
現実世界(物語世界)
米🔵軽巡改造インディペンデンス級中空母 サンジャシント 就役
190M 1,1000t 32nt 45機
37口径127mm両用砲×2
65口径40mm×26
76口径20mm機関砲×22
1944年(和昭19年)
1944年1月6日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 ハンコック 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1944年(和昭19年)1月24日ー2月16日
初版世界(史実近似世界) コルスン(ウクライナ)包囲戦
独軍 5,8000兵士 戦死1,9000
蘇軍 20,0000兵士 戦死2,4300
1944年1月14日
初版世界(史実近似世界)
蘇🔴 SU-85駆逐戦車 就役
54口径85mm砲 前面傾斜装甲45mm 30t 50km/h
1944年1月14日
初版世界(物語世界)
蘇🔴 T-34/85中戦車 就役 2,8260輌
54口径85mm砲 全面傾斜装甲45mm 32t 55km/h
量産は1944年3月
1944年1月17日ー5月18日
初版世界(史実近似世界) モンテ・カッシーノの戦い
独軍 8,0000兵士 戦死2,0000
蘇軍 24,0000兵士 戦死10,0000
1944年1月20日
初版世界(史実近似世界) レニングラード独軍から解放
1944年1月22日ー6月5日
初版世界(史実近似世界) アンツィオ(イタリア)の戦い.
英米軍勝利
独軍 15,5000兵士 戦死1,0000
米英軍18,5000兵士 戦死1,1200
1944年2月2日ー8月10日
初版世界(史実近似世界) ナルヴァの戦い
(ロシア)
独国防軍防衛成功
独軍 12,3500兵士 戦死 1,4000. 戦車32
蘇軍 20,0000兵士 戦死10,0000 戦車100
1944年(和昭19年)2月17日ー18日
初版世界 海軍丁事件 トラック島空襲 日本海軍本拠地撤退
日軍
巡洋艦3
駆逐艦8
航空機200機
損耗
巡洋艦3
駆逐艦4
輸送船5
小型艇3
商船32
航空機270
戦死 7600
米軍
空母9
戦艦・巡洋艦45
航空機589
損耗
空母小破1
戦死40
航空機25
1944年2月28日
初版世界(史実近似世界)
ドイツ軍が所有する、ノルウェーの重水炉が 爆撃などで破壊される、
1944年(和匠19年)2月29日ー5月31日
初版世界(史実近似世界) アドミラルティの戦い
米軍勝利
日軍 3800兵士 3280戦死
米軍 4,5000兵士 326戦死
1944年(和昭19年)3月8日
初版世界(史実近似世界) インパール作戦開始
同日
初版世界(史実近似世界) マルガレーテ作戦 ハンガリー ルーマニア 離反を恐れて、占領作戦
ハンガリー ルーマニアともに失敗
1944年3月15日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 レイクシャンプレイン 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1944年(和昭19年)3月20日ー27日
初版世界(史実近似世界) エミラウ島 無血占領
1944年3月25日−4月15日
初版世界(史実近似世界) カメネツ=ポドリスキー包囲戦 独軍撤退成功
独軍 22,0000兵士 1,4200戦死損失戦車43 突撃砲50
蘇軍 5,0000兵士 5,0000戦死 損失戦車突撃砲39
1944年3月30日
初版世界(史実近似世界) 英軍タングステン作戦開始
英空母ヴィクトリアス 英空母フェーリアス 英護衛空母4隻で 脅威であった、独戦艦ティルピッツへ攻撃 撃沈に至らず
1944年(和洋19年)3月31日
初版世界 海軍乙事件
連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の遭難、行方不明、殉職扱い事件。古賀大将に随伴した参謀長福留繁中将搭乗機(古賀大将搭乗機と別機体)不時着フィリピンゲリラの捕虜となった事件。この事件の際に福留中将が保持していた日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った。
1944年(和昭19年)4月〜1945年1月
初版世界(史実近似)
大陸打通作戦 開始
満州から仏領インシナへの陸路の開通
中国の各連合軍飛行場の占領
日軍
兵力 50,0000名
火砲 1500門
戦車 800輌
日軍損耗 9,5000
中国軍
兵力 100,0000名
火砲 6723門
航空機 190機
中軍損耗 100,0000
第四次長沙会戦
衡陽の戦い
桂林・柳州の戦い
南部粤漢線打通作戦と湘桂反転作戦(光号作戦) 4月下旬、日軍は、湖南省の長沙を占領する。中国軍は、長沙の防衛に失敗する。
・5月上旬、日軍は、湖南省の衡陽を占領する。中国軍は、衡陽の防衛に失敗する。
・5月中旬、日軍は、広西省の柳州を占領する。中国軍は、柳州の防衛に失敗する。
・6月上旬、日軍は、広西省の桂林を占領する。中国軍は、桂林の防衛に失敗する。
・6月中旬、日軍は、広西省の南寧を占領する。中国軍は、南寧の防衛に失敗する。
・7月上旬、日軍は、雲南省の昆明を攻撃する。中国軍は、昆明の防衛に成功する。
・8月上旬、日軍は、広西省の百色を占領する。中国軍は、百色の防衛に失敗する。
・9月上旬、日軍は、広西省の南寧からインドシナ半島に進出する。日軍は、インドシナ半島のハノイを占領する。
・10月上旬、日軍は、中国大陸打通作戦を終了する。日軍は、中国大陸を南北に分断し、連合軍の補給路を遮断することに成功する。
・この作戦は、日軍の勝利に終わるが、太平洋戦争の戦局に大きな影響を与えることはなかった。
初版世界ニューギニア島部ホーランジアの戦い
米軍4,0000 戦死159
日軍1,4600 戦死1,0000
・4月中旬、米軍は、ホーランジアの町を占領する。日本軍は、撤退を開始する。
・4月下旬、米軍は、ホーランジアの周辺地域を確保する。日本軍は、山岳地帯に撤退する。
・5月上旬、米軍は、ホーランジアから西進を開始する。日本軍は、山岳地帯で抵抗を続ける。
・5月中旬、米軍は、アイタペを占領する。日本軍は、さらに西に撤退する。
・5月下旬、米軍は、ワクデ島を占領する。日本軍は、ニューギニア島西部に撤退する。
・6月上旬、米軍は、ビアク島を占領する。日本軍は、ニューギニア島西部の山岳地帯に撤退する。
・6月中旬、米軍は、ノエムフォール島を占領する。日本軍は、ニューギニア島西部の山岳地帯で抵抗を続ける。
・6月下旬、米軍は、サルミを占領する。日本軍は、ニューギニア島西部の山岳地帯で孤立する。
・この戦いは、ニューギニア島の戦いの一部であり、連合軍の勝利は、太平洋戦争の戦局に大きな影響を与える。
1944年4月8日ー6月6日
初版世界(史実近似世界) 第一次ヤッシ=キシニョフ攻防戦
枢軸側勝利
独軍 30,0000兵士 4,5000戦死
蘇軍 83,0000兵士 15,0000戦死
1944年4月9日
初版世界(史実近似世界) 第一次トゥルグ・フルモス攻防戦 ルーマニア東部 蘇連側勝利
・1944年4月9日、ソビエト軍は、ルーマニア東部のトゥブルグ・フルモスに攻勢を開始する。ソビエト軍の第3ウクライナ戦線が、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線に攻撃を開始する。
・上陸直後、ソビエト軍は、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線を突破する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥブルグ・フルモスから撤退する。
・4月10日、ソビエト軍は、トゥブルグ・フルモスを占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥブルグ・フルモスから撤退する。
・4月11日、ソビエト軍は、トゥブルグ・フルモス周辺の地域を占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥブルグ・フルモス周辺の地域から撤退する。
・4月12日、ソビエト軍は、トゥブルグ・フルモス周辺の地域を完全に占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥブルグ・フルモス周辺の地域から撤退する。
・この戦いは、東部戦線の一部であり、ソビエト軍の勝利は、第二次世界大戦の戦局に大きな影響を与える。
1944年4月12日
初版世界(史実近似世界) ポドゥ・イロアイイェイの戦い
(ルーマニア東部)蘇連側勝利
独軍 2100戦死
蘇軍 2,5600戦死
・1944年4月12日、ソビエト軍は、ルーマニア東部のポドゥ・イロアイェイに攻勢を開始する。ソビエト軍の第3ウクライナ戦線が、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線に攻撃を開始する。
・上陸直後、ソビエト軍は、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線を突破する。ルーマニア軍とドイツ軍は、ポドゥ・イロアイェイから撤退する。
・4月13日、ソビエト軍は、ポドゥ・イロアイェイを占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、ポドゥ・イロアイェイから撤退する。
・4月14日、ソビエト軍は、ポドゥ・イロアイェイ周辺の地域を占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、ポドゥ・イロアイェイ周辺の地域から撤退する。
・4月15日、ソビエト軍は、ポドゥ・イロアイェイ周辺の地域を完全に占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、ポドゥ・イロアイェイ周辺の地域から撤退する。
・この戦いは、東部戦線の一部であり、ソビエト軍の勝利は、第二次世界大戦の戦局に大きな影響を与える。
1944年(和昭19年)4月17日ー1945年2月
初版世界
中国大陸打通作戦開始
- 1944年4月17日: 日本軍が作戦を開始
- 1944年5月18日: 日本軍が河南省の平漢線(北京-武漢鉄道)を切断
- 1944年5月27日: 日本軍が洛陽を占領
- 1944年6月: 日本軍が湖南省の長沙、衡陽に進攻
- 1944年8月8日: 日本軍が衡陽を占領(45日間の激戦の末)
- 1944年9月: 日本軍が広西省の桂林、柳州に進攻
- 1944年11月10日: 日本軍が桂林を占領
- 1944年11月24日: 日本軍が柳州を占領
- 1944年12月10日: 日本軍が広東省の梧州を占領
- 1944年12月18日: 日本軍が仏印ハノイと中国の南寧を結ぶ
- 1945年2月: 作戦の終了
1944年5月2日ー6日
初版世界
第二次トゥルグ・フルモス(ルーマニア東部)攻防戦
枢軸軍
蘇軍
・1944年5月2日、ソビエト軍は、ルーマニア東部のトゥルグ・フルモスに攻勢を開始する。ソビエト軍の第3ウクライナ戦線が、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線に攻撃を開始する。
・5月3日、ソビエト軍は、ルーマニア軍とドイツ軍の防衛線を突破する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥルグ・フルモスから撤退する。
・5月4日、ソビエト軍は、トゥルグ・フルモスを占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥルグ・フルモスから撤退する。
・5月5日、ソビエト軍は、トゥルグ・フルモス周辺の地域を占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥルグ・フルモス周辺の地域から撤退する。
・5月6日、ソビエト軍は、トゥルグ・フルモス周辺の地域を完全に占領する。ルーマニア軍とドイツ軍は、トゥルグ・フルモス周辺の地域から撤退する。
1944年5月9日
初版世界 セヴァストポリ(ウクライナクリミア半島)の枢軸軍降伏
1944年5月17日
初版世界 ズダーリン書記長 クリミア・タタール人追放
1844年(和昭19年)5月18日
中国大陸打通作戦 河南省の平漢線(北京-武漢鉄道)を切断
1944年(和昭19年)5月18日
初版世界 米軍 ワクデ島(インドネシア)上陸
1944年(和昭19年)5月27日
中国大陸打通作戦
日本軍が洛陽を占領
1944年(和昭19年)5月27日ー8月20日
初版世界 ビアク島の戦い 米軍勝利
日軍 1,4500兵士 1,0000戦死
米軍 3,0000兵士 471戦死
- ・1944年5月27日:連合国軍(アメリカ軍とオーストラリア軍)がビアク島に上陸し、戦いが始まる。
・5月28日:連合国軍がビアク島の西海岸に橋頭堡を確立し、内陸部に進出を開始する。
・5月29日:日本軍が反撃を開始し、連合国軍の進出を阻止する。
・5月30日:連合国軍が日本軍の反撃を撃退し、内陸部に進出を続ける。
・6月1日:連合国軍がビアク島の主要な飛行場を占領する。
・6月2日:日本軍が飛行場を奪回するために反撃を開始する。
・6月3日:連合国軍が日本軍の反撃を撃退し、飛行場を確保する。
・6月4日:連合国軍がビアク島の東海岸に上陸し、島の南部を占領する。
・6月5日:日本軍が連合国軍の東海岸上陸部を攻撃する。
・6月6日:連合国軍が日本軍の攻撃を撃退し、東海岸上陸部を確保する。
・6月7日:連合国軍がビアク島の南部を占領し、島の北部に進出を開始する。
・6月8日:日本軍が連合国軍の北部進出を阻止するために反撃を開始する。
・6月9日:連合国軍が日本軍の反撃を撃退し、北部に進出を続ける。
・6月10日:連合国軍がビアク島の主要な高地を占領する。
・6月11日:日本軍が高地を奪回するために反撃を開始する。
・6月12日:連合国軍が日本軍の反撃を撃退し、高地を確保する。
・6月13日:連合国軍がビアク島の北部を占領し、島の東西を結ぶ道路を確保する。
・6月14日:日本軍が連合国軍の東西道路を攻撃する。
・6月15日:連合国軍が日本軍の攻撃を撃退し、東西道路を確保する。
・6月16日:連合国軍がビアク島の西海岸に上陸し、島の南西部を占領する。
・6月17日:日本軍が連合国軍の南西部上陸部を攻撃する。
・6月18日:連合国軍が日本軍の攻撃を撃退し、南西部上陸部を確保する - 。
- この間徐に連合軍が占領地域を広めてゆく
- 。
・8月18日:連合国軍がビアク島の北西部を占領し、島の北部に進出を開始する。
・8月19日:日本軍が連合国軍の北部進出を阻止するために反撃を開始する。
・8月20日:連合国軍が日本軍の反撃を撃退し、ビアク島を完全に占領する。
1944年6月3日
初版世界 フランス共和国臨時政府 設立
1944年6月4日
初版世界 米英軍が ローマ入場
・1944年5月11日:連合国軍がイタリア戦線で攻勢を開始し、ドイツ軍のゴシック・ラインを突破する。
・5月13日:連合国軍がカッシーノを占領し、ローマへの道が開ける。
・5月23日:連合国軍がアンジオの橋頭堡を拡大し、ローマへの進出を開始する。
・5月25日:連合国軍がバルバラ・ラインを突破し、ローマに接近する。
・5月30日:連合国軍がローマの北方に到達し、ドイツ軍がローマから撤退を開始する。
・6月2日:ドイツ軍がローマから完全に撤退し、連合国軍がローマに接近する。
・6月4日:米英軍がローマに入場し、市内を占領する。
・6月5日:連合国軍がローマの占領を宣言し、市内をパレードする。
・6月6日:連合国軍がノルマンディー上陸作戦を開始し、イタリア戦線の戦いが一時的に停滞する。
・6月10日:連合国軍がローマから北上を開始し、ドイツ軍を追撃する。
・6月12日:連合国軍がフィレンツェに到達し、ドイツ軍を追い詰める。
・6月15日:連合国軍がボローニャに到達し、ドイツ軍の防衛線を突破する。
・6月20日:連合国軍がポー平原に到達し、ドイツ軍を追い詰める。
・6月25日:連合国軍がジェノヴァに到達し、イタリア戦線の戦いが一時的に停滞する。
1944年(和昭19年)6月1日
中国大陸打通作戦
日本軍が湖南省の長沙、衡陽に進攻
1944年6月5日
初版世界 連合軍 ノルマンディー作戦直前の空挺作戦 トンガ作戦開始
1944年6月6日
初版世界 連合軍 ノルマンディー作戦直前の空挺作戦
シカゴ作戦 デトロイト作戦 開始
・1944年6月5日22時:連合国軍の空挺部隊がイギリスを出発し、ノルマンディー上空へ向かう。
- ・6月5日23時:連合国軍の空挺部隊がノルマンディー上空に到達し、降下を開始する。
・6月6日0時:米第82空挺師団がサン=ロー近郊に降下し、ドイツ軍の通信線を切断する。
・6月6日0時15分:米第101空挺師団がカランタン近郊に降下し、ドイツ軍の砲兵陣地を攻撃する。
・6月6日0時30分:英第6空挺師団がオルヌ川東岸に降下し、ドイツ軍の橋を占領する。
・6月6日1時:米第82空挺師団がサン=サヴォー=ル=ヴィコントに降下し、ドイツ軍の砲兵陣地を攻撃する。
・6月6日1時30分:米第101空挺師団がカランタンに降下し、ドイツ軍の守備隊を攻撃する。
・6月6日2時:英第6空挺師団がオルヌ川西岸に降下し、ドイツ軍の橋を占領する。
・6月6日2時30分:米第82空挺師団がサン=マルタン=ド=ヴァルガモンに降下し、ドイツ軍の守備隊を攻撃する。
・6月6日3時:米第101空挺師団がサン=コーム=ド=モンに降下し、ドイツ軍の守備隊を攻撃する。
・6月6日3時30分:英第6空挺師団がムーヴィルに降下し、ドイツ軍の守備隊を攻撃する。
・6月6日4時:連合国軍の空挺部隊がノルマンディー上空から撤退し、イギリスへ帰還する。
・6月6日6時30分:連合国軍の上陸部隊がノルマンディー上陸を開始し、ドイツ軍と交戦する。
1944年6月6日
初版世界 ノルマンディ上陸作戦 開始
独軍 38,0000兵士 4500戦死
戦車1500. 2400
火砲2000 1200
戦闘機 850 400
爆撃機 400. 200
連合軍 133,2000兵士 1,1000戦死
戦車3700. 800
火砲5000. 300
戦闘機 1,3600. 200
爆撃機 2400 100
・1944年6月6日未明:連合軍の空挺部隊がノルマンディー上空に到着し、降下を開始。米軍の第82空挺師団と第101空挺師団がユタ・ビーチの後方に降下し、英軍の第6空挺師団がソード・ビーチの後方に降下。
・01:00:連合軍の艦隊がノルマンディー海岸に到着し、上陸作戦の準備を開始。
・02:00:米軍の第4歩兵師団がユタ・ビーチに上陸を開始。
・03:00:英軍の第50歩兵師団がゴールド・ビーチに上陸を開始。
・04:00:米軍の第1歩兵師団がオマハ・ビーチに上陸を開始。
・05:00:英軍の第3歩兵師団がソード・ビーチに上陸を開始。
・06:00:カナダ軍の第3歩兵師団がジュノー・ビーチに上陸を開始。
・07:00:上陸作戦が本格化し、連合軍がノルマンディー海岸に橋頭堡を確立。
・08:00:ドイツ軍が反撃を開始し、激しい戦闘が展開。
・12:00:連合軍がノルマンディー海岸の主要な目標を占領し、上陸作戦の第一段階を完了。
・18:00:連合軍がノルマンディー海岸に橋頭堡を拡大し、ドイツ軍の反撃を撃退。
・20:00:上陸作戦が終了し、連合軍がノルマンディー海岸に確固たる足場を確立。
1944年6月6日
初版世界 シェルブールの戦い 連合軍勝利
独軍 4,0000兵士7000戦死
連合軍10,0000兵士 850戦死
1944年6月9日
初版世界 継続戦争 蘇軍攻勢 (ヴィボルグ=ペトロザヴォークス攻勢)
1944年6月13日
初版世界 ヴェルレ・ボカージュの戦い 独軍勝利
独軍 装甲車両200. 損耗60
英軍 戦車25. 損耗11
1944年6月14日
初版世界 クーテルセルカの戦い フィンランド軍敗走
(ヴァンメルスー・タイペレ線を巡り 蘇軍とフィンランド軍が衝突)
フィンランド軍 8000兵士
蘇軍 9,7000兵士 戦車280
1944年(和昭19年)6月15日
初版世界 米軍サイパン島上陸
日軍 3,1629兵士 2,3811戦死
米軍 12,7000兵士 3551戦死
-
・1944年6月11日:米軍の第5艦隊がサイパン島に到着し、艦砲射撃を開始。
・1944年6月13日:米軍の第2海兵師団がサイパン島の西海岸に上陸を開始。
・1944年6月14日:米軍の第4海兵師団がサイパン島の西海岸に上陸を開始。
・1944年6月15日:米軍がサイパン島の西海岸に橋頭堡を確立し、内陸部に進撃を開始。
・1944年6月16日:米軍がサイパン島の南部に進撃し、飛行場を占領。
・1944年6月17日:米軍がサイパン島の北部に進撃し、ドイツ軍の反撃を撃退。
・1944年6月22日:米軍がサイパン島の北部に進撃し、ドイツ軍の主力部隊を包囲。
・1944年6月29日:米軍がサイパン島の北部に進撃し、ドイツ軍の最後の抵抗を破る。
・1944年7月7日:サイパン島の戦いが終了し、米軍がサイパン島を占領。日本軍の総督、南雲忠一中将が自決。
1944年(和昭19年)6月19日
初版世界 マリアナ沖海戦 米軍勝利
日軍 空母9 戦艦5 重巡11 軽巡2 駆逐艦2
重空大鳳 戦22攻12爆12 偵 2 計48
重空翔鶴 戦36攻12爆24 偵 6 計72
重空瑞鶴 戦36攻12爆24偵 6 計72
中空隼鷹 戦22攻12爆12 偵 6 計52
中空飛鷹 戦22攻12爆12 偵 6. 計52
軽空龍鳳 戦24攻12爆 0 偵 6 計42
軽空瑞鳳 戦14攻 7爆23 偵 0. 計44
軽空千歳 戦14攻 7爆29 偵 0 計50
軽空千代田 戦14攻 7爆29 偵 0 計50
204 93. 165. 32. 総合計494機
基地航空機戦闘機160. 爆撃機190機 計350機
(あ号作戦で当初配備基地航空機 作戦漏洩の為、マリアナ沖海戦以前に壊滅状態)
戦闘364 攻撃355 偵察32 合計844機
戦艦大和 戦艦武蔵 戦艦長門 戦艦金剛 戦艦榛名
重巡妙高 重巡羽黒 重巡最上 重巡愛宕 重巡高雄 重巡鳥海 重巡摩耶
重巡熊野 重巡鈴谷 重巡利根 重巡筑摩
軽巡矢矧 軽巡能代
損耗 空母3轟沈 潜水艦20轟沈 艦載機395 基地航空機81
米軍 空母15 戦艦7 重巡8 軽巡12 駆逐艦67
空母エンタープライズ 戦36攻36偵6
空母
ホーネットⅡ 戦36攻42偵6 計84
重空ヨークタウンⅡ 戦36攻42偵6 計84
重空バンカーヒル 戦36攻42偵6 計84
重空ワスプⅡ 戦36攻42偵6 計84
重空レキシントンⅡ 戦36攻42偵6 計84
重空エセックス 戦36攻42偵6 計84
252 288. 42. 計582機
中空ベローウッド 戦27攻16偵0. 計43
中空バターン 戦27攻12偵0 計39
中空モントレ 戦28攻16偵0 計44
中空ガボット. 戦26攻16偵4 計46
中空プリンストン 戦23攻23偵4. 計50
中空サンジェット 戦27攻16偵0 計43
中空カウペンス 戦25攻18偵2 計45
中空ラングレ. 戦24攻16偵0
207. 130 0. 10 計347機
護空ファンショー・ベイ 戦14 攻14
護空ホワイトブレーンズ 戦14 攻14
護空カリニン・ベイ 戦14 攻14 合計 84機
(第52任務部隊に所属し、空母機動部隊の護衛や対潜哨戒、地上攻撃などに参加)
戦闘501 攻撃460 偵察52 航空機合計1013機
戦艦ワシントン 戦艦アイオワ 戦艦ニュージャージー 戦艦サウスダコタ
戦艦インディアナ 戦艦アラバマ 戦艦ノースカロライナ
重巡ボストン 重巡キャンベラ 重巡ボルチモア 重巡インディアナポリス
重巡ニューオリンズ 重巡ミネアボリス 重巡サンフランススコ 重巡ウィッチタ
軽巡オークランド 軽巡サンファン 軽巡サンタフェ 軽巡モービル
軽巡サンジェット 軽巡タラハシー 軽巡バーミンガム 軽巡クリーヴランド
軽巡レノ 軽巡ビンセンス 軽巡マイアミ
損耗 空母2小破 戦艦2小破 重巡2小破 航空機130損失
6月19日(第一日目)
- 午前05:30:小沢艦隊が米機動部隊を発見
- 午前08:30:米艦載機による第一波攻撃開始
- 午前10:20:日本軍の第一次攻撃隊が発進(約69機)
- 午前10:23:米軍の第二波攻撃開始
- 午後14:30:日本軍の第二次攻撃隊発進(約128機)
- 午後15:30:米軍の第三波攻撃開始
- 米側:
- 艦船被害なし
- 航空機約27機損失
- 日本側:
- 空母「翔鶴」轟沈
- 空母「大鳳」轟沈
- 空母「飛鷹」大破
- 艦載機約150機損失
- 午前09:00:米軍が追撃開始
- 午前11:00:日本軍、残存機による反撃
- 日本側:
- 空母「飛鷹」轟沈
- 空母「瑞鳳」に被害
- さらに約50機の航空機損失
- 約400機の日本軍機が迎撃
- 米軍F6Fグラマンによって約300機が撃墜
- 日本海軍の航空戦力に壊滅的打撃
- 空母3隻撃沈
- 艦載機約400機損失
- 熟練パイロットの大半を喪失
- 艦船被害なし
- 航空機約130機損失
- 人的被害は比較的軽微
- 日本海軍の機動部隊が実質的に壊滅
- マリアナ諸島の防衛が困難に
- 日本本土への爆撃が容易になる
- 制空権が完全に米軍側に
- 史上最大規模の空母戦
- 日本海軍の航空戦力が実質的に崩壊
- 「大東亜戦争」における決定的転換点
- 近代空母戦における射程と索敵能力の重要性を示した
- レーダーの優劣が戦闘の帰趨を決定づけた
1944年6月22日ー8月19日
初版世界 バグラチオン作戦 蘇軍勝利
独軍 85,0000兵士 戦車533 航空機839 火砲9500
損耗 29,0000戦死
蘇軍 125,0000兵士 戦車4070 航空機5372 火砲24363
損耗 17,8507戦死
1944年7月4日から10日のバグラチオン作戦の詳細を説明:
- 背景
- この期間は作戦の最も重要な段階の一つ
- ソ連軍が攻勢を継続し、ドイツ軍の防衛線を突破
- 7月4日
- 第1ベラルーシ方面軍と第2ベラルーシ方面軍が攻撃を継続
- ミンスク周辺の包囲網を狭める作戦を展開
- 7月5日
- ミンスク郊外での包囲戦が激化
- ドイツ軍の退路が徐々に閉ざされる
- ソ連軍が戦略的に有利な位置を確保
- 7月6日
- ミンスク解放が近づく
- 第3白ロシア方面軍が北部から攻撃を強化
- ドイツ軍の防衛線に大きな亀裂が生じる
- 7月7日
- ミンスクが完全に解放される
- 大規模なドイツ軍部隊が包囲され、多数の捕虜が発生
- ソ連軍の戦略的勝利が明確に
- 7月8-9日
- ソ連軍が rapidに前進
- ベラルーシの大部分を解放
- ドイツ軍の撤退路が著しく制限される
- 7月10日
- 作戦の戦略的目標がほぼ達成される
- ドイツ軍中央集団軍に壊滅的な打撃
- ソ連軍の戦略的優位性が決定的となる
- 作戦開始前の状況
- ドイツ軍はソ連中央部の前線に約130万人の兵力を配置
- ベラルーシ地域を防衛し、モスクワへの攻撃を阻止する戦略を採用
- ソ連軍は作戦の準備を綿密に進め、兵力と装備で優位に立っていた
- 6月22日(作戦開始)
- 第1ベラルーシ方面軍と第2ベラルーシ方面軍が攻撃を開始
- 中央集団軍群を急速に南西方向に突破
- ドイツ軍の防衛線に大きな亀裂を入れる
- 6月下旬
- ソ連軍が迅速に前進し、ドイツ軍の防衛陣形を崩壊させる
- 多数のドイツ軍部隊を包囲し、大規模な捕虜を発生させる
- 7月上旬
- ミンスクを解放
- ドイツ中央集団軍の大部分を包囲し、壊滅的な打撃を与える
- 7月中旬〜下旬
- ソ連軍がポーランド国境に接近
- ドイツ軍は壊滅的な損失を被り、戦線の再編を余儀なくされる
- 作戦の最終段階(8月)
- ポーランドの大部分を解放
- ドイツ軍に対して決定的な打撃を与える
- ドイツ軍の東部戦線における防衛能力を著しく低下させる
1944年6月25日
初版世界 タリ=イハンタラの戦い(カレリア)
フィンランド軍防衛成功
フィンランド軍 5,0000兵士 2200戦死
蘇軍 15,0000兵士 5500戦死
1944年(和昭19年)6月30日
初版世界 学童疎開促進要綱 発布
1944年(和昭19年)7月4日
初版世界 日軍 インパール作戦 中止
1944年7月4日ー10日
初版世界 蘇軍 ヴィープリ湾上陸作戦
フィンランド軍独軍の勝利
- 作戦の背景
- 第二次世界大戦中、フィンランド湾における戦略的作戦
- ソ連軍がフィンランドから撤退を迫るための重要な作戦
- レニングラード(現サンクトペテルブルク)方面軍が主導
- 作戦準備(6月上旬)
- 徹底的な情報収集と偵察活動
- 海上および空中からの包括的な攻撃計画を策定
- 海軍、陸軍、空軍の緊密な協力体制を構築
- 6月10日(作戦開始)
- 大規模な艦砲射撃による上陸地点の制圧
- 空軍による集中的な爆撃
- 上陸部隊の最初の波が海岸に到達
- フィンランド軍の防衛線に最初の突破口を開く
- 6月11日
- 上陸部隊が内陸部へ前進
- フィンランド軍の抵抗を排除
- 戦略的に重要な地点の確保
- 海上および陸上からの継続的な攻撃
- 6月12日
- 上陸地域の拡大
- フィンランド軍の防衛線が完全に崩壊
- ソ連軍が迅速に前進
- 地域の戦略的支配を確立
- 6月13日(作戦終了)
- 上陸作戦の主要目標を達成
- フィンランド軍の撤退を強制
- ソ連軍が地域を完全に掌握
- 今後のフィンランドとの戦略的交渉の地歩を築く
- ソ連軍が戦略的に重要な地域を獲得
- フィンランドに対する軍事的圧力を強化
1944年(和昭19年)7月7日
初版世界 サイパン日軍守備隊 玉砕
日軍 3,5000兵士 2,3000戦死
米軍 7,1000兵士 戦車120. 損耗 3551戦死 戦車50
1944年(和昭19年)7月10日ー8月9日
初版世界 アイタベの戦い 米軍勝利
日軍 3500兵士 1,300戦死
米軍1,0000兵士 450戦死 戦車120. 戦車損耗20
1944年7月13日ー29日
初版世界 蘇軍 リヴォル=サンドミール作戦 蘇軍勝利
独軍 90,0000兵士 装甲車両900 火砲6300
損耗 22,4000戦死 戦車1269. 航空機289
蘇軍120,0000兵士 装甲車両1979 火砲1,1265
損耗 6,5001戦死 装甲車両1269 航空機289
1944年7月20日
初版世界 独唱甲羅によるビドラー暗殺未遂事件 クーデター発生
1944年(和昭19年)7月24日
初版世界 米軍 テニアン(北マリアナ諸島) 上陸
1944年7月26日ー8月13日
初版世界 イロマンツィの戦い フィンランド軍防衛成功
フィンランド軍 1,4500兵士 400戦死
蘇軍 3,6000兵士 3200戦死
1944年7月26日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 アンティータム 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1944年7月30日ー8月31日
初版世界 サンサポールの戦い
米軍勝利ニューギニア島北海岸主要航空用地確保
日軍 380戦死
米軍 43戦死
1944年(和昭19年)8月3日
初版世界 テニアン守備隊 玉砕
1944年8月7日ー13日
初版世界 独軍 リュティヒ作戦開始 英米軍決定的勝利
独軍 10,0000兵士 戦車300 損耗 3000戦死 戦車150
米英軍 15,0000兵士 戦車700 損耗 2000戦死 戦車250
1944年(和昭19年)8月8日
中国大陸打通作戦
日本軍が衡陽を占領(45日間の激戦の末)
1944年(和昭19年)8月10日
初版世界 グアムの日本守備隊が玉砕
1944年8月10日
初版世界(史実近似) トルコ、ドイツとクローム問題で対立。
1944年(和昭19年)8月19日
初版世界 パリ内のレジスタンス蜂起
1944年8月20日
初版世界 蘇軍 独軍ルーマニア軍に対して
第二次ヤッシー=キシニョフ攻防戦
蘇軍勝利
枢軸軍 172,4000兵士 戦車170 航空機800
損耗 15,0000戦死 戦車100 航空機270
蘇軍 134,1000兵士 戦車1874 航空950
損耗 1,3197戦死 戦車 400. 航空機350
1944年(和昭19年)8月22日
初版世界 日 対馬丸 沈没
1944年8月23日
初版世界 ルーマニア王国 蘇連と休戦協定
1944年8月25日
初版世界 連合軍 パリ入場
1944年8月31日
初版世界 蘇軍ブカレストに入る
1944年(和昭19年)9月1日
中国大陸打通作戦
日本軍が広西省桂林・柳州 侵攻
1944年9月2日
初版世界 ビドラー総統 ギリシア放棄命令
1944年9月3日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 ヴァージン 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1944年9月9日
初版世界 独 ハウデーデン作戦開始
(バウクーデン観測所を設置)
1944年9月10日
初版世界 連合軍が 独軍ル・アーヴル港の奪還作戦開始
1944年9月12日
初版世界 カナダのケベックで第二回ケベック会議
カナダ首相 ヂャーヂル英首相 ルーザベルト米大統領 会談
1944年9月14日
初版世界 蘇軍 リガ攻略作戦開始 バルト海攻勢
1944年(和昭19年)9月15日
初版世界 モロタイ島の戦い
日軍 2500兵士 損耗350戦死
米軍 5,7000兵士 損耗 30戦死
1944年9月15日
初版世界(史実近似世界)
英🟤ファイアフライ中戦車 就役
55口径76mm砲 装甲51mm 33t 40km
1944年9月17日
初版世界 蘇軍 タリン攻略作戦開始
1944年9月17日
初版世界 連合軍 マーケット・ガーデン作戦 開始
1944年9月18日ー11月15日
初版世界 メスの戦い 連合軍勝利
1944年9月19日
初版世界 フィンランドが蘇軍と休戦協定
(モスクワ休戦協定締結)
1944年9月19日ー1945年2月10日
初版世界 ヒュルトゲン(ベルギー国境)の森の戦い
独軍戦術的勝利
独軍 8,0000兵士 損耗 2,8000戦死
米軍 12,0000兵士 損耗 3,3000戦死
1944年10月1日ー22日
初版世界 アーヘン(ドイツ)の戦い 米軍勝利
独軍 1,2000兵士 5000戦死
米軍 10,0000兵士 2000戦死
1944年10月1日
初版世界(史実近似世界)
蘇🔴 IS-2重戦車 就役 3849輌
43口径122mm砲 装甲120mm 46t 50km/h
1944年10月1日
初版世界 ラップランド戦争(ドイツ軍フィンランドからの撤退)
独軍 21,4000兵士 損耗 1000戦死
蘇軍 7,5000兵士 損耗 774戦死
1944年10月2日ー11月8日
初版世界 スヘルデ(ベルギー北部)の戦い
1944年10月5日ー29日
初版世界 デブレツェンの戦い(ハンガリー)両軍決定打なし
独軍 8,0000兵士 損耗 1,1900戦死 戦車358 火砲310
蘇軍 26,0000兵士 損耗 1,9713戦死 戦車500 火砲1656
1944年(和昭19年)10月10日
初版世界 米軍 那覇空襲
1944年10月11日
初版世界 蘇軍 東プロイセン毒国境 突破
1944年(和昭19年)10月12日
初版世界 台湾沖航空戦
日軍 戦闘機650 爆撃機230 攻撃機130 偵察機40 計1050機
損耗320機
米軍 重空母 戦闘機 攻撃機 偵察機 計
エンタープライズ 40. 30. 10. 80
ホーネットⅡ. 40. 40. 10. 90
レキシントンⅡ. 40. 40. 10. 90
ヨークタウンⅡ. 40. 40. 10. 90
ワスプⅡ. 40. 40. 10. 90
中空母. 戦闘機 攻撃機 偵察機 計
インディペンデンス 20. 20. 10. 50
サンジャシント. 20. 20. 10. 50
ベローウッズ 20. 20. 10. 50
カウペンス. 20. 20. 10. 50
総合計 640機 損耗89機
戦艦
ニューメキシコ
アイオワ
ミシシッピ
アラバマ
サウスダコタ
インディアナ
重巡洋艦
サンフランシスコ
ボルチモア
ピッツバーグ
プロビデンス
ミネアポリス
クインシー
セントルイス
モビル
駆逐艦58
潜水艦21
艦艇損耗 重巡2大破
- 午前05:30:米機動部隊が台湾東方海上に到達
- 午前07:00:第一波攻撃隊発進(約200機)
- 攻撃目標:台湾の飛行場、軍事施設
- 日本側:約200機で迎撃
- 戦果:
- 日本側:約100機損失
- 米側:約40機損失
- 午前06:00:米軍第二波攻撃開始
- 攻撃目標:高雄、台南の軍事施設
- 日本側:約150機で迎撃
- 戦果:
- 日本側:約80機損失
- 米側:約30機損失
- 午前:米軍による台湾北部への攻撃
- 日本側の誤報:
- 米空母4隻撃沈の虚報
- 米空母4隻に損害との誤報
- 小沢艦隊が出撃準備
- 栗田艦隊も北上開始
- 米軍:攻撃継続
- 日本側:さらに約70機損失
- 米軍:作戦終了、離脱
- 日本側:虚報に基づく作戦続行を決定
- 地上施設に大きな被害
- 熟練パイロット多数喪失
- 航空機約90機
- 艦船被害なし
- 台湾の防空能力が著しく低下
- 日本軍の誤報によりレイテ沖海戦の作戦立案に悪影響
- 日本海軍航空隊の戦力が決定的に減少
- フィリピン作戦における米軍の優位が確定
- 大規模な航空戦
- 日本側の情報収集・分析の致命的な欠陥が露呈
- 「台湾沖海戦勝利の虚報」が後の作戦に重大な影響
- レイテ沖海戦の前哨戦としての性格
1944年10月12日
初版世界 ロヴァニエミの戦い フィンランド勝利
独軍 500兵士 戦車3 損耗 52戦死 戦車1
フィンランド軍 1500兵士 戦車20 損耗 36戦死
1944年10月16日
初版世界 第一次東プロイセン攻勢 開始
1944年(和昭19年)10月18日
初版世界 日 捷一号作戦 開始
米軍がフィリピンに上陸侵攻した場合 基地航空部隊と水上艦隊が結集して 敵を撃滅する作戦レイテ沖海戦が行われた
日軍 6,0000戦死 300隻艦艇喪失
米軍 1,6000戦死 60隻艦艇喪失
1944年(和昭19年)10月20日−25日
初版世界 レイテ島沖海戦
日軍 戦艦 大和 武蔵 長門 金剛 榛名 山城 扶桑 伊勢 日向
空母 瑞鶴. 戦36攻12爆12偵12 計72機
瑞鳳 戦14攻 7爆12偵 8. 計42機
軽空. 千歳 戦14攻 7爆14偵 6 計41機
千代田 戦14攻 7爆14偵 6 計41機
艦載機計196機
台湾基地 戦403 攻196 偵87 計686機
フィリピン基地 戦277 攻163 偵55 計495機
日航空機総計1377機
重巡 愛宕 高雄 摩耶 鳥海 妙高 羽黒 鈴谷 熊野 利根
筑摩 最上 青葉
軽巡 能代 矢矧 多摩 五十鈴 大淀 阿武隈 鬼怒
駆逐艦34.
損失 沈没 戦艦 武蔵 扶桑 山城 金剛
空母 瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田
重巡 愛宕 摩耶 鳥海 最上 鈴谷 筑摩
軽巡 能代 多摩 阿武隈 鬼怒
7475戦死
米軍 戦艦 アイオワ ミズーリ ウィスコンシン ニュージャージー
マサチューセッツ サウスダコタ インディアナ ワシントン
ノースカロライナ アラバマ テキサス ウェストバージニア
重空母 搭載機数 戦闘機36 攻撃機36 偵察機18 計90 総合計890機
(エンタープライズのみ 戦闘機32 攻撃機32 偵察機16 計80)
エンタープライズ エセックス レキシントンⅡ フランクリン
タイコンデロガ ランドルフ ワスプⅡ ホーネットⅡ ヨークタウンⅡ
ハンコック
中空母. 搭載機数 戦闘機20 攻撃機20 偵察機10. 計 50 総合計450機
ベローウッド インディペンデンス プリンストン ガボット
サンガモン サンジャシント カウペンス モンテレ ラングレ
護衛空母 搭載機数 戦闘機10 攻撃機10 偵察機5 計25 総合計機700機
チェナンゴ セントロー ガンブアベイ ベイホワイト
ブレインズ サンティ スワニ シェナンゴ サギノーベイ
ペトロフベイ ナマトベイ マニラベイ サボアイランド
マーカスアイランド オマニーベイ カダシャンベイ
ファンショー・ベイ カリニンベイ キトカン・ベイ
サンガモン サンティ スワニ シェナンゴ ペトロフ
サミュエルロバーツ デニス ジョンバトラー レイモンド
ホワイトブレインズ ヒーアマン ジョンストン ホーエル
米航空機総計2040機
重巡 チェスター ソルトレイクシティ ペンサコラ ウィチタ
ボストン ニューオリンズ ルイビル ポートランド
コロンビア デンバー ミネアポリス オーストラリア(豪)
シュロップシャー(豪)
軽巡 ボイシ フェニックス デンバー コロンビア ナッシュビル
ヴィンセンス マイアミ ビロクシ サンタフェ モービル
バーミングハム サンディエゴ オークランド リノ ホノルル
駆逐艦 141 隻
損失 撃沈 中空母プリンストン
撃沈 護衛空母セント・ロー 撃沈 護衛空母ガンビア・ベイ
撃沈 駆逐艦2 撃沈 護衛駆逐艦2 撃沈 潜水艦1
2803戦死
レイテ沖航空機 日1377機損耗455機 米2040機損耗141機
1944年(和昭19年)10月25日
初版世界 神風 特別攻撃隊 初戦果
1944年10月29日
初版世界 英空母航空機 独戦艦ティルピッツ を攻撃 小破に止まる
1944年10月29日
初版世界 蘇 ブダペスト攻勢
1944年1031日
初版世界 英 ワルヘレン島の戦い
1944年11月1日
初版世界 英 インファチュエイト作戦
1944年(和昭19年)11月3日
初版世界 日 風船爆弾 使用開始
1944年(和昭19年)11月10日
中国大陸打通作戦
日本軍 桂林占領
1944年(和昭19年)11月24日
中国大陸打通作戦
日本軍 柳州占領
1944年11月25日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 ラインドロフ 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1940年(和昭19年)12月10日
中国大陸打通作戦
日本軍広東省梧州占領
1944年12月15日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母ヌニバク就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1944年12月16日
初版世界 独 西部戦線に於いて 最後の大反撃 ラインの守り作戦開始
1944年12月16日
初版世界 グライフ作戦 バルジの戦い中 独軍武装親衛隊コマンド部隊の偽旗作戦
1944年12月17日
初版世界 独 シュテッハー作戦開始
1944年(和昭19年)12月18日
中国大陸打通作戦
日本軍が仏印領ハノイと中国南寧 結合
1944年12月18日
初版世界 バストーニュの戦い 米軍勝利
独軍 6500兵士 戦車500 損耗 2300戦死 戦車210
米軍 1,1800兵士 戦車1000 損耗 3500戦死 戦車600
1944年12月29日
初版世界 ブダペルト包囲線 蘇軍勝利
独軍 18,0000兵士 戦死7,9000
蘇軍 50,0000兵士 戦死8,1000
1944年(和昭19年)10月ー1945年8月
初版世界 フィリピン航空戦 日損耗 2387機 米損耗 510機
1944年12月1日
初版世界(史実近似世界)
米🔵M26パーシング重戦車 就役 2105輛
50口径90mm砲 装甲102mm 42t 40km/h
1945年(和昭20年)
1945年1月1日
初版世界 独 第一次コンラート作戦 開始
独軍ハンガリー軍が行った ブダペスト包囲線で 孤立した軍隊の救出
1945年1月2日
初版世界 連合軍 ニュルンベルク空襲
1945年(和昭20年)1月6日
初版世界 米軍 リンガエン湾上陸 ルソン島攻略の為
1945年1月7日
初版世界 独 第二次コンラート作戦 開始
1945年(和昭20年)1月9日
初版世界 ルソン島上陸
1945年1月12日ー2月2日
初版世界 ヴィスワ=オーデル作戦 蘇連赤軍勝利
独軍 45,0000兵士戦車1150.火砲4100 損耗 9,0000戦死 戦車900 火砲1600
蘇軍 220,3000兵士戦車4500 火砲1,3700 損耗18,0000戦死戦車1600火砲2000
1945年1月13日
初版世界 蘇軍 第二次東プロイセン攻勢開始
1945年1月13日
初版世界 独 ハンニバル作戦 開始
東プロイセンから民間人を船舶によって救い出す作戦
1945年1月13日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 タイコンデロガ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年1月17日
初版世界 第三次コンラート作戦開始 蘇蓮赤軍の勝利
赤軍4個師団を包囲を試みたが、失敗 死闘の末崩壊するしかなくなった、
枢軸軍 18,0000兵士 戦車379 損耗 18,0000戦死 戦車100
蘇連赤軍 60,0000兵士 戦車1900 損耗 9,0000戦死 戦車900
1945年1月17日
初版世界 蘇軍 ワルシャワ占領
1945年(和昭20年)1月18日
初版世界 日軍 本土決戦を決定
1945年1月20日ー2月9日
初版世界 コルマール(アルザス)の戦い
独軍3,8000戦死
連合軍2,1000戦死
1945年1月30日ー2月3日
初版世界 マルタ会談 ルーズベルト米大統領とヂャーヂル英首相が マルタ島で会談する
1945年2月4日ー2月11日
初版世界 ヤルタ会談 クリミアにあるヤルタで 英米蘇の首脳達により 連合軍会議
1945年2月13日
初版世界 連合軍が ドレスデン空襲
1945年2月13日
初版世界 蘇軍が ブダペスト解放
1945年2月15日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 ベララベラ 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1945年2月15日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 レプライザル 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年2月18日ー3月26日
初版世界 米軍 硫黄島に艦砲射撃 硫黄島の戦い始まる
1945年2月23日
初版世界(史実近似)
トルコ ドイツと国交断絶
1945年2月24日
初版世界 蘇軍 東ポンメルン攻勢 開始
1945年(和昭20年)2月28日
中国大陸打通作戦 終了
1945年3月1日
初版世界(史実近似) トルコ、ドイツに宣戦布告
1945年(和昭20年)3月3日
初版世界 米軍 マニラ解放
1945年3月6日ー3月16日
初版世界 独軍 春の目覚め作戦 開始(ハンガリーバラトン湖) 蘇軍勝利
独軍 14,0000兵士 1,4818戦死
蘇軍 45,5000兵士 3,2899戦死
1945年3月8日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 タワラ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年(和昭20年)3月9日ー5月15日
初版世界 明号作戦(フランス領インドシナ)フランスアジア領消滅 ベトナム帝国 カンボジア王国 ラオス王国 其々成立
日軍 5,0000兵士 1000戦死
連合軍 6,5000兵士 4200戦死
1945年(和昭20年)3月10日
初版世界 米軍 東京大空襲
米軍機300
1945年(和昭20年)3月13日
初版世界 米軍 大阪大空襲
米軍機300
1945年(和昭20年)3月14日ー20日
初版世界 英軍 インド洋 アンマダン諸島 スマトラ島
英軍スマトラ島砲撃 アンマダン諸島で日軍と交戦
日軍砲台2 砲台1門損傷 2戦死
英軍駆逐艦3 損傷駆逐艦2 14戦死
1945年(和昭20年)3月15日ー7月29日
初版世界 呉軍港空襲
戦艦3沈没 空母1沈没4損傷 巡洋艦4沈没2損傷
日航空機306機損失 米航空機133機損失
1945年3月17日
初版世界 ライン川レマーゲン鉄橋 崩落
1945年(和昭19年)3月18日
初版世界 九州沖航空戦
日軍 航空機400(内特攻機193) 損耗258
米軍 艦上機1400 空母12 損耗 空母2大破( フランクリン ワスプⅡ ) 航空機89 戦死829
1945年(和昭20年)3月19日
初版世界 米軍機230 名古屋大空襲
1945年3月19日
初版世界 英軍 カルタゴ作戦開始
1945年3月24日
初版世界 ヴァーシティ作戦(独西部)米英軍勝利
独軍 8000兵士 3500戦死
米英軍1,6700兵士 2700戦死
1945年(和昭20年)3月26日
初版世界 日軍天号作戦開始
捷作戦挫折後 本土防衛作戦の一環として 本土前縁で行われた航空作戦
1945年(和昭20年)3月26日
初版世界 米軍 慶良間諸島に上陸(沖縄戦)
1945年3月30日
初版世界 蘇軍 オーストリアに侵攻
1945年(和昭20年)3月26日
初版世界 硫黄島戦米軍勝利
日軍 2,0900兵士 戦車23(全滅)損耗1,9900戦死
米軍 11,1308兵士(全体25,0000人) 6821戦死
空母16 艦載機1200 戦艦8巡洋艦15駆逐艦77
損耗 護衛空母1撃沈 正規空母1大破 航空機239 戦車137
1945年(和昭20年)3月26日
初版世界 沖縄本島で連合軍が上陸 沖縄戦開始
1945年(和昭20年)4月
初版世界 4月ー6月 空中戦 日損耗約5500機 米損耗1600機
1945年(和昭20年)4月1日
初版世界 米軍 沖縄本島に上陸(沖縄戦)
1945年4月2日
初版世界 蘇軍 ブルガリア軍 がウィーンへ侵攻
(ウィーン攻撃)
1945年4月2日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 ソロモン 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年4月5日−9日
初版世界 ケーニスベルク(東プロイセン)の戦い 蘇軍勝利
独軍 13,0000兵士 5,0000戦死
蘇軍 25,0000兵士 6,0000戦死
1945年(和昭20年)4月6日
初版世界 日 菊水作戦 開始
沖縄に来攻する連合軍に対して 特攻攻撃を実施した作戦
日軍 特攻機1827. 3067戦死
米英軍 損耗4907戦死 撃沈 駆逐艦16 その他の艦艇20 損傷艦艇368
1945年(和昭20年)4月7日
初版世界 坊ノ岬沖海戦
戦艦大和(沈没)軽巡矢矧(沈没)駆逐艦12(6沈没)
米軍出撃 空母7 護衛空母5 艦載機894機(出動377損失13被弾52) 戦艦6 大巡2 軽巡9 駆逐艦30
1945年(和昭20年)4月8日
初版世界 嘉数の戦い(沖縄戦)
日軍損耗 6,4000戦死
米軍損耗 2,4000戦死
1945年(和昭20年)4月12日
初版世界 米大統領ルーザヘルド死去
1945年4月13日
初版世界 ウィーン占拠
1945年4月13日
初版世界 ザームラント攻略作戦(東プロイセン ザームラント半島)
蘇軍勝利
独軍 3,0000兵士 戦車 50. 損耗 3,0000戦死 戦車50
蘇軍 12.0000兵士 戦車300 損耗 1,0000戦死 戦車100
1945年4月14日
現実世界(物語世界)
米🔵正規エセックス級重空母 シャングリラ 就役
266M 3,6300t 34nt 90機
1945年4月15日
初版世界(史実近似世界)
英🟤センチュリオン重戦車 1945年4月就役
51口径105mm砲 装甲51mm 52t 34km/h
1945年4月16日-5月8日
初版世界 蘇軍 ベルリン攻略開始
オーデルナイセの戦い 16日ー19日
シュテッテン=ロストック攻略 4月16日ー5月8日
ゼーロウ高地攻略 4月16日ー5月2日
コットプス=ポツダム攻略 4月16日ー5月2日
シュプレンベルク=トルガウ攻略 4月16日ー5月5日
独軍 8,5000兵士 損耗 7,3000戦死
蘇軍 15,0000兵士 損耗 8,1000戦死
1945年4月20日
初版世界 ビドラー総統 国防軍最高司令部や閣僚の避難を許可
1945年4月20日
初版世界 蘇軍 ベルリン市内を砲撃
1945年4月23日
初版世界 蘇軍 トロイエンプリーツェンの虐殺
1945年4月23日
初版世界 独蘇ベルリン市街戦
1945年4月25日
初版世界 米軍 蘇軍 エルベ川付近で遭う
1945年4月25日−29日
初版世界 ハルベの戦い ベルリン東南部森林で米蘇軍に包囲されている
第9軍が撃破され 第12軍と合流すすまでの戦い
独軍 21,000兵士 損耗3,0000戦死
蘇軍 28,000兵士 損耗2,0000戦死
1945年4月27日
初版世界 コモ湖畔でムッソリーニ逮捕 翌日銃殺
1945年4月29日
初版世界 ダッハウ強制収容所で 職員・独軍捕虜等を虐殺
1945年4月30日
初版世界 ビドラー総統 自殺
1945年5月1日
初版世界 カール・デーニッツらによるフレスブルク政府 樹立
1945年(和昭20年)5月1日
初版世界 英軍 ラングーン占領
1945年5月2日
初版世界 蘇軍ベルリン占領
1945年5月6日
初版世界 プラハの戦い
独軍 9,0000兵士 損耗1,0000戦死
蘇軍 20,0000兵士 損耗1,1997戦死
1945年5月7日
初版世界 ランスにて 独工房軍最高司令部 作戦部長アルフレード・ヨードル大将が
独軍の降伏文書に署名し 独軍降伏 ハンガリー国崩壊
1945年(和昭20年)5月12日
初版世界 沖縄戦 シュガーローフの戦い 米軍勝利
日軍 6000兵士 損耗3000戦死
米軍 2,4356兵士 損耗2662戦死
1945年(和昭20年)5月16日
初版世界 ベナン沖海戦(マレー半島ベナン沖)英軍勝利
日軍 重巡1 駆逐艦1 損耗 重巡1沈没
英軍 駆逐艦5 損耗 無し
1945年5月18日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 サンタクルーズ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年(和昭20年)5月24日
初版世界 米軍機500 東京山手を大規模空襲
1945年(和昭20年)5月29日
初版世界 米軍機620 横浜大空襲
1945年(和昭20年)5月31日
初版世界 米軍機120 台北大空襲
1945年(和装20年)6月5日
初版世界 米軍 バーニー作戦 開始 米軍勝利
日軍 駆逐艦3 海防艦25 損耗 潜水艦1沈没 特設敷設艦1沈没 輸送船26沈没
米軍 潜水艦9. 損耗 潜水艦1撃沈
1945年(和昭20年)6月5日
初版世界 米軍機500 神戸大空襲
1945年(和昭20年)6月11日
初版世界 沖縄 国吉にて大喜の陸戦
1945年(和昭20年)6月19日
初版世界 米軍機240 福岡大空襲
1945年(和昭20年)6月21日
初版世界 米軍 沖縄占領
1945年(和昭20年)6月23日
初版世界 日軍 沖縄における組織的戦闘終了
沖縄戦 米軍勝利 終結
日軍 11,6400兵士 損耗9,4136戦死 戦艦1軽巡1特攻機1895 航空機1112
戦車27
米英軍54,8000兵士 米損耗2,0195戦死 駆逐艦16 海軍艦艇損傷368 戦車272航空機768
英軍 損耗85戦死 航空機98 航空機98 損傷空母5
1945年(和昭20年)7月8日
初版世界 米軍 室蘭を艦砲射撃
1945年(和昭20年)7月14日
初版世界 連合軍 釜石を艦砲射撃
1945年7月16日
初版世界 米国ニューメキシコ州で、長崎に落とされたファットマンと同型の
原子爆弾を用いた人類史上初の核実験
1945年7月17日
初版世界 ポツダム会談開催
1945年(和昭20年)7月22日−23日
初版世界 東京湾海戦 米軍勝利
日軍 掃海艇1 駆潜艇1 輸送船2 損耗 輸送艦1沈没
米軍 駆逐艦9 損耗 なし
1945年(和昭20年)7月26日
初版世界 英軍 ストラグル作戦
シンガポール セレター港内の 重巡高雄 重巡妙高 既に大損を 受けていたが 英軍は知らずに 特殊潜航艇で攻撃
1945年(和昭20年)7月28日
初版世界 米軍 大山口列車空襲
1945年(和昭20年)7月28日
初版世界 鈴木貫太郎首相 ポツダム宣言を黙殺するという発言行う
1945年(和昭20年)8月6日
初版世界 1発目原子爆弾(リトルボーイ)が 広島中心地に投下
1945年(和昭20年)8月8日
初版世界 蘇蓮が日蘇不可侵条約を廃棄 日本侵攻
1945年(和昭20年)8月9日
初版世界 2発目核爆弾(ファットマン)を長崎に投下。 以後16個以上の原子爆弾を日本に投下する計画をドリューパン米大統領が設定する。
1945年(和昭20年)8月11日
初版世界 蘇軍 南樺太へ侵攻 樺太の戦い
1945年(和昭20年)8月17日
初版世界 占守島の戦い
日軍 8480兵士 600戦死
蘇軍 8824兵士 1567戦死
1945年(和昭20年)8月
初版世界 3個目核爆弾 新潟に投下
1945年(和昭20年)9月
初版世界 4個目の核爆弾 小倉に投下
初版世界 5個目の核爆弾 鹿児島に投下
1945年9月8日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 ミッドウェー 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1945年9月9日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 モントゴメリー 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年(和昭20年)10月
初版世界 6個目の核爆弾 佐世保に投下
初版世界 7個目の核爆弾 仙台に投下
1945年10月18日 現実世界(物語世界) 米🔵正規タイコンデロガ級重空母 キアサージ 就役 270M 3,7600t 33nt 90機
1945年(和昭20年)11月1日
初版世界 オリンピック(ダンフォール)作戦開始
南九州に米軍上陸 帝都陥落への前哨基地を大量に作る為の作戦
米軍
先遣隊 38万人兵士 8万台車両 化学兵器生物兵器 使用。
総兵士 350万人
(海兵隊90万人陸軍260万人)
戦車 8000輌
車輌 30万台
野砲・榴弾砲 1,2000門
迫撃砲 2,0000門
対戦車砲 3000門
対空砲 5000門
超重空母 3隻
重空母 17隻
中空母 8隻
護衛空母 96隻
戦艦 18隻
重巡 31隻
軽巡 43隻
駆逐艦 400隻
他船舶 1000隻
航空機 1,6300機
米戦車
M4シャーマン中戦車 7000輌
M26パーシング重戦車. 500輌
M3リー中戦車 50輌
英戦車
チャーチル歩兵戦車 100輌
コメット巡航戦車 100輌
ファイアフライ中戦車 200輌
センチュリオン重戦車 50輌
B-29戦略爆撃機 2400機
B-24四発爆撃機 1200機
A-20攻撃機 500機
P-61夜間戦闘機 200機
P-51マスタング戦闘機 4000機
F6F ヘルキャット戦闘機 1800機
F4U コルyセア戦闘機 2000機
F8F ベアキャット戦闘機 2000機
航空機計 1,4100機
スピットファイア戦闘機 500機
テンペスト戦闘機 300機
タイフーン戦闘機 200機
ランカスター爆撃機 400機
モスキート爆撃機 200機
ハロン爆撃機 100機
輸送機その他 400機
計 2100機
護衛空母
25クロアタン 26サンガモン 27スワニー 28サンシー 29サワナ
30マルクス 31ノビリス 32エリシア33サイニー
34ブロックアイランド 35サンジャシン36アンテロープ 37ケープタウン
38サノガ 39バドウィン 40トロイ 41ビクター 42キワラ 43ディサイア
44オルカ 45アンダワー 46ボンホルム 47クライオ 48チャージャー
49クラシア 50プレンティス 51パイバス 52バフィン 53ボリナス
54ウィンジャー 55カサブランカ 56リスカムベイ 57アンツィオ
58コレヒドール 59ミッションベイ 60ガダルカナル 61マニラベイ
62ナトマベイ 63セントロー 64トリポリ65ウェークアイランド
66ホワイトブレインズ 67ソロモンズ 68カリニンズ 69カサンベイ
70ファンショベイ 71キトカンベイ 72ツラギ 73ガンビアベイ
74ネヘンタベイ 75ホガットベイ 76カダシャンベイ 77マカスアイランド
78サボアイランド 79オマニベイ 80ペトロフベイ 81ルディヤドベイ
82サギノベイ 83サジャントベイ 84シャムロックベイ 85シップレイベイ
86シットコベイ 87スティマベイ 88ケプエスオエランス 89タカニスベイ
90セティスベイ 91マカッサルストレト 92ウィンダムベイ
93マキンアイランド 94ルンがポイント 95ビスマスシー 96サラアウア
97ホランディア 98クェゼリン 99アトミラルティ 100ブゲンビル
101マタニカウ 102アッツ 103ロイ 104ムンダ 105コメンスメントベイ
106ブロックアイランド 107ギルバトアイランド 108クラガルフ
109ケプグロスタ 110サレルノベイ111ヴェラガルフ 112シボニ
113ピュジェット 114レンドヴァ 115バイロコ 116バドエンストレイト
117セイダ118シシリ119ポイントクルズ
中空母
22インディペンデンス 23ベローウッド 24カウペンス
25モンテレー 26ガボット 27バターン 28サンジャシント
29サイパン
重空母
9エセックス 11イントレピット 14タイコンデロガ 15ランドルフ
17バンカーヒル 19ハンコック 20ベニントン 21ボクサー 22ボノムリシャル
23レイテ 24キアサージ 25オリスカニー26タラワ 27アンティータム
28レプライザル 29シャングリラ 30レイクシャンプレイン
超重空母
41ミッドウェー 42ルーズベルト 43コーラルシー
戦艦
ペンシルベニア テネシー アリゾナ ネヴァダ
カルフォルニア ミシシッピ
ニューメキシコ アイダホ
サウスダコタ インディアナ マサチューセッツ アラバマ
ノースカロライナ ワシントン
アイオワ ニュージャージー ミズーリ ウィスコンシン
日軍
兵員 350万人
民間兵 200万人
火砲 1,5000台
九五式軽戦車1500輌
九七式中戦車1500輌
三式中戦車 1000輌
四式中戦車 130輌
自走砲 1500輌
計5630輌
零式艦上戦闘機 4000機
隼戦闘機 2000機
紫電改 1500機
飛燕戦闘機 500機
震電戦闘機 100機
九六式陸爆 1000機
銀河夜間戦闘機 500機
彗星艦上爆撃機 400機
天山爆撃機 300機
夜間戦闘機 200機
偵察機 500機
輸送機 300機
日航空機計 1,1300機
1945年(和昭20年)11月
初版世界 8個目の核爆弾 神戸に投下
初版世界 9個目の核爆弾 札幌に投下
1945年11月30日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 レイテ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年(和昭20年)12月
初版世界 10個目の核爆弾 青森に投下
初版世界 11個目の核爆弾 長野に投下
1945年12月3日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 ガダルカナル 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1945年12月16日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 ルーズベルト 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1946年(和昭21年)
1946年(和昭21年)1月7日
初版世界 オリンピック作戦終了予定日。
1946年(和昭21年)1月
初版世界 12個目の核爆弾を 横浜に投下
初版世界 13個目の核爆弾を 大阪に投下
1946年(和昭21年)2月
初版世界 14個目の核爆弾を 岡山に投下
初版世界 15個目の核爆弾を 京都に投下
初版世界 16個目の核爆弾を 東京に投下
1946年(和昭21年)2月15日
米で世界初の汎用性コンピュータ開発 ENIAC 。
1946年1月25日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 フィリピンシー 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1946年2月13日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 コーラルシー 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1946年2月28日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 アイルロイヤル 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1946年(和昭21年)3月1日
初版世界 米軍 コロネット(ダウンフォール)作戦開始 湘南海岸と九十九里浜に米英連合軍上陸。
先遣隊120万人兵士 16万台の車両
総兵士 350万人
(海兵隊90万人陸軍260万人)
戦車 8000輌
野砲榴弾砲 1,2000門
迫撃砲 2,0000門
対空砲 5000門
車輌 30万台
航空機 1,6300機
超重空母 3隻
重空母 17隻
中空母 8隻
護衛空母 96隻
戦艦 18隻
重巡 31隻
軽巡 43隻
駆逐艦 400隻
他船舶 1000隻
護衛空母
25クロアタン 26サンガモン 27スワニー 28サンシー 29サワナ
30マルクス 31ノビリス 32エリシア33サイニー
34ブロックアイランド 35サンジャシン36アンテロープ 37ケープタウン
38サノガ 39バドウィン 40トロイ 41ビクター 42キワラ 43ディサイア
44オルカ 45アンダワー 46ボンホルム 47クライオ 48チャージャー
49クラシア 50プレンティス 51パイバス 52バフィン 53ボリナス
54ウィンジャー 55カサブランカ 56リスカムベイ 57アンツィオ
58コレヒドール 59ミッションベイ 60ガダルカナル 61マニラベイ
62ナトマベイ 63セントロー 64トリポリ65ウェークアイランド
66ホワイトブレインズ 67ソロモンズ 68カリニンズ 69カサンベイ
70ファンショベイ 71キトカンベイ 72ツラギ 73ガンビアベイ
74ネヘンタベイ 75ホガットベイ 76カダシャンベイ 77マカスアイランド
78サボアイランド 79オマニベイ 80ペトロフベイ 81ルディヤドベイ
82サギノベイ 83サジャントベイ 84シャムロックベイ 85シップレイベイ
86シットコベイ 87スティマベイ 88ケプエスオエランス 89タカニスベイ
90セティスベイ 91マカッサルストレト 92ウィンダムベイ
93マキンアイランド 94ルンがポイント 95ビスマスシー 96サラアウア
97ホランディア 98クェゼリン 99アトミラルティ 100ブゲンビル
101マタニカウ 102アッツ 103ロイ 104ムンダ 105コメンスメントベイ
106ブロックアイランド 107ギルバトアイランド 108クラガルフ
109ケプグロスタ 110サレルノベイ111ヴェラガルフ 112シボニ
113ピュジェット 114レンドヴァ 115バイロコ 116バドエンストレイト
117セイダ118シシリ119ポイントクルズ
中空母
22インディペンデンス 23ベローウッド 24カウペンス
25モンテレー 26ガボット 27バターン 28サンジャシント
29サイパン
重空母
9エセックス 11イントレピット 14タイコンデロガ 15ランドルフ
17バンカーヒル 19ハンコック 20ベニントン 21ボクサー 22ボノムリシャル
23レイテ 24キアサージ 25オリスカニー26タラワ 27アンティータム
28レプライザル 29シャングリラ 30レイクシャンプレイン
超重空母
41ミッドウェー 42ルーズベルト 43コーラルシー
戦艦
ペンシルベニア テネシー アリゾナ ネヴァダ
カルフォルニア ミシシッピ
ニューメキシコ アイダホ
サウスダコタ インディアナ マサチューセッツ アラバマ
ノースカロライナ ワシントン
アイオワ ニュージャージー ミズーリ ウィスコンシン
B-29戦略爆撃機 2400機
B-24四発爆撃機 1200機
A-20攻撃機 500機
P-61夜間戦闘機 200機
P-51マスタング戦闘機 4000機
F6F ヘルキャット戦闘機 1800機
F4U コルyセア戦闘機 2000機
F8F ベアキャット戦闘機 2000機
航空機計 1,4100機
スピットファイア戦闘機 500機
テンペスト戦闘機 300機
タイフーン戦闘機 200機
ランカスター爆撃機 400機
モスキート爆撃機 200機
ハロン爆撃機 100機
輸送機その他 400機
計 2100機
米戦車
M4シャーマン中戦車 7000輌
M26パーシング重戦車. 500輌
M3リー中戦車 50輌
英戦車
チャーチル歩兵戦車 100輌
コメット巡航戦車 100輌
ファイアフライ中戦車 200輌
センチュリオン重戦車 50輌
戦車計 8000輌
日軍
兵員 350万人
民間兵 200万人
火砲 1,5000門
九五式軽戦車 1500輌
九七式中戦車1500輌
三式中戦車 1000輌
四式中戦車 130輌
自走砲 1500輌
戦車計 5630輌
零式艦上戦闘機 4000機
隼戦闘機 2000機
紫電改 1500機
飛燕戦闘機 500機
震電戦闘機 100機
九六式陸爆 1000機
銀河夜間戦闘機 500機
彗星艦上爆撃機 400機
天山爆撃機 300機
夜間戦闘機 200機
偵察機 500機
輸送機 300機
航空機計 1,1300機
1946年3月5日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 ヴァリーフォージ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1946年4月5日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 ミンダナオ 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1946年4月14日
現実世界(物語世界)
米🔵正規タイコンデロガ級重空母 イオウ 就役
270M 3,7600t 33nt 90機
1946年6月26日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ユナイテッドステイツ級超重装甲空母 ユナイテッドステイツ 就役
8,3350t 331M 33nt 90機
1946年10月18日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 アリューシャン 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1946年(和昭21年)10月31日
初版世界 日本 完全降伏。
1947年(和昭22年)
1947年2月21日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ユナイテッドステイツ級超重装甲空母 カールッチ 就役
8,3350t 331M 33nt 90機
1947年2月28日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ミッドウェー級超重空母 マリアナ 就役
295M 6.0100t 33nt 116機
1948年(和昭23年)
1948年1月13日
現実世界(物語世界)
米🔵正規ユナイテッドステイツ級超重装甲空母 チェイニー 就役
8,3350t 331M 33nt 90機